凡才教師、アイヴィー・アトモス


「統治の関係で、シリッサに異動することに」


 ソフィア様が、シリッサに異動される。


 そう聞いた時、最初に思い浮かんだ言葉は、「私は?」でした。だって、関係者ではないんですから。

 座学の終わり際、少しだけ焦げや傷が増えている机の上を片付けていました。ソフィア様は、何の気なしにそう言ったんです。


「えっと、時期は……?」

「そうですね……恐らく、一年後」

「一年……」


 長いようで短い確信があるのは、三年の時間経過が余りにも短かったからです。学院を超える学びの数々。きっと、そう言っていいだけの時間でした。

 度重なる軍務の中でも、屋敷にいる時は絶対に私の授業を受けてくれた。とっても綺麗な教え子。雲の上にいる人。


「なので、一度感謝を伝えたく」

「え、そんな……」

「質問ばかり、軍務で中止も多かったと記憶しています。だからこそ、最後まで教えて下さったこと」


 ソフィア様は立ち上がって、優雅に頭を下げた。私は反応できない。これで終わりなんですか?自然に、ありふれたように終わるんですか?


「……感謝いたします」


 言葉が出ない。別に、よかったはず。もう貴族のあるかもしれない無礼に怯えることも、ソフィア様の訳の分からない質問に頭を抱えることも、無い。


「そ……その」

「……何か?」

「い、いえ。何でもありません」


 そうですか……?と小首を傾げるソフィア様。薄い青の目が、私を見ていた。目を見返して見ても、あの子の内心は全く分からない。

 

「では、今日もありがとうございました」

「……お疲れ様です。ソフィア様」


 片付けも終わり、お互いに一礼して解散する。先に出ていったソフィア様。別に変なことは無い、多忙な彼女にはよくあることだ。でも、どうしてか、今日だけは。


──────冷たくて、仕方なかった。


 屋敷を出て、街への道を歩く。さほど遠くもない帰り道の中で、どうしようもなく思考がグルグルして止まりません。

 別にソフィア様は、当然の話をしただけ。そもそも私は平民で、ソフィア様は大貴族の向こう側。釣り合うとか、いやそれは違う話ですし……。


「授業、つまらなかった……?」


 可能性はある。だって、どっちが先生なのか怪しい時しかなかった。私は、あの子の質問のどれだけに応えられたんだろう。

 でも、全力は尽くして……言い訳?違う。学院で学んだ四年間、あんな質問出てこなかった。だから、私は思ってしまってた。


「ソフィア様が魔法学院で学べば……」


 当然、偉大な魔法使いになるだろう。凡才の私でも分かる、ソフィア様は思考の基が違う。あって当然の前提さえ、疑ってしまう。

 魔力の話だって何度、驚かされた事だろうか。あの子は言った。


「呼吸で“代謝”できると“仮定”するなら、魔力は“本質的”に“粒子”なのかも?」


 席を外していて、教室に戻ろうとした瞬間。ほぼ聞こえない程小さく、独り言のように呟かれたそれを、私はずっと覚えています。

 一部の単語は恐らく王国の言葉じゃない、何か別の言語。他国にも少しだけ、足を伸ばしたことがありますが……私はソフィア様のそれを知りません。

 

 私はその内容を、あの子に聞けませんでした。恐ろしくて、きっと聞いてしまったら戻れない確信があったから。

 何食わぬ顔で戻ったときに、私は教師の資格を失っていたのかもしれません。


「……先生、お戻りになられましたか」


 戻った瞬間のソフィア様の顔も覚えています。明らかにバツの悪い顔。珍しい表情でした。あの子は、いつも微笑でしたから。聞けばよかったんだろうか。

 先生ね、あの時こう思ったんです。貴女は、人とは違う。神か悪魔か、それとも違う何かか。目を逸らしたから、罰が当たったんでしょうか。


「アイヴィーちゃん!お帰り!夕飯出来てるよ!」


 突然聞こえた大きな声で飛び上がる。……どうやら帰っていたらしい。

 低めの声で大きな女の人、私が泊っている“紫月の革靴亭”の女将さん。この街に来た頃から何かとお世話になっている方です。


「えっと、部屋に荷物置いてから貰います……」

「そうかい!用意しとくね!」

「お願いします!」


 少しだけ、無理に声を張り上げる。帰る道中の考え事で、すっかり元気が……。あはは、無くなっちゃいましたね。


「よい、しょっと……」


 階段を上がり自室へ。入ってすぐ杖と鞄を部屋の適当な所に置く。大量の紙と本に埋め尽くされつつある部屋。構わず、ベッドに倒れ込む。すっかり疲れてしまった。


「はぁ……」


 どうにも、明るくできない。別にもう依頼が終わりって言われた訳じゃない。ただ私が、気になっているだけなんです。理解しても止められない思考の波。


「ご飯、行こう」


 これ以上考えてもロクなことになりません。とりあえずご飯を食べてから考えましょう。学院に居た頃からそう決めてるんです。えぇ。


「降りて来たかい!そこに置いてるよ!」

「ありがとうございます」


 一階に降りると、また声を掛けられる。疲れている時はその強さがありがたい。酒場と飯屋を兼ねているここは、かなりの人が元気そうに飲み食いをしていた。私とは逆だ。

 置かれたパンとスープ。湯気が少しだけ、冷たくなった私の心を温めてくれます。


「天と地、巡る星の恵みに感謝します」


 祈りを込めて、ご飯を食べる。美味しいはずのスープが、少しだけ味気ない。モソモソとパンをちぎって食べる。いつもより美味しくない。


「アイヴィーちゃん。大丈夫かい?」


 下を向いて食べていると、声を掛けられる。またうざい声かけかと思い、顔を上げる。女将さんだった。……疲れてますね、私。


「女将さん……。そうですね、ちょっと」


 肘をテーブルに置きながら対面に座る女将さん。彼女は怒っているように見えた。どうして?


「貴族かい?」

「あ、いや……」


 貴族ではあるけど、何というか……難しいですね。女将さんは私の返答を聞いて、少しだけ眉を潜めました。


「嫌な事でも言われたかい?」

「違うんです」

「使用人が手を出してきたか?」

「一回も無いですね……。珍しく」

「アンタ綺麗なんだから、気を付けなよ」


 あはは……と何とも言えない笑いで誤魔化す。別に綺麗じゃないと私は思うんですけど、女の一人旅だからなんでしょうね。後、貴族の使用人の方がめんどくさかったり……。止めときましょうか。


「どこから話していいのか……」

「“お嬢様”関連かい?」

「えっと、はい」


 女将さんは最初の採用通知、その段階で何となく気がついたらしい。私もランクを隠してたりはしないですし、封筒の感じもありましたから。でも黙ってくれている辺り、流石と言うか……。


「珍しいね」

「詳しくは言えないんですが……」

「分かってるよ」

「教師の難しさを感じてます」

「そうかい……」


 教えることの難しさ。しかも、ソフィア様の段階になってくると猶更難しい。だって、私の方が聞かなきゃいけないことも多いから。


「アタシも娘と息子がいるだろ?」

「ですね」


 女将さんが私と話す傍ら、娘さんと息子さんがバタバタと接客をしている。だから私と話してられるんでしょう。ありがたい反面、申し訳なく思います。


「気にしなくていいよ。アタシのお節介さ」

「でも、ありがとうございます」

「いいんだよ。……で、私も色々教えるのさ」


 遠い目で、働く二人を見ている女将さん。きっと、私の知らない苦労しかないんだろう。


「でも失敗ばっかりさ、アタシも息子たちも」

「そうなんですか?」

「もちろんそうさ。二人の方が便利なやり方を考えたりしてくれてね」


 言われてみれば、ソフィア様も失敗は多かった。魔法に変な詠唱を混ぜて火事を起こしかけたり、そもそも物覚えが凄く早いタイプでは無いと思う。


「お嬢様は違うのかい?」

「そのやり方が、信じられないほど凄いんです」

「……なるほどねぇ」

「ちょっと、難しい話ですよね」


 人に自分の話をするのは苦手です。迷惑とか、どうせ伝わらないんじゃないかと考えてしまう。これは悪癖ですが、どうにも直せなくて。


「アンタはどうしたいんだい?」

「私は……」

「諦めるのは、楽な道さ」


 諦めて、褒めて、ただ導かれるままになる。それは、きっと楽だ。部屋の紙束も燃やしてしまって、本は綺麗に整理してしまう。ソフィア様の言葉を考えず、自分の世界に籠る。


「多分アンタが教えてるのは天才だよ。付いていくのは、苦しい道になる」


 今がそうだ。脳が授業の度に沸騰しそうで、難しい。ソフィア様の家庭教師になってから、ダンジョン探索にも行けてない。そんな時間、無い。


「難しい話さ。でも、頑張ってるのをアタシは見てるからねぇ」

「そうですかね……」

「そうさ!だから、どうしたいかでいいんじゃないかい?」


 下を向いて、少しだけ考え込む。目を閉じて、これまでを思い出そうとした。すると、初日のソフィア様を思い出した。


──────今の質問は無かったことに


 そうか、あの時、私は決めたじゃないか。あんな悲しい顔をさせてたまるか。自分の知性で食らいつく、と。友人に伝えるのを諦めてしまった私を、繰り返さないって。

 目に光が戻った気がした。世界に色が付く。女将さんも、顔を上げた私を見て満足そうにしている。


「……いい顔じゃないか」

「ありがとうございます。女将さん」

「気にしなくていいよ。アタシのお節介さ」

「でも、ありがとうございます」


 立ち上がって、頭を下げる。初心が帰ってきた。言ってくれなければ、思い出せなかったかもしれないから。


「さ、食べちまいな」

「はい!」


 私はハグハグとパンを貪り、スープを飲み干す。さて、今日の宿題をやってやりましょうか!


/////////////


 翌日、私はソフィア様の前にいた。そして。


「ソフィア様。私もシリッサに付いて行っても宜しいですか!?」

「……よろしいので?」

「はい!」


 勢いよく頭を下げ、伝える。まだ終わりたくないんだ、と。

 ソフィア様は、驚いたようでした。でも、いつも通りの微笑。いや、少しだけ嬉しそうにしているのは気のせいじゃないはず。微笑が、いつもよりも可愛く見えた。


「でしたら……」

「なんでも!」

「そ、そうですか……」


 この熱意を伝えなければ!精一杯、うお~とアピールする。


「では、今後は専属で雇われませんか?」

「というと?」

「今はギルドを通していますが……今後はフェロアオイ公爵家から直接、ということです」

「いいんですか!?」

「余りよくは無いですが……まぁ、それだけの価値を先生に感じてますので」


 気恥ずかしかったのか、耳が少しだけ赤くなっているソフィア様。やっぱり冷たそうに見えて、可愛い一人の人間なんだ。


「どうです?」

「もちろん、よろしくお願いします!」

「よかった」


 そう言ってソフィア様は珍しく、本当に珍しく、大きく笑った。その笑顔に、私はしばらく見惚れてしまっていた。やっぱり綺麗ってずるい。


「では、これからも」

「よろしくお願いします!」


 まだまだ、ソフィア様の家庭教師は続く。知性が続く限り、どこまでも。


 私はそう、信じている。


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