第3話
受験が差し迫り、気づけば机を眺める余裕すらなくなっていた。
それでも、帰り道にサイダーを買うことだけは忘れていなかった。
そんな頃だった。
彼女の危篤を聞かされたのは。
彼女は重い病気にかかっていた。
告げられたのは高校一年の冬だったらしい。
僕は別れて以来会っていない彼女の家に向かった。
サイダーを二本買って。
彼女の家の玄関前で立ちどまる。こうしてやって来るのは久しぶりだ。
少しぐらい入るのを躊躇してしまうのではないかと思っていたが、僕の足はすんなりと彼女の家の中に入っていった。
彼女の両親に出迎えられ、彼女の元へ向かう。
「よお」
僕はあの頃と変わらない調子で声をかけた。
彼女は穏やかな顔をしていた。
どうしてそんなに穏やかな顔をしているんだと聞きたいぐらい。
僕は彼女の横に腰を下ろした。
「僕、知ってたんだよ。君の病気。」
僕は彼女に語りかけた。
「気づかないわけないだろ?急にサイダーじゃないもの飲んだり、ちょっとずつ距離置こうとしてきたら。」
「オメーの母さんとも仲良いしな。ダテに幼馴染じゃないんだよ?」
そう言って君に笑いかける。
そう。僕は分かっていたのだ。彼女が病気なことぐらい。でも、僕は彼女に伝えることはできなかった。
彼女が言いたくないのなら、そんなこと聞かずに彼女の人生からそっと消える方がいいと思った。
別れを切り出された日、そうはいってもやはり、すぐに別れを受け入れられなかった。もしかしたら、病気のことを僕に話してくれるかも。そう、どこか期待していたのかもしれない。
でも、ついに彼女の口からそれを聞くことはなかった。
「あの日の帰り道、だいぶ頑張ったんだよ?」
そう口に出しそうになって止める。
あの時振り返ったら君に泣き顔がバレてしまうと思ったから。それに、君の肩が震えていたのも分かっていたから。振り返ると、きっと良くないから。
「ごめんね。」
僕が声にできたのはその言葉だけだった。
蚊の鳴くような声だった。
僕は逃げてしまった。彼女の辛さに寄り添えなかった。付き合いが長すぎて、逆に彼女を苦しめてしまうと思った。
僕は彼女の頬にサイダーをくっつけた。
彼女の表情は変わらない。
そっと彼女の頬についてしまった水滴を拭う。
久しぶりに触れた彼女の頬のぬくもりは、あの頃のままだった。
「プシュ」
気の抜けた音が部屋中に充満する。
僕は蓋を開けたサイダーを彼女の枕元にそっと置いた。
自分のサイダーを軽く打ち付け、「乾杯」と1人呟く。
サイダーが僕の口の中でシュワシュワと溶けていく。
僕は涙を堪えきれなかった。
僕は彼女の手を握った。もうろうとする意識の中で、彼女は僕の手を握り返した。とても危篤状態とは思えない、力強さだった。
どれほど経っただろうか。気づいたら、サイダーは空っぽになっていた。
「本当にごめんね。もう、そろそろ帰るよ。僕みたいなのがいても嫌だろうし。」
「いちばんつらい時期逃げた僕のことなんか、きっと見たくもないでしょ。」
僕はこれ以上、彼女の部屋には居られなかった。これ以上彼女の部屋にいたら、これまでの後悔で頭がやられそうだった。
立ち上がろうとした僕の手を彼女は離さなかった。バランスを崩して、彼女の寝ているベッドに倒れこんでしまう。
「……いかないで」
「っ!」
彼女は僕の耳元で、確かにそうささやいた。
僕はもう、目からあふれる涙を止めることができなかった。
「大好き」
彼女はそう一言ささやいた。
「ああ、僕も大好きだ。あの時別れてしまってごめん。振り返れなくてごめん。呼び止められなくてごめん。僕が、バカでごめん。」
どれだけ語りかけても、再び話すことはなかった。
僕は手を握り続けた。彼女の握る力が弱くなり、冷たくなるその時まで。
僕にできたのは、ただそれだけだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます