第30話 破戒警棒《モラル・ブレイカー》
廃都の夜、裏通り。
かつては賑やかだった雑居ビルの陰で、三人の小怪人が壁際に固まっていた。
通りの中央に立つのは、赤黒い警備スーツの男――ヒーロー《ブレイカー》。
その右手には、青白い稲妻をまとう警棒が握られている。
電極が青く閃き、路地の闇を切り裂いた。
「ここで怪人活動やりたければ、わかってんだろ?」
三人の怪人は顔を見合わせ、慌てて財布を差し出す。
「待ってくれ、俺たちは廃都の掃除が役割。不法投棄の処分しかしていないんだ」
「戦闘能力のない資源調達班を狙うなんて卑怯だぞ」
「ヒーローがみかじめ料請求とは世も末だな」
「うるせぇ。はやくしろ。こっちも生活かかってんだよ」
ブレイカーはため息をつき、
稲妻が弾け、濡れた壁を一瞬だけ白く照らす。
「
ルールを守らせてやる、“正義の痛み”だ」
その閃光の刹那、彼の顔がよぎる。
かつての理想を信じようとする瞳。
けれど、その光はもう熱を持たない。
かつては防衛局第三隊の隊長――正義を掲げた男の末路だった。
「……正義ってのもコスパ悪いよな」
吐き出した言葉は、もう正義のそれではなかった。
そのとき、風が流れを変えた。
夜気にまぎれて、鈴の音が響く。――カラン。
続いて、乾いた小さな音がした。――カラカラ……。
それはまるで、誰かが夢の中で玩具を転がすような、やさしい音だった。
ブレイカーが振り返る。
路地の奥、街灯の明滅の中に“女の形をした何か”が立っていた。
肌は陶器のように滑らかで、微細な光粉が星座のように流れている。
髪は風に逆らうようにふわりと浮き、瞳の奥では金と紅がゆるやかに入れ替わった。
背には布とも金属ともつかぬ羽根が二枚、呼吸に合わせてかすかに動いている。
胸に抱かれたクマのぬいぐるみが、まるで心臓のように小さく脈打った。
その姿――
「夜のお勉強会、ですか? ずいぶん賑やかですね」
「だ、誰だテメェ……!」
「
ぬいぐるみがぱちりと目を開け、にこにこしながら言った。
「ボクはロラバイお姉さんのアシスタント、ポポンしゃん! 反省の見届け係でーす♪」
ぬいぐるみは愛嬌たっぷりだが、どこか異様な存在感があった。
「お前、戦闘タイプじゃないな。雑魚め、退治してやる!」
「退治じゃなくて、保育です。……少しだけ静かにしましょうね」
ロラバイの指先に光が宿る。
声ではなく、子守唄の残響だけが空気を揺らした。
「やさしさの記憶よ、ひらいて。
嘘と強がりを脱がせてあげる――リグレス・ノクターン。」
その詠唱と同時に、どこからともなく――リンリン……。
澄んだ鈴の音が、路地を満たす。
それは雷光の残響を包み、夜気をまるく溶かしていった。
ポポンがちょこんと跳ねる。
「いっくよー! ピカピカに反省ターイム! お姉さん、まかせて!」
「ぐ……っ!?」
電光が青白く路地を染め上げる中、ブレイカーの体に異変が走った。
装甲がまるで紙のように剥がれ落ちた。
「な……なんだと!?」
声が奇妙に裏返る。喉仏が縮み始めていた。
首筋が細くなり、シャツの襟元が緩んでいく。
両腕が急激に痩せ細り始め、戦闘用の分厚いグローブがぶかぶかになっていた。
「うあぁっ!?」
ベルトがずり落ちた。腰回りが急速に細くなり、ズボンがずり落ちていく。
大腿部の筋肉が溶けるように縮小し、逞しかった脚の厚みが失われてゆく。
膝関節が丸みを帯び、関節自体が短くなっていった。
「身体が……動かん……!」
両肩が狭くなり始めると同時に、胸板の張りがしゅるしゅると抜け、平らな幼い胸へと戻っていく。
腹筋が一本、また一本と消えてゆく様は、まるで熟れた果実が溶けてゆくような有様だ。
「ちがう……オレは……こんな細い腕じゃ、誰も守れねぇ……!」
「かえせ……おれの……ちから……」
しゃがれた声が徐々に澄んでいく。舌の動きも変化し始めていた。
……汚れた力が、すべて洗い流されていく感覚だった。
それは痛みではなく、どこか懐かしい――やさしい“光のぬくもり”。
唇が薄くなり、歯列が小さくなる。顎が丸みを帯び、頬骨が膨らみ始める。
目が大きく潤みはじめるとともに、まつ毛が長く伸びていった。
「ふざけんな! オレはヒ――ヒー……ろー……? あれ? しゃべりにく……?」
とうとう声が完全に変化した。年端もいかない子のような、高い声。
同時に足の指が丸まり、靴底が浮き上がる。
踵が高く持ち上がり、歩幅が極端に短くなった。
そして淡く光を放ちながら現れたのは――
長袖で前ボタンも縦線もない、子ども用の青いスモックと白い襟元だった。
光が収まると、ブレイカーの瞳はぼんやりと宙を見つめていた。
何もわからず、ただ胸の奥がぽっかりと空いたような――そんな感覚だけが残っていた。
「やめて……やめてぇっ……」
頬を伝う涙が真珠のように輝く。
ブレイカーの意識の中で最後に残ったのは、無垢な恐怖感だけだった。
ロラバイはそっと指を立てて微笑んだ。
「大きな声はもういいですよ。……はい、ぺったんこ座り、しましょうね」
「ぺ、ぺったんこ!? やだ……はずかちぃ……!」
「“やだ”って言えるの、えらいですね。……でも今日は、いっしょに反省の時間ですよ。ほら、ぺったんこ〜」
ポポンも「ぺったんこ〜♪」と座り込み、三人の怪人が思わずくすりとする。
ブレイカーは観念して、ちょこんと腰を下ろした。
街灯が一つ、ぱちんと音を立てて消えた。夜がさらに深まる。
ロラバイは腰に手を当て、にこり。
「ヒーローさん、弱い子からお金を取るのは、いいこと? ……だめなこと?」
「……だ、だめ……です……」
「うん、よく言えました。えらいですね」
ポポンが両手を叩く。「ぱちぱちぱちー! ブレイカーくん、すごいねぇ!」
「じゃあ、“なんでだめか”もいっしょに言ってみましょうか」
「……う、うそ、ついちゃ……だめ……。こわいから、つよいふり、ちた……」
「うん……こわかったんですね。……いいですよ、もう。ちゃんと言えましたから」
ロラバイはそっと息を合わせるように囁く。
「じゃあ、そのこわかった気持ちを……お腹から、ふぅって出しましょう。すうー、はぁー……」
ポポンも真似して、胸を膨らませて「すうー! はぁー!」と大げさに呼吸する。
「ロラバイお姉さんもいっしょに、すうー、はぁー♪」
ブレイカーの肩がゆるみ、目に涙がにじんだ。
「つぎは、“ぺんぺん”ですよ」
ポポンが口をとがらせ、さっきまで
小さな手でそのボタン部分を押すふりをして、目を細め、わざと低い声を出した。
「きみの小さなおしり、これでぺんぺんしたら……ドカーンってなるかも……」
冗談半分の声なのに、雷光の名残がちらりと青く瞬き、
ブレイカーの喉がひゅっと鳴る。
「や、やだ……それ、こわいの……」
瞳がじんわり滲み、口元が震えはじめた。
――その様子に、ポポンの顔が一瞬でしゅんとしぼむ。
「うぇっ、ご、ごめんね!? ポポンしゃん、こわがらせちゃったぁ……! お姉さん、ポポンしゃん失敗しちゃった……」
慌てて両手をぶんぶん振りながら、声を高く戻す。
「うそっこだったの〜! びっくり作戦、だいせいこう☆」
ロラバイがくすくす笑いながら手を振った。
「ふふ、大丈夫。そんなことしませんよ。ポポン、冗談はほどほどにね」
「はーい、ロラバイお姉さん! ごめんねぇ、ブレイカーくん。……なかよしあめちゃんどうぞ!」
ポポンは慌てて飴を取り出し、ブレイカーの口にぽん。
甘い香りがふわりと広がり、ブレイカーの表情がゆっくりゆるむ。
「……おいちぃ……」
ポポンは胸を撫でおろしながら、ロラバイを見上げて小声で言った。
「ロラバイお姉さん、ちょっとびっくりさせちゃったけど……いまの“こわい”は、もう消えたみたい」
ロラバイは頷き、やさしく囁いた。
「うん。ちゃんと泣けて、ちゃんと笑えた。……それでいいんですよ」
ロラバイは手のひらでリズムをとり、軽やかにパン、パン。
「これはね、いたくないぺんぺんです。音のリズムで反省しましょうね」
ポポンも手拍子を合わせる。
「パン! パン! お姉さんのよい子のリズム〜♪」
「や、やだぁぁ! みんな見てるぅぅ!」
「ふふ。見られるのが恥ずかしいのも、いいことです。……“悪いことは恥ずかしい”って、体で覚えましょうね」
パン、パン。
「はい、もういっかい。何をしましたか?」
「……みかじめ、りょー……とったぁ……」
「どうしますか?」
「もう、ちましぇんっ!」
「声が小さいですね……はい、もう一度。心からですよ」
「も、もうちましぇんーーっ!」
ロラバイは微笑み、ティッシュを取り出す。
「よくできました。……はい、ハナをふーって。……うん、きれいになりましたね。もう大丈夫、いい子です」
ポポンもティッシュを差し出して、ちょんと鼻を押さえる。
「ふーって、ふーって! ポポンしゃんもお手伝い〜♪」
涙を拭かれ、ブレイカーは情けない顔をしながらも、どこか安心していた。
ロラバイはやさしくうなずき、言葉をつなぐ。
「次は、“おえかき反省”ですよ。今夜の自分を描いてみましょうね」
差し出された小さなお絵かき帳。
ブレイカーは小さな手で色鉛筆を握り、線を走らせた。
震える線が止まり、胸の真ん中に黒い丸を塗る。
「ここを黒くしたのは、どうして?」
「……おなかのとこ、ぐるぐる、してた……。たすけられない、ひが、こわかった……」
ロラバイがやさしく頷く。
「そう……こわかったんだね。もう、がんばらなくていいんですよ。……泣いても大丈夫」
ポポンがそっとブレイカーの手に触れる。
「こわいときはね、“助けて”って言っていいんだよ」
ロラバイはぬいぐるみを抱かせ、両手で包み込む。
「じゃあ、この子に言ってみましょう。“ごめんなさい”と“助けてください”」
ブレイカーはぎゅっとポポンを抱きしめ、かすれた声で言った。
「ごめんねぇ……ポポンしゃん……たしゅけて……」
ポポンの目が柔らかく光り、ぽすんと頭を撫でた。
「うん、聞こえたよ。ロラバイお姉さんとポポンしゃん、ちゃんと助けるね」
ロラバイが微笑む。
「うん、ちゃんと届きましたよ。……もう大丈夫。ほんとに、よくがんばりましたね」
ブレイカーの小さな手が、ロラバイの胸元の布をきゅっと握る。
目の奥の涙が光り、頬をすり寄せながらかすかに呟いた。
「……もう、ひとりにしないで……」
ロラバイはブレイカーを膝の上に乗せ、さらにポポンがブレイカーの膝に飛び乗る。
ブレイカーはポポンの両腕をそれぞれの手で掴んで交互に振り始めた。
「ポポンしゃん、だいしゅき」
ポポンがにっこり笑って、ブレイカーの額に鼻をこつんと当てる。
「それじゃあ、今日からお友だちだね! ずっと大事にしてくれるかな?」
ブレイカーはこくんとうなずき、頬をゆるめて答える。
「うん、ずっと大事にする!」
ロラバイはその言葉に、一瞬だけまぶたを伏せる。
光粉が舞うなかで、その声はあくまでやさしく――しかしどこか祈るように。
「ええ……その言葉、ちゃんと約束ですね。
ここでは“ずっと”が、ほんとうの意味なんですよ」
ブレイカーはただ、眠る前の子どものように笑った。
ポポンが笑い声で包み込み、ロラバイはそっと微笑み返す。
「……いい子です。あなたの時間は、もうだいじょうぶ。
もう泣かなくていいんですよ。ここは、怖いものの来ない場所ですから」
羽根の先から、光粉がふわりとこぼれた。
それは静かにブレイカーの髪に降り積もり、
彼の笑顔をやわらかく照らしていた。
ロラバイは彼を抱き上げ、背中をとんとん。
ポポンがその肩の上にちょこんと乗り、手を振る。
「おやすみー、ブレイカーくん。またねー♪」
ロラバイの胸の中、幼い寝息がゆっくりと溶けていく。
その呼吸に合わせるように、どこからか――カラカラ……。
小さな玩具のような音が重なり、路地の空気をやわらかく包み込んだ。
やがて、ロラバイは通信端末を取り出し、淡く笑いながら通話をつなげた。
「こちらロラバイ。ひとり“よい子”を確保しました」
「こちらソワン。――また増やしたの!? もうぎゅうぎゅうよ」
「ええ、ちょっとだけ。泣き顔が、とても可愛くて」
「あなた、怪人フォルムになると本当に性格変わるわね……。ほどほどにしてくださいね」
「はぁい♡ でも、放っておけなかったんですもの」
「とりあえず回収地点に向かって頂戴。」
通信が切れ、ロラバイはくすりと笑った。
ポポンがその横で、小声で囁く。
「ロラバイお姉さん、それではしゅっぱーつ♪」
眠るブレイカーの髪を、ふたりでそっと撫でた。
鈴の音が夜に響く。――カラン。
そしてもう一度、小さく。――カラカラ……。
⸻
🌙エピローグ(裏路地の三人)
「……おっかねえな……」
「お前ら、ロラバイさんは絶対怒らせるなよ」
「とりあえず助かった。ほら、ゴミ拾いにもどるぞ」
三人の怪人は肩をすくめながらも、
ロラバイの消えた方角に向かって小さく手を合わせた。
――カラカラ。
どこかで、誰かの玩具が鳴った気がした。
⸻
🕊 次回予告
第31話
画面の下に、白い文字が浮かぶ。
まるで誰かが通報アプリで打ち込んだような文面だった。
【通報】第三区画裏路地にて少女が拉致されています。
“鳳凰財団”の後継指定令嬢“セレーネ”と思われます。
怪人三体を確認。至急、ヒーロー出動を。
映像の上には、滲むように別の文字が重なる。
#正義の順番
#泣いているのに誰も来ない
#スポンサーの娘なら助けに来る
コメント欄の流れる文字が、ゆらゆらと画面を覆う。
「これ本物?」「やばい」「早く行けよ」「かわいそう」――。
だが、そのどれもが、イマジアの絵本が生み出した“声の幻影”にすぎなかった。
ページの端がひとりでに閉じる。
映像も、声も、文字も、光の粒となって消えていく。
⸻
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