【第5話 祝祭の黒:露店許可証の迷宮】

 王都は祭りの前日がいちばんうるさい。太鼓はまだ鳴らないのに、紙が鳴る。許可証、申請書、出店配置図、搬入時間帯の札。風にめくられるたび、町が紙で呼吸していた。


 大通りは提灯の骨組みが張られ、屋台の骨が野外美術館みたいに並びはじめている。けれど、並ぶのは骨ばかりで、**肉(中身)**がない。露店の主たちが門前で足止めを食っているのだ。門の木札にはぶ厚い文字。


《出店許可:三種のうち一を携帯》

《搬入許可:事前審査に合格のこと》

《宗教行事協力証:該当者のみ》


 該当者のみ、が曲者だ。該当するかどうかを決めるのは、門の内側にいる人間で、門の外側にいる商人ではない。


 条文ざまぁ係(仮に本名を問うのは諦めた)は、板の上で数式みたいに書式を並べ、指で叩いた。

「三種類の許可証、四冊の規則、五重の利権。迷宮だ。親方連合が“手続き代行料”で儲ける仕組み。低料金で祭りを明るくする、という建前つき」


「明るくするなら、灯りを通そう」と俺。

 リサが大通りを見て目を細める。虹彩の色が忙しく揺れている。

「色が黒く混ざってる。祝祭の金色に、油みたいな黒。門の内側の机から伸びてる」


 そこへ、白手袋がちらりと光った。神殿の執務官、エルマーだ。祭り装束で髪を軽くまとめ、今日は鉄の目の疲れがやや薄い。

「君たちが来ると思っていた」と彼は言った。「仮在籍の件、巫女に提示する準備はできている。——だがその前に王都の机が詰んでいる。露店の締め出しは、祝祭そのものを痩せさせる」

「痩せた祭りは音が軽い」と俺。「太鼓にも、胃袋にも悪い」


 グレンもいつの間にか来ていた。帽子を押さえ、肩で笑う。

「親方連合は“火事の責任”を口実にしてる。過去に一度、提灯の導線が燃えたとかでな。だから許可三種、規則四冊。しかも四冊は互いに矛盾する」

「矛盾を調停する窓口は?」

「窓口三つ。神殿、王都役所、親方連合。窓口が三つあると、責任は四方に散る。数学だね」


 俺は門の陰に臨時柵を組み、板を立てた。墨を摺る。

《臨時調整窓口:露店統合許可票(試行)》

《対象:火気使用・非火気使用の双方/宗教協力の有無は副票で申告》

《根拠:祝祭安全要綱 第三章「一時的配線区域」/露店業務規約 第二章「責任分界」/神殿奉仕規定 第四章「供灯・供音の便宜」》


 エルマーが眉を上げる。

「統合許可票?」

「三つの机を同じ台紙で結ぶ。表は“出店情報”を一枚で記す。裏は“安全計画”だけ。宗教協力は副票扱いで、出店の可否と切り離す。火気の等級は三段階、提灯の配線は一系統一責任で記名。責任は前夜点検の印で分ける」


 条文ざまぁ係が即座に補足する。

「書類の順番は“営業→安全→協力”。祭りの目的は営業と娯楽、宗教は支える形だから三段目。順番が大事なんだ。机の人間は順番で思考する」


 リサは額に手をかざし、人の波の色を見渡した。

「でも、色はまだ黒っぽい。机の後ろに配線の穴がある。提灯の系統が途中で切れてる。去年の事故のやり残し」

「なら、穴を塞ごう。泥と紙に続いて、今日は**電(いなずま)**だ」


     ◇


 夜までにやることは三つ。

 一、提灯の無音配線を通し、事故の言い訳を消す。

 二、統合許可票を刷り、誰でも読める順番に直す。

 三、門の机を紐で結ぶ——物理的に。


 提灯の骨は大通りの上に走っている。配線は魔導導線——金属に魔石粉を練り込んだ紐だ。継ぎ目が甘いと、熱が噛んで事故を呼ぶ。

 月が雲に入る瞬間、俺は屋台の屋根から梁へ跳び、影を影で縫う。見られていない夜は、手に吸いついてくれる。

 導線のコネクタを外し、磨き、薄金箔をなでつける。魔石粉の配合の甘い箇所には細い銀釘を一本、音なしで打つ。電は礼儀正しい。抵抗の低い道を好む。礼儀さえ整えておけば、素直に通る。

 提灯は一つずつ点検して、落ちた火の受け皿(魔火の芯)を網皿に換える。火は落ちる。落ちたときの行き先を決めておくことが安全だ。


 屋根の上から覗くと、門の外ではグレンが商人たちに説明をし、条文ざまぁ係が木版を彫っている。彫る速度が徐々に速くなっているのは、彼が完全にこの仕事に目覚めてしまった証拠だ。

「見たか、この順番!」彼は彫りながら叫ぶ。「“営業→安全→協力”! 読む者の頭がつまずかない!」


 エルマーは机のほうで王都役所の書記官を口説いていた。

「仮受納と同じ発想だ。緊急時の仮運用。祭りは緊急ではないが、群衆は常に緊急に成り得る。前夜点検で安全印を押してから、宗教の協力印を押す。順番を守れば、責任の分界がきれいだ」

 書記官は頷いた。宗教協力の机が一瞬むっとしたが、エルマーが正確に頭を垂れた。

「神殿は灯りを嫌わない。むしろ喜ぶ。灯りが安全ならば」


     ◇


 夜が深くなると、親方連合が動いた。飾り羽根を差した男たちが数人、門の内側から出てきて、臨時柵の板を覗き込む。

「おい、勝手に窓口を増やすなよ」

「増やしてない。結んでいる」と俺。

「誰の許可だ」

「三机仮合意」と条文ざまぁ係が三枚の印影を見せた。「神殿・役所・ギルド(※連合ではなく、公的ギルド)の印。露店主はここで一枚にまとめてから、各机へ回る。往復を減らす」


 親方連合の男は鼻で笑い、足で柵を小突いた。

「紙を一枚にしたところで、俺たちの検分が要る。火の扱いを知らねえ素人が混ざったら、誰が責任取る」

「前夜点検で責任の印を押す。——押すのは親方連合でもいい。ただし、代行料は定額。料金表はここに出す」

 条文ざまぁ係が料金表の板を立てた。

《前夜点検:一露店一銀/火気等級が二以上は追加一銀/再点検は半銀》

《代行申請:一件半銀(併願は一銀)》

《上限:一露店につき一日最大三銀》

 親方の片眉が跳ねた。

「安すぎる」

「高すぎるよりいい。上限を書けば、誰かが喜ぶ」

 グレンが帽子の下で目を細める。

「“誰か”が多ければ多いほど、祭りは明るい。親方さん、祭りが痩せると、来年の代行料はもっと痩せる」


 親方の足が柵から離れた。男は舌打ちをして、指で羽根を撫でる。

「……検分は俺のところでやる。料金表は貼れ。上限も貼れ。文句は出るが、文句の行き先ができるぶん、楽だ」


 小さなざまぁ。倒すのではなく、置く。行き先を。


     ◇


 提灯の系統が繋がったころ、空気の色が柔らかく変わった。魔火の芯が試験点灯でぽっと灯り、骨組みの街に血が通う。

 リサが胸に手を当てる。

「色が明るい。黒、薄くなった。——でも、人が増えると、視線も増える。ユウトの加護、弱る」

「視線を誘導しよう」

 俺は導線の箱から黒い布を何枚か出した。布の端には小さな鈴。風でわずかに鳴る。

「露店の目隠し幕。客の動線を緩く曲げ、視線を流す。曲がり角に鈴を吊る。音は視線を散らす。俺の作業帯は幕の影に入るよう配置。幕の裏でなら、【秘匿加護】は働く」


 幕が張られ、鈴が細く鳴る。人の目は音に連れられ、くるりと曲がって、俺を避けて流れる。見られていない。手が軽い。


 そこへ、エルマーが封筒を持って来た。

「仮在籍の文面だ。巫女——リサの名は空欄。君が外部監督として署名する欄がある。自由時間の規定、神殿業務の上限、報告の頻度。拘束は薄くした。厚くできるのは簡単だからな」


 リサが封筒にそっと触れる。

「色が薄い。息ができる薄さ」

「決めるのは君だ」と俺。「祭りの後でも、今でも。どちらでも穴は塞げる」


 リサは封筒を胸に抱え、軽く頷いた。

「……今、サインしたい。色がいちばん、きれいだから」

 エルマーの目が微かにゆるむ。

「ここに」

 彼女は筆を取り、仮在籍の欄に名を書いた。俺は外部監督の欄に署名する。条文ざまぁ係が「いい字だ」と茶化し、グレンが「恩は折れない範囲で」と笑った。


     ◇


 夜、試験点灯の時間。大通りに初灯がともり、人だかりがどっと息を呑む。

 ——と、そのとき。通りの反対側で、提灯の列が一瞬暗くなった。

「穴」リサが囁く。「配線、枝線に噛んだ」

「見られていない帯へ」

 俺は幕の影をすべり、梁へ上がり、薄金箔の継ぎ目をひと撫ででなじませる。銀釘がちと微かな音を立て、電が通る。明るさが戻り、人のどよめきが安堵に変わる。

 親方連合の男が遠目に親指を上げ、王都役所の書記官が慌てて書類に前夜点検済みの印を押す。神殿の僧が手をかざし、エルマーが静かに頷く。


 小さなざまぁは、誰も傷つけず、誰の手柄にもならない形で効くのがいちばんいい。

 紙と電で穴を塞ぐ間、祭りは太鼓の前の息を長くした。明日、音はもっときれいに鳴る。


     ◇


 深夜、露店の灯りが試験運転を終え、人波が薄くなる。門の前に残ったのは、書類を抱える数人と、鈴の音に酔った猫。

 条文ざまぁ係が腰を伸ばす。

「統合許可票は明日、本番。三机の印も揃った。印影を木版に起こして、偽造防止に微細線を入れておいた」

「ずいぶん**“書式屋”**に慣れたな」

「向いてるんだよ。怠け者を救うのが性に合ってる」


 グレンが酒瓶を差し出す。

「兄さん、いや先生、エルマー殿も。薄い酒だ。仕事の後に濃い酒は転ぶ」

 エルマーは口だけで笑った。

「神殿では酒は儀礼だが、ここでは労働の終わりだな」

 彼は少しだけ飲み、白手袋を懐にしまった。

「君の外部監督の印、確かに受理した。明日から、神殿は君に報告の形を合わせる」

「形は人を助けもするし、削りもする。削らない形を増やそう」

「努力しよう」


 リサは封筒を抱き、提灯を見上げる。虹彩の色が、金色に薄く揺れる。

「色が、ちゃんと祝祭になった。黒はまだあるけど、穴じゃなくて影に変わった」

「影なら上等だ。穴より、ずっと踏みしめられる」


 そのとき、通りの端から別の色が近づいた。油ではない、煤でもない。刃の色。

 リサが目を細める。

「……王都の治安隊。色が剣。親方連合の裏と繋がってるのが混ざってる。露店の上納を取りに来る」

「祭り前夜に、それは品が悪い」

 俺は幕の位置を見直し、鈴の位置を一つ変えた。

「紙と電は通した。次は人の通り道。剣を紙に迷わせて、鈴で視線を散らす」


 のんびり暮らすつもりが、祭りは自分で自分を招いてしまう。招かれたら、行く。見られていない帯で、静かに強く。


――

次話予告:『剣の上納:視線誘導と“通行印”の罠』——治安隊が露店から上納を徴収に来る。紙の順番で剣を鈍らせ、鈴の音で視線を散らす。統合許可票の“通行印”に小さな罠を仕掛け、剣は自分の鞘へ戻る。エルマーの過去が一瞬だけ“色”になる。

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