信仰者、ミモザ
お嬢様が、シリッサへと異動される。
一報の感想は、「来たか」だった。ずっと前から感じているお嬢様の才能、とうとう世界に見つかったのだ。本人が疎ましく思っているであろう、余りにも広すぎる才。
別邸に戻ってから異動の話で私の頭は持ち切りだ。さて、どうしたものか。私の見つけた星が、世界を照らし始めた。年甲斐もなく、宝物を取られた子どものような心持ちでいる。
「整列!点呼!」
筆頭家令の仕事はそれなりに忙しい。何十年とやっているが故に慣れてはいるが、寄る年波には中々勝てない。
お嬢様が持ち込んだ軍式に近い点呼と整列から、本格的に業務が始まる。別邸は広い。使用人の数も普通の屋敷よりかは遥かに多いと言えるだろう。
「一!」
「二!」
「三!」
数が数えられるように、一人ずつ点呼が行われている。お嬢様とここに来た始めの頃は、どうにもやる気や練度の低かった使用人たちであった。今ではすっかり私が叩き込んだ規律と、お嬢様の人心掌握による忠誠の目覚めで完璧に近くなっている。私の規律は年の功だが、お嬢様は十二歳の段階で使用人たちに忠誠を芽生えさせていた。何というかその辺りが怪物じみているし、私も例の話ですっかり入れ込んでしまっていた。
「点呼完了!全員居ります!」
「よし」
全員の点呼が終わり、各々作業へと入る。専門職は別だが、使用人は三人一組へと分けられて業務を行う。お嬢様の何となく言っていたことを真似しただけだが、どうにも楽になったような気がした。
お嬢様は、サボれないようにする仕組みを作るのが上手い気がする。業務の手順化、部隊化、点呼。何というかこう、教会の天が見ているという監視とは違った雰囲気。言葉にするのが難しい。
「さて……」
それなりに忙しいが、他の屋敷に比べれば遥かに楽だろう。財政管理はお嬢様がやっているし、使用人の管理はサボってないかどうかの巡回だけでいい。完了したかどうかの管理は必要だが。
「始めましょう」
私の一日が、こうして始まる。仕事を始める為に移動する彼らを見送って、お嬢様の部屋へと向かった。
「……お嬢様、朝です」
どうせ起きてないだろう。稀に起きている日もあるが、基本的に狸寝入りで更に寝ようとしているはず。
そんな風に思いながらドアを三度、ノックする。明るい木の扉がコンコン、と軽やかに鳴った。
「入りなさい」
珍しく起きている。しかも、返答が寝ぼけていない。何事だ?直衛が侵入者を許す訳がない。そも、部屋の中に下手人がいるなら私が察する。
「失礼致します。……随分と珍しい」
「髪、結ぶの手伝ってくれない?一人でやるの無理」
「承知いたしました」
部屋に入ると、お嬢様はドレッサーの前で自身の長い髪と格闘していた。結び方が下手で、所々髪が飛び出している。
自身で準備をしているのも珍しい、お嬢様は貴族を明確にこなしている。故に、使用人に任せられることはやらなかったはず。
「ミモザ?」
「失礼いたしました」
……思わず、立ち止まってしまった。声を掛けられ、少しだけ早足でお嬢様の方へと歩いていく。
「髪が跳ねておりますよ」
「知ってる」
「結び直します」
「よろしく」
お嬢様は手を下ろし、大きく伸びた。続けて、顔に手を当て大あくびをする。こう言う所を見ると、まだ年相応の少女のように見える。
「……どういう星の巡りで?」
「偶然よ」
「そうですか」
そんな訳がない。お嬢様の髪を纏めながら、そう考える。きっと、何か心情の変化でもあったのだろう。シリッサ異動か、それとも全体会議か。私は会議の存在は知っているが、その内容までは知らない。所詮は使用人に過ぎないのだから。
しかし、一つだけ断言できる。何か、大立ち回りをした。並み居る本家の次席達、彼らも凡人ではない。だが会議後の様子を見るに、かなり憔悴していた。
「しっかし、眠いわね」
お嬢様は目をシパシパさせている。元来、物凄く朝の弱い人なのだ。あれだけの発想や知性を持っている人間でも、別に完璧ではない。だからこそ、お嬢様に私は星を見たのだろうか。
「終わりました」
「流石ねぇ」
私が手際よく綺麗に纏めた髪を、お嬢様は横に揺らす。私はそれをぼんやりと眺めていた。そして、いつも通りの言葉を述べる。
「お綺麗です」
「ミモザに言われると、悪い気はしないのよねぇ」
「光栄です」
複雑そうな顔で笑うお嬢様。どうにも、自身の容姿が好きではないのだろう。昔からそうなのだ。見た目を褒められる度に、曖昧に笑っている。十五の年頃でその見た目なら、普通はもっと自慢気にするだろうに。
「では、朝食を」
「えぇ」
立ち上がり、部屋を出ようとするお嬢様。私はその背を視線で追いかける。
「お嬢様」
「なに?」
「服が寝間着です」
「……あらまぁ」
こう言う所が、どうにも憎めないのだ。
/////////////////////
人、物の管理を集中して行っていると、日が上がり切っているのを察した。もう昼だ。お嬢様を呼びに行かねばなるまい。
なんだかんだ時間が過ぎ去るのは早いものだ。歳が過ぎれば過ぎる程、それを強く感じる。
「料理長。昼食は?」
「完成しております」
「了解」
簡単なやり取りを終え、お嬢様を呼びに行く。部屋の前に立ち、再びノックを三回。
「入っていいわ」
「失礼いたします」
入ると、お嬢様は肘をついてペンをクルクル回しながら書類と格闘していた。十五の風格ではない。
「昼食が出来ております」
「……行きますか」
そう呟いて立ち上がるお嬢様。部屋から出て、共に廊下を歩く。
「手隙の時でいいから、後で私の部屋に」
「何か?」
「ま、ちょっとした話があるの」
恐らく、異動の件だろう。私をどうするかと言った感じ。さて、どうなるか。
お嬢様を昼食へと送り、私は業務をさっさと終わらせる。本気を出せば早く終わるが、それは維持できないからこそ普段は封印しているのだ。もう何年も繰り返しているが故に、淀みも特に無い。
「お嬢様」
「入りなさい」
三度、部屋を訪れる。促されるまま部屋に入る。
「座って」
「はい」
促されるままに椅子へと座る。お嬢様は書きかけの書類を終わらせようと、ペンを走らせている。カリカリと、心地のいい音だけが部屋に響いていた。
「待たせたわね」
「お気になさらず」
ペンを置いたお嬢様は、少しだけ迷っているようだった。私も何を切り出す気なのか、まだ図りかねていた。
「……まずは、異動の件」
「はい」
「来る?」
これは想定内だ。そして、答えは一つしかない。
「貴女が居られる場所が、私の居場所です」
「そ、そう」
特に表情を変えずに私は言う。あの時から、常に私の心は貴女の傍にございます。
「ま、まぁ良かったわ」
「来ないと思われていたので?」
だとしたら心外もいい所だが。咎めるようにお嬢様へと視線を向けると、気まずそうに目を逸らした。逃げるな。
「そういう訳じゃないわ」
「よかったです」
「で、次」
「はい」
「なんで、ここまでしてくれるの?」
「それは……」
貴女が私の星だからです。言ってしまえばそれだけだが、恐らくそれでは伝わらないだろう。この方は、掌握や知性が非常に強い割りに、自分を信じるのは苦手なのだ。
「神の所在を聞いた日、覚えていますか?」
「覚えてるわ。珍しかったから」
「あの日、私の迷いは晴れたのです」
「何もしてないわよ?」
心底不思議そうにこちらを見るお嬢様。そういう所ですよ。
「どっちがいいの?私は、この概念を考えたことがありませんでした」
「あ、そうなの?」
「えぇ」
神は在るものであるというのが原則だった。そこを疑うなど、ありはしないし、あってはならなかった。故に発想としてなかったのだ、簡単なはずのそれが。
「別に、神を観測しているのは私たちの方でしょ?」
「それを平然と言えるのが可笑しいんですよ」
「???」
そんな馬鹿な、と言わんばかりの表情を浮かべているお嬢様。ほんと、そういう所ですよ。
この概念を神学校で唱えるものがいれば、即異端行きである程度には危険な思考だ。傲慢もいい所だ、と。
「そして、貴女は今でも変わらず居られる」
「いや、別に変わってるわよ?不変なものなんてないわ」
「自覚されているのも、可笑しい話なんですよ」
齢十五の少女が持っている思考にしては強すぎる。何より面白いのは、本人が全くそれに無自覚と言う事だ。私は自分の表情を見られないが、きっと笑っていただろう。
「私は貴女の変わっているようで、全く変わっていないその……芯、でしょうか?」
「えぇ……?変わりまくってるわよ?」
「いいえ、変わっておりませんよ」
その洞察、疑い続ける知性。息をするように見通し、全く想像の付かない角度から繰り出される思考。生まれた頃から貴女を見ていますが、変わっているようで何も変わっていない。
貴女はきっと、完成されている。未完成なままで。私はそう感じている。
「そうなのかしら……」
「えぇ。してその芯に、私は星を見ているのです」
「なるほどねぇ」
そうです。多種多様ながら、その輝きは全てにおいて不変な星。流転する運命。貴女の持つ、不思議で不変な輝きを。
「ま、その忠誠を裏切らないよう頑張るわ」
「在るように在れば、よろしいのです」
「あ、はい」
やっぱり困った様に笑っているお嬢様。知性は貴女の本質です、恐らく失われることはない。故に星。これからも楽しみですよ、私は。
「では……これからも、よろしくお願いいたします」
「えぇ、よろしく」
──────最後まで、貴女と共に。
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