第9話 光が消える音(R-15)
※このエピソードには、心理的圧迫や退行を描いたR-15相当の表現が含まれます。苦手な方はご注意ください。
静かな部屋。
柔らかい照明の下、棚の上にはドライヤーと畳まれたタオルが置かれている。
その横には、開封されたばかりのパッケージ――“トレーニングパンツ”の文字が見えた。
その中央――
マリア先生の膝の上に、シホが小さく座っていた。
髪はお風呂あがりのようにさらりと光を帯び、
着ているパジャマには小さな星の模様。
「シホちゃん、怖い夢を見ちゃったのね。」
マリア先生がそっと背中を撫でる。
「大丈夫、失敗は悪いことじゃないわ」
その手は優しく温かいが、どこか冷たくシホの心を縛る。
「……先生、いつも同じ夢を見て、すっごく怖いの……」
「シホちゃん、よかったらどんな夢を見たか、教えてくれるかな?」
マリア先生の声はどこまでも甘く優しい。
だが、その微笑みには、シホの心を覗き込むような冷たさが潜む。
「……なんか、強い自分になって、悪いやつと戦ってたの。」
シホは小さな手で目を伏せる。
「でも、ずるい手でやられちゃって……全部溶けてなくなっちゃったの。すっごく、ほんとに、怖かった……。」
声は震え、夢の断片――かつての誇りが霧のように消える感覚が、胸の奥でざわめく。
強がるように唇を噛みしめるが、その瞳は怯えて揺れている。
先生は微笑んで、手元の小さなガラガラを持ち上げた。
それは木製で、鈴の部分が不思議な光を放っている。
「大丈夫。これはね、“がんばった子”が安心するための道具なのよ」
マリア先生の声は、まるで蜜のように甘く、静かに心に染み込む。
先生は微笑みながら、シホを膝の上に引き寄せる
「ほら、力を抜いて。こわくないわ」
――リンリン。カラカラ。
ガラガラの音が、部屋の静寂を切り裂く。
その音は、まるでシホの記憶を溶かす魔法のようだ。
「なんか、変な音…」
シホの小さな声が戸惑う。
その軽やかなリズムに、シホの心が揺さぶられる。
「だめ……負けちゃだめ……!」
小さな胸に、訳もなく「抵抗しなきゃ」という衝動が湧き上がる。
「たのしい……? ちがう……ちがうのに……!」
涙と笑いが混じり合い、シホの感情はぐちゃぐちゃに溶けていく。
「やめて……やめてよぉっ……!」
楽しい記憶、無邪気な笑顔、幼い日の温もりが、心の奥から溢れ出す。
シホの内側に宿る誇りは、まるで薄紙のように剥がれ落ちていく。
声は震え、封じ込められていた信念が、必死にしがみつく。
「やめて……まだ、私は……!」
突然、シホの胸の辺りから淡い光が漏れ始めた。
それは、かつての自分を貫く最後の炎のようだった。
震える声で、シホは絞り出す。
「私……まだやれるのに……!」
だが、
――リンリン。カラカラ。
マリア先生は優しく、しかしどこか冷たく微笑む。
「大丈夫、もう戦わなくていいのよ。」
――リンリン。カラカラ。
ガラガラの音が再び響く。
ガラガラの音が響くたび、光は弱々しく揺らめき、やがて静かに消えていった。
シホの信念は、音の波に飲み込まれ、跡形もなく溶け去った。
シホの胸に残っていた信念の輝きは、もうどこにもなかった。
「いやぁぁぁあああ!!!」
シホの絶叫が部屋に響き、力尽きたように体が震える。
その瞬間、トレーニングパンツのピヨンちゃんが、
淡い黄色から、ほんのりとした水色へと変わっていく。
「……うん、教えてくれたんだね」
マリア先生は、そっとシホの背中に手を添えた。
「大丈夫。怖くないよ」
子守唄のようなリズムで、マリア先生が囁く。
「しーしーしー……しーしーしー……」
その声は、シホの心を柔らかく包み込む。シホは泣きじゃくりながら、ついに全てを出し切った。
抵抗の力は消え、信念の言葉はもう出てこない。
「……ぅ……ひっ……ひぃ……」
泣き声は次第に、しゃくりあげる呼吸へと変わっていった。
肩の力がゆっくり抜け、指先までやわらかくなる。
まるで、胸の奥にぎゅっと詰まっていたものが少しずつほどけていくように。
そして――
涙のあとに浮かぶのは、守られた子どもだけが見せる、無防備な笑顔。
「……えへ……」
シホは、マリア先生の服の端をきゅっとつまんだまま、
ガラガラにそっと手を伸ばした。
ころん、と鈴が鳴る。
「……きゃ……は……」
それは、大きな笑いではなく、
涙の余韻に溶けた、小さくてやわらかい笑みだった。
シホは夢中でガラガラに手を伸ばし、無垢な笑い声を上げる。
マリア先生は本物の子守唄を口ずさみ、シホを抱き直す。
その腕の中で、シホの瞼は重くなり、泣き疲れた体は眠りに落ちていく。
胸に抱かれ、優しくトントンと揺らされる。
まるで、生まれたばかりの赤ちゃんをあやす仕草そのもの。「よくがんばったね。えらい、えらい。」
マリア先生の声は、まるで魔法の呪文。
「はい、これでシホちゃんのお話はおしまい。」瞬間、シホの体を柔らかな光が包み込む。
光の中で、シホの体はみるみる縮んでいく。
小さな手足、ぷっくりした頬、穏やかな寝息。
マリア先生は愛おしそうにシホを胸に抱き、ゆっくりと揺らし続ける。
――リンリン。カラカラ。
ガラガラの音が、静かな部屋に冷たく響いていた。
⸻
🕊 次回予告
第10話 あそぼうの歌
どこからともなく聞こえる声。
「♪あそぼう、あそぼうよ〜」
その歌を聞いた子は、みんな笑顔になる。
けれど――
誰も、その歌がどこから聞こえるのか知らない。
⸻
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