第8話 みんなの笑顔が、少しでも長く続きますように

お昼ごはんが終わって、教室には温かいスープの匂いがまだ少し残っていた。

陽の当たる窓辺には、いつものように白い柵のベビーベッド。

ふわふわの毛布がかけられ、その上で小さな手がぱたぱた揺れている――ユウマちゃんだ。


淡い金色の髪が光を受けてやわらかく輝き、

まつげの影が頬に小さく落ちる。

まるで、陽だまりの中に舞い降りた天使のよう。


「ユウマちゃんご機嫌ねー」

ミホが声をかける。

ベッドのそばには木製のガラガラと布のボール。

園では、みんなが“やさしく”をお約束に、自由に赤ちゃんと触れ合っていいのだ。


「順番ね〜、やさしく触ってあげてね」

マリア先生がにこっと合図する。


ベビーベッドの上で、ユウマちゃんが小さく指を動かした。

レンは少し背をかがめ、そっと覗き込む。


淡い銀髪が頬にかかり、群青の瞳が静かに揺れる。

どこか大人びた雰囲気――けれど、その手つきはとてもやさしい。


小さな指先が、レンの指をぎゅっと握った。

「……おっ」

思わず笑みがこぼれる。


「ユウマちゃんは果敢だね〜」

窓から差し込む午後の光が、レンの髪を銀色に輝かせていた。


そのそばで、タクトが積み木を高く積み上げていた。

「ここをもう少し高くして……よしっ!」

慎重に手を伸ばすが、バランスが崩れそうになる。


「タクトくん、支えてあげる」

シホがすっと手を伸ばし、塔を押さえる。

「おお、助かった! さすがシホ!」

「ふふ、どういたしまして」


ふたりのやり取りに、周りの園児たちが笑顔を向ける。

塔が完成し、タクトが小さくガッツポーズをしたその時――


「うぅ……」

ユウマちゃんがまた小さくぐずった。


「ユウマちゃん、どうしたの?」

シホがそっと近づいて、やさしく覗きこむ。

ユウマちゃんは涙をこらえるように顔をしかめている。


「はいはい、これで泣かないの」

シホが小さなガラガラを取り出し、しゃらんと鳴らした。

「いないいない……ばあっ」


控えめだけど、あたたかい声。

ミサポンの元気な“ばあっ”とは違う、

どこか包み込むような優しさがあった。


「きゃはっ!」

ユウマちゃんが笑う。小さな手を伸ばして、ガラガラに触れようとする。


タクトがその様子を見て、にやっと笑った。

「シホってさ、ぜったいお母さんになったら優しいタイプだよな〜」

「えっ……そんなことないよ」

シホが少し照れて目をそらす。


「でもオネショがなおらないのを除いてね〜!」

「なっ……!」

シホの頬がかっと赤くなる。

「それ言わないで!」

「ごめんごめん、本気にするなって!」


おやつの時間になった。

シホはみんなの分を並べ、手を洗って戻ってきた子にミルクを渡していく。

「はい、どうぞ」「ありがとう」

「これ、レンくんの分」「あ、ありがと!」


ひとりひとりに声をかけながら笑うシホに、

ユウマちゃんにミルクをあげていたマリア先生が微笑んで言った。


「シホちゃん、ほんとに頼もしいわね」

「えへへ……わたし、やるの好きなんです」


午後の光がやわらかく差し込み、

カーテンの影がゆらゆらと床に揺れる。

タクトが完成した塔の下で、レンくんが笑いながら歌を口ずさむ。


シホは、静かにそのすべてを見つめていた。

みんなの笑顔が、少しでも長く続きますように――。

そんな願いが、やさしいまなざしの奥に浮かんでいた。


――保育園の午後は、今日もやさしく過ぎていった。



夜。

宿直室。


白い壁に吊るされた時計の針が、静かに音を刻んでいる。

小さなランプが机を照らし、記録帳の上に淡い影を落とした。


マリア先生は椅子に腰かけ、ペンを置く。

ふっと、静けさが降りた。


その瞬間――

机の端に置かれたスマートフォンが、かすかに震える。


小さな音。

けれど、この静寂の中では、まるで世界が呼吸を止めたように響いた。


マリア先生は視線を上げる。

薄暗い光の中、画面が青白く点滅している。


……誰もいない夜。

遠くの園舎から、風に揺れるカーテンの音だけが届く。


マリア先生は少しのあいだ、手を止めたまま――

やがて、ゆっくりとスマートフォンを取った。


彼女の指先が、ランプの明かりを反射してわずかに震えた。

画面を見つめ、息を整える。


そして、静かにスライドを押す。


「……はい。マリアです。」


 


その一言だけが、夜の静けさに落ちた。

ランプの光が微かに揺れる。

カーテンの外、風が止む。


――夜は、音もなく園を包んでいった。



🕊 次回予告


第9話 光が消える音


静かな部屋に、ガラガラの音が響く。

それは優しい子守唄のようで、どこか恐ろしい。


シホがみるのは、自分が霧に溶けていく夢。

マリア先生の声は、心を縛る呪文のように優しく響く。

胸の奥の淡い光が、音に揺らめきながら――静かに消えていった。


※悪夢、屈辱描写あり。R-15推奨。閲覧ご注意を。


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