第15話 バブルガン

午後、街の外れ。

夕陽の差す舗装道の上を、オレンジ色のお散歩ワゴンがコトコトと進む。

押しているのはセラフィン先生。

乗っているのは――ミラ、ひとり。


ミラの髪は淡いルビーのような赤。

風に揺れるたび、陽光を受けてきらめき、

まるで夕焼けの欠片を乗せているかのようだった。


その瞳は、琥珀の奥にオレンジを溶かしたような色。

見つめるだけで、胸の奥があたたかくなる。


ミラはピンクのシャボン玉銃を構えている。

風にのって光る泡が、夕焼けの中をゆらゆらと飛んでいく。


「ふふ、きれいねぇ。見て、あっちまで飛んでく。」

セラフィン先生が穏やかに笑った。


「せんせい、ほら、あれ虹みたい!」

ミラは無邪気に笑って、シャボンを追いかける。


だが、途中でプシッ、と空気の音。

泡が出なくなった。


「……でない……」

「あら、もうなくなっちゃったみたいね。」


うつむくミラの頭を、セラフィン先生がそっと撫でる。

「大丈夫よ、あとで補充しよう。ほら、まだお散歩は続くわ。」



ワゴンは街外れの高架下を通過中。

セラフィン先生は、少しでも機嫌を戻そうと話しかける。


「ほら、あれ飛行機! ピカッて光ったでしょ。」

「街灯もついたわ、今日は早いのねぇ。」

「ほらあれ、パトカーさん! きっとお仕事がんばってるのよ。」


だが――。


ミラは反応しない。

目は伏せられ、手の中のバブルガンをじっと見つめている。


「……ミラちゃん?」

セラフィン先生が小さく呼ぶ。


どこか、世界の音が遠のいたような気がした。


ワゴンの動きを止め、しゃがみこんで目線を合わせる。

その瞳が――夕陽の赤を反射して、青紫に濁っていく。


「……瞳の色……?」


ミラの口が動く。

「……ミラじゃ、ないよ。」


「え……?」


影がわずかに揺れ、声がもう一度漏れた。

「……ミレイ。わたしの名前は、ミレイ。」


その瞬間、空気が変わった。

風が止み、夕焼けの光が鈍い色に沈んでいく。


小さな肩が震え、影がひとりでに揺れた。



ミレイの手の中で、シャボン玉銃が淡く光る。

「目覚めよ、共鳴の極光――双極光銃ツインレイ・アーク!」。」


プラスチックの筒が溶けるように変形し、

二丁の光銃が姿を現す。


「……まさか……武器の召喚!? この年齢で――」

セラフィン先生が息をのむ。


轟音。

光の弾が放たれ、コンクリートの壁が焼け焦げる。

セラフィン先生は即座に身をかわすが、左肩をかすめた。


「この光……まるでヒーローのものじゃない。

 どうして……こんな、悲鳴みたいな色に――」


周囲から人々の声。

「なんだ!? 怪人か!」「逃げろ!」

パトカーのサイレンが鳴り響く。


「……市街地で混乱は避けないと。」

セラフィン先生は表情を固め、ワゴンを脇にとめる。

ピンクのエプロンのポケットから銀の裁縫箱を取り出した。

中の針がかすかに震え、光を放つ。



公園のフェンスを越え、ミレイが逃げ込む。

夕陽の中、ブランコがきぃ、と揺れる。


「この子……的確に、左胸を狙った。迷いもない。まるで訓練された兵士……」

セラフィン先生は走りながら息を整える。


木陰に潜むミレイ。

もう片方の光銃を構え放つ。完璧な奇襲だった。――カチッ。


その音でセラフィン先生が振り向く。

(気配一つ感じなかった……銃の片方が壊れているの?)


「……ここで終わりよ。」


銀の針が飛び、ミレイの影を地面に縫いとめる。

動きが止まる。

光が消え、銃がゆっくりと地面に落ちた。

バブルガンへと戻っていく。


セラフィン先生が息を整えながら近づく。

しゃがみこみ、幼い彼女を抱きしめた。


「よしよし、もう戦わなくていいのよ。

 ……大丈夫。怖かったね。」


ミレイは目を見開く。

その瞳に一瞬、怒りと戸惑い、そして――

かすかな“安堵”が浮かんだ。


「……ママ……?」

「……え?」


そのままミレイは、腕の中で意識を失った。



数分後。

セラフィン先生の腕の中で、小さな体がもぞりと動く。

瞳の色は、やさしい金色に戻っていた。


「……せんせい、ここどこ? おさんぽ、おわっちゃった?」

「ううん、もう少しで帰るところよ。」


ミラは小首をかしげ、セラフィン先生の腕を見た。

シャツの袖のあいだから、うっすらと包帯がのぞく。


「……せんせい、そこ……いたいの?」

「だいじょうぶよ。ミラちゃんが無事で、先生うれしいもの。」

「ほんと? ……よかったぁ。」


安心したように小さく笑い、

ミラはまたワゴンの中にちょこんと座り込む。


セラフィン先生はその髪をそっと撫で、

オレンジ色の空を見上げながら歩き出した。


カタン、コトン――。

夕焼けに、ワゴンの音がやわらかく響く。


風が頬をくすぐり、

ミラは空に向かって小さな声で言った。


「せんせい、みて! またでた! シャボン、ひとつだけ!」

「ほんとね……きれい。」


透明なシャボン玉が、

夕陽を映してふわりと浮かび、ゆっくりと消えていく。


――その一粒は、

確かに誰かの涙のようで、けれど優しく光っていた。

それは、まだ誰の心にも帰れない、あたたかな光だった。



🕊 次回予告


第16話 あの子は私を“汚い”って言った


ほんとうは泣きたかった。

ほんとうは怒りたかった。

でも、誰も“それ”を許してくれなかった。


だから私は、心の奥に閉じこもった。

あの子に“汚い”って言われた場所で。


――ミレイが初めて、見つけてもらう話。


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