【第6話 剣の上納:視線誘導と“通行印”の罠】
祭り前夜は、紙と灯りで張り子の獅子を作る時間だ。太鼓はまだ黙っているが、鈴だけが小さく呼吸している。幕の裏で俺は導線の箱を閉じ、統合許可票の束を胸板に挟み直した。紙は温度を覚える。人の群れの熱と、剣の寒さも。
リサが通りの端を見て、虹彩の奥の色を絞る。
「来る。剣の色。三つは素直、ひとつは油が混じる。混ざってるのが、裏」
「隊長格だな」
紙束を軽く叩き、俺は幕の鈴の位置を一つずらす。視線は音に弱い。音が曲がれば、人も曲がる。
石畳の上を、鉄の先端が四本、同じ幅で歩いて来る。王都の治安隊。鎖帷子の鳴りが足並みを揃え、革の匂いが湿った夜に輪郭を描く。先頭の男は鷹鼻で、肩の白線の数が多い。後ろの三人の視線は均等だ。均等でないのは、先頭の眼だけ。剣の色に、薄く油が浮く。
“親方連合の裏”だな、と俺は見立てた。
「露店の諸君」と鷹鼻が声を張った。
「王都治安条例に基づき、警邏協力費を納めてもらう。火気のある露店は一件三銀、無火気は一銀。領収印はこの通行印だ。朝までに巡回を二度——」
条文ざまぁ係が半歩前に出て、板を胸で受けるみたいに抱え直した。声色はわざと柔らかい。
「統合許可票に、通行印欄をご用意してあります。——ですが先に前夜点検の印をお願いします。順番として」
鷹鼻の眉がわずかに跳ねた。
「順番? 我々の印は治安の印だ。順番の上にある」
「順番の上にある印は、たいてい責任が重なります」と俺は静かに挟む。「重さに耐える台紙は、こちらで用意済み。統合許可票の“営業→安全→協力”の順で、最後に通行印を。順番を逆に押すと、印影の微細線が監察局の目録に一致しません。剣のためでもある」
鷹鼻の目が、油と鉄のあわいで細くなる。
「監察局だと?」
「書式は怠け者救済のためにあるが、怠けない剣のためにもある。——ご覧になりますか」
俺は一枚を差し出した。表は露店主の名、火気等級、配置。裏は安全計画と通行印の枠。枠には極細の矢印が彫り込んである。何も知らなければ模様にしか見えない。順番通りに印を置けば、矢印は一本の細い波になって繋がり、印影の隙間で監察用の微細番号が読める。順番を間違えれば、波は途切れ、にじみが出る。にじみは不正押印のしるしだ。書類の嘘は、紙が先に知る。
「……小細工だな」と鷹鼻。「だが、我々の通行印は最後でも構わん。問題は、警邏協力費だ」
ここで、鈴をちいと一つ鳴らす。人の首が半歩分、音に引かれて曲がる。俺は幕の影に一歩沈む。見られていない。背骨で加護が伸びをした。
「協力費は、規定にない名称です」と条文ざまぁ係。「もし寄付として受納するなら、神殿机で仮受納の印を。税務は非課税扱いの救恤に回します。治安隊の机で“収受”の文字を使うなら、条例の条項と“上限”を掲示して下さい。上限が無い徴収は、王都では禁止です」
鷹鼻の鼻が空気を切る。
「我々は——」
「王都役所の書記官です」と、横から乾いた声。昼間に三机を口説いていた書記官が、紙束を持って現れた。エルマーが半歩後ろに立ち、白手袋を背に回している。
「統合許可は三机の仮合意により試行中。協力費は上限の掲示がないため受理不可。受けたいなら、親方連合名義の“前夜点検料”として料金表の枠内で。治安隊は通行印のみ。順番は最後」
鷹鼻の下唇が少しだけ押し出された。油が表に出る。
「……なるほど。紙で剣の鞘を作る気か」
「鞘は剣の居場所です」と俺。「通行印にも“鞘返し”の仕掛けがあります」
「鞘返し?」
「順番を守って押した通行印には、印影の下に極薄の誓約文が浮きます。『非干渉・非収受』。この文の写しが、隊の巡邏記録に綴じられる構造です。剣は、鞘に入っている間は抜かれません」
鷹鼻が笑う。笑顔に油が滲む。
「誓約は紙だ。剣は鉄だ」
「紙は群衆です」とエルマーが穏やかに差す。「群衆は、剣より重い」
剣の重さは人ひとり分。群衆の重さは、祭りひとつ分。紙はその足場になる。エルマーの声の奥に、薄い灰青の色が灯った。リサが袖の陰で囁く。
「彼、昔、祭りで事故を見てる。色が——消せない跡」
だから、彼は順番にこだわるのか。俺は内心で頷いた。
鷹鼻は視線を巡らせ、上納への道を探した。だが、大通りの四隅には料金表と順番の板、鈴の視線誘導、幕の影。露店主たちは統合許可票を胸に掲げる訓練まで終え、通行印の枠を最後の一つだけ空けている。
「——よかろう」と鷹鼻は言った。「通行印のみ押す。巡回は二度。寄付は神殿机で受ける。順番も守る。だが——」
鷹鼻が印台を掴み、露店一番手の票に通行印を押した。最後の欄。微細線は波になり、薄い誓約文が浮いた。非干渉・非収受。
鷹鼻は二番目の露店へ回り、印を持ち上げたところで、俺は鈴を一つ強く鳴らした。視線が十度、そちらへ傾く。俺は幕の影から影へ移り、通路標識の矢印を半寸だけずらす。臨時工事帯で覚えた寸法だ。
ずらした矢印は、治安隊の動線を公的通路の内側に導く。そこは「通行記録が自動複写される」帯。——複写といっても魔法ではない。複写紙を挟んだ板の上に、通行印を押す構造にしただけだ。通路の境界に板を仕込み、押した印が隊の記録帳に逆写しで残る。鞘返し。
鷹鼻は二番手、三番手と印を進め、薄い誓約文を三度浮かせた。背後で副官が囁く。
「隊長、記録帳に逆印が……」
「黙れ」
油が、剣の色に少し溶けた。剣の色は素直だ。素直さは、紙で折れる。
最後の露店に印が置かれたとき、親方連合の男が上納袋を握ったまま、神殿机の前に立っていた。
「じゃ、寄付はここで。仮受納を」
神殿僧が頷き、仮受納印を押す。帳簿に寄付の字が並ぶ。治安隊は収受しない。剣は鞘の中。
小さなざまぁ——上納は寄付になり、剣は紙に矯(た)められた。
◇
終いに、鷹鼻がこちらを見た。油は薄くなり、鉄だけが残る顔。
「工事の者——ユウト、だな」
「工事の者だ」
「覚えておこう。紙で剣を鈍らせた男として」
「鈍らせたつもりはない。鞘を用意しただけだ」
「同じことだ」
彼は踵を返し、部下を連れて去った。鎖帷子の音が遠ざかる。鈴がちちと鳴き、夜風がそれを細く運ぶ。
エルマーが小さく息を吐いた。
「鞘返し、見事だった。——君はほんとうに“外部の心棒”だな」
「心棒は目立たない。目立つと折れる」
「折れないよう、神殿も順番を守ろう」
彼は書記官に一礼し、リサの方に目を向ける。
「仮在籍の件、これで正式に神殿記録に入る。君の自由時間は、月の半分以上。報告は週一、監督署名はユウト。——約束は守る」
リサの虹彩が、金色の灯りを拾って小さく揺れた。
「ありがとう。色が息できる」
「呼吸が続くように、紙を整えるのが私の仕事だ」
エルマーの声の後ろに、灰青の消せない跡がまた見えた。彼は祭りで誰かを失い、それで順番に人生を預けたのだろう。順番は冷たいが、骨になる。
◇
夜明けの手前、露店の半分が前夜点検済みの印をつけ終えた。提灯の系統は無音で通り、鈴の誘導は人の視線を滑らせる。
条文ざまぁ係は木版の削り屑を払って、腰を回した。
「通行印の鞘返し、あれ、版木の筋彫りを変えるだけでできるとはな。紙の鞘、病みつきになりそうだ」
「病むなよ」とグレン。「病むと商売が細かくなりすぎる」
俺は幕の影から朝の空を見上げた。黎明の色が石畳の上に薄く伸びる。見られていない時間が終わる。加護は背中で一度伸びをし、静かに沈む。昼は平凡以下。だが、順番と鈴と幕があれば、平凡でも折れない。
リサが俺の袖をちょんと引く。
「別の色が来る。祝祭の色じゃない。……仮面」
「仮面?」
「笑ってない笑顔の色。古い祝祭劇の仮面。色が硬い。神殿の倉から出したばかり」
エルマーがわずかに肩を強張らせた。
「仮面神遊(しんゆう)だ。古い劇。——今年は“復古”の号令で、本物の仮面を使うと聞いている。だが、記録が少ない。手順に穴がある」
「穴なら、塞ぐ」と俺。「紙と紐と、もし必要なら無音の一撃で」
エルマーが目を細める。
「無音の一撃?」
「見られていない時にしか出ないやつだ。——音が出ない分、順番だけは守る」
鈴がちと鳴った。露店の猫が伸びをし、提灯の骨に朝の光が一筋通った。祭りは始まる。太鼓はまだだが、紙はもう鳴っている。
のんびり暮らす予定は、また一日、先送りになった。紙と剣と仮面が並ぶなら、手は動く。心棒は目立たず、折れず、そこに通る。
――
次話予告:『仮面神遊:古い手順と“無音の一撃”』——復古の祝祭劇に本物の仮面が戻る。手順の穴から“古い影”が漏れ、群衆の色が乱れる。紙で順番を繋ぎ、紐で視線を結び、必要な瞬間にだけ無音の一撃。神殿の倉に眠っていた記録は、欠けた一枚が鍵になる。
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