第34話 宿敵!ノクス・ヘルザード!

夜の園庭。

風は止まり、噴水の水面だけが小さく揺れていた。


毛布を胸に抱いたまま、マリアは机の上に置かれた小さなぬいぐるみをそっと抱き上げた。

丸い耳のくまのぬいぐるみ。ミラが昼寝のときにいつも抱いていたもの。


その体を胸の前で包み込み、頬を寄せる。

「……ミラちゃん……先生の腕、ちゃんと覚えてる?」


声は笑っているようで、かすかに震えていた。

抱きしめる腕が強くなりすぎて、ぬいぐるみの綿がきゅっと鳴る。


「少し寒いね……ごめんね、まだ見つけられなくて……」

マリアは目を閉じ、ぬいぐるみの頭を撫でた。

その仕草は、まるで目の前にミラがいるかのように丁寧で、愛おしく、

同時にどこか危ういほど静かだった。


窓の外の風がカーテンを揺らし、

彼女の髪の隙間から、ひとすじの涙が頬を伝って落ちる。


「ミラちゃん、待っててね。

 先生が、お迎えにいくから……」


その声は、優しさと痛みが混ざった――祈りにも似た囁きだった。



夜の廃都。

かつて無数の灯りが瞬いていた街は、

今では沈黙した灰の谷となり、風の息だけが通り抜けている。


崩れたビルの残骸が月を遮り、

ひび割れた道路の隙間からは、黒い煙がまだ立ちのぼっていた。

鉄の匂いと焦げた空気。

それは、かつて「光の家族」が燃え尽きた夜の名残だった。


瓦礫の上、少女が立っていた。

ミラ。

彼女は両の手を見つめながら、静かに息を吸い込む。


「……ここに来れば、会えると思った」


その声は風よりも静かに、闇の中へ溶けていく。

指先がわずかに震えた。

でも、それは恐怖ではなかった。――決意だった。


灰を踏みしめる音が響いた。

霧の向こうで、低く笑う声が返ってくる。


ノクス「奇遇だな。俺も“光の残り火”を探していたところだ」


黒い霧が形を成し、闇そのものが人の姿をとる。

ノクス・ヘルザード。

〈闇律の三幹部〉のひとりにして、

かつてミラの家族を焼き尽くした怪人。


片腕は刃と化し、黒い槍をもう片方の腕で支えている。

その穂先からは、紫黒の稲妻が散った。


ノクス「檻を抜け出したか、光の娘。

 だが、感情に突き動かされた光は、ただの雑音だ。

 愛も憎しみも、力を浪費するだけの毒にすぎん」


ミラは静かに顔を上げた。

両目には金と蒼の光が交錯している。


「それでも、わたしは“感じる”ことを選ぶ。

 だって、光は心があるから――人を照らせるの」


ノクス「くだらん理屈だ。ならば――証明してみろ」


刃が閃き、黒い槍が稲妻を走らせた。

ミラは跳躍し、左光環レフトアークを構える。


「照らせ、左光環レフトアーク!」


白い光弾が闇を切り裂いた。

しかしノクスは刃を一閃。

鏡のように反射され、光が宙で砕ける。


ノクス「前と同じだな。

 反射される光に意味などない」


ミラは一歩も退かず、むしろ微笑んだ。


「違う。いまの光は――優しいから、あなたを焼けない」


反射された光がノクスの腕をかすめた瞬間、

黒い刃を這う模様が淡く消える。


ノクス「……何だ、これは……」


ミラ「浄化の光。

 闇を否定するんじゃない、包みこむ力よ」


ノクスの目が細くなる。

静かに笑いながら、唇の端を歪めた。


ノクス「……そんな生ぬるい光で、圧倒的な闇を浄化できると思ったか?

 愚かめ――光は優しさを掲げた瞬間に腐る。

 闇を斬る覚悟もない癒しなど、存在する価値すらない!」


その嘲笑が終わるより早く、

ノクスの身体に黒い血管のような紋が走り出した。

それはまるで、心臓の鼓動そのものが外へと溢れ出したかのように脈打つ。


ノクス「黒覇脈オブシディアン・ヴェイン――解放!!」


刃が黒く光り、空気が震えた。

切れ味が鋭く、稲妻を纏う槍の速度も増す。

一撃ごとに地面が抉れ、瓦礫が舞い上がる。


ミラは必死にかわし、左光環レフトアークを放つ。

だが、圧倒的な速度に追いつけない。

頬に血が走り、呼吸が荒くなる。


ノクス「光の片翼よ。

 やはり“残り火”では闇に勝てぬ。」


刃の猛攻が続く中、ノクスは静かに笑った。

その笑みには、哀れみでも憎しみでもない――ただ冷え切った興味のなさだけがあった。


ノクス「我は光を裁くもの。

 だが――“光を捨てた者”に裁きは下さぬ。

 お前はあの夜、自らの半身を手放した。

 右の光を、泣く心を、弱さを。

 欠けた光に価値などない。」


ミラ「……!」


ノクス「ただの残骸だ。

 かつては“完全な光”だったものの、いまは抜け殻。

 殺す価値すら感じん。

 だが――生かす価値はある。

 苦悩しながら、己の欠けた光を抱いて沈め。

 この刃が、お前の魂を“終わらぬ夜”に縛りつけよう。

 深い闇の底で、終わりなき痛みを糧に生き続けるがいい。」


冷たい声が、瓦礫に反響した。

ミラは背中を壁に押しつけられ、逃げ場を失う。

刃の腕が高く振り上げられ――空気が凍りつく。


その瞬間、

闇の向こうからもうひとつの光が閃いた。


ノクス「……なにっ!?」


稲妻の中を貫くように、純白の光弾が走る。

ノクスの腕が吹き飛んだ。


光が弾けた後、

空気がきらめきの尾を引くように揺らめいた。

その中から、静かな声が響く。


ミラ「紹介するわ。――もうひとりの、わたし」


宙を舞う青紫の銃――右光環ライトアーク

そこに宿る魂が、澄んだ声で告げた。


ミレイ「ミラの光は、わたしの涙。

 わたしたちは、もう一人じゃない!」


ノクスの目がわずかに揺れる。

「……壊れたはずの右光環が……動く……?」


右光環ライトアークがまるで意思を持つように旋回し、

影の中を疾走する。

ノクスの背後を取り、次々と光弾を放つ。


だが――闇の槍が唸った。


ノクス「黒槍裂雷ヴォルト・スパイン!」


黒い稲妻が光を裂く。

右光環ライトアークが避けきれず、銃身をかすめられる。


ミレイ「――くっ……!」


銃が地面に落ち、金属音が響く。

しかしミラの瞳が鋭く光った。


「……いまだよ、ミラ」


左光環レフトアークが光を描く。

そして穏やかな輪が放たれた。


「――聖抱環ホーリー・エンブレイス!」


白い環がノクスを包みこみ、闇の血脈を絡め取る。

温かな光が、怒りと憎しみをそっと沈めていく。


ノクス「ちょこざいな……! こんな……光で……!」

身体をもがくが、動けない。

黒覇脈が浄化され、刃が鈍く光を失っていく。


ミラ「ミレイ、合わせて!」

ミレイ「ミラとなら――撃てる!」


ミラ「照らせ、左光環レフトアーク!」

ミレイ「切り裂け、右光環ライトアーク!」


ノクス「やめろ……その光は――!」


ふたりの声が重なり、

夜が震えた。


「――交わる閃光、ヒュージョンショット!!」


閃光が爆ぜる。

空が白に染まり、廃都が一瞬だけ昼のように輝いた。

風が止まり、時間さえも息を呑む。


ノクスの身体が光に貫かれ、黒い霧が散っていく。

焦げた空気の中、わずかな声が残った。


「だが、覚えておけ。

 光がある限り、闇もまた消えはせぬ。

 俺は倒れても――もっと深い闇が、お前を見ている。

 “夜”は終わらん……」


その言葉を最後に、ノクスは灰となって消えた。


――沈黙。

吹き抜けた風が、どこか遠くで音を連れてきた。


――ユラン。ユラン。


ミラは膝をつき、左光環レフトアークを胸に抱えた。

傷だらけの掌に、まだ温もりが残っている。


ミレイ「ねえ、ミラ。これで本当に“光”になれたね」


ミラは微笑みながら空を仰ぐ。


「ううん、やっと“わたしたち”になれたんだよ」


双極光銃ツインレイ・アークがふたたび静かに輝く。

左の光は包み、右の光は貫く。

二つの祈りがひとつになり、夜空に輪を描いた。


遠くで瓦礫の影が崩れ、

その向こうから、朝の光が差し込む。


「お父さん……お母さん……」

ミラはそっと呟いた。

「――やっと、光を繋げたよ」


風が吹き抜け、白い羽根のような光が散る。

ミレイの声が微かに笑った。


ミレイ「夜が終わる音がするね」

ミラ「……うん。だけど――夜が終われば、また朝が来る」


空を見上げると、雲の隙間に金色の光が滲んでいた。

それは夜明けではなく、どこか遠くの街で瞬く灯のようだった。


「ねえ、ミレイ。あの光……見える?」

「うん。あたたかいのに、ちょっとこわいね」


ミラは静かに目を細める。

廃都の夜風が、どこか遠くから金色の光を運んできた。

その輝きは、懐かしい子守唄のように、かすかに胸の奥を震わせる。


――ユラン。ユラン。


風に混じって、誰かの声のような音がした。

ミレイがかすかに身をすくめる。

「……この音、どこかで聞いた気がする……」


ミラは胸の奥に手を当てた。

まだ知らぬぬくもりが、ゆっくりと脈打っている。


戦いの終わりとともに訪れる“やさしすぎる光”――

それは、まだ見ぬ再会の呼吸。

このときの彼女は、

その光が“お迎えのはじまり”であることを、まだ知らなかった。



🕊 次回予告


第35話 あしたもあそぼうね―相思相愛ハッピーエンド―


ヒーローでも、怪人でもなく。

ただ「泣きたかった子」と「抱きしめたかった先生」が出会った場所――。

これは、赦しと再生の物語。


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