特別編「18話 ネットで届けます!レスキュー!聞いて!わたしはここにいる!」

ミドジマの夜明けは、いつも海の色から始まる。

一日の最初の光は水平線ではなく、水面の下からやってくる。

海水の温もりと冷たさが混ざる場所――その境界で、夜明けはゆっくりと生まれるのだ。

薄紫がにじみ、青が一層重なり、最後には波の端が白くほどけていく。

静寂。けれどその静けさは、いつでも割れてしまいそうな薄いガラスのようだった。


管制室の空気は、すでに小刻みに震えている。

冷却ファンの唸り、モニターの微細な振動、データの点滅が作る沈黙。

金属の冷たい匂いが、空気の奥にほのかに漂っていた。


ユニはいつものようにヘッドセットを手に取り、耳に合わせる。

マイクの角度を一度直し、指先でテンポを二度打ち、息を整える。

それは、彼女にとって心を落ち着かせるための小さな儀式だった。


カチ、カチ――。

指先がリズムを刻む間に、コンソールの横で小さなランプが点滅する。

個人チャンネルの着信ランプだ。

ファンレターが届く時間ではない。まだ送信準備すらしていない早朝だった。


「ジェイ、これ……自動反応じゃないよね?」


ホログラムのカエルがコンソールの上に跳ね上がった。

透明なボディに金色の回路が走る。

「ファンレターじゃないにゃん。これはSOSだにゃん。」

ホログラムの瞳の中で、無数の文字列が走った。

「タイトルは『レスキュー、聞いて!』。本文は文字化け。音声ファイルが一つ添付されてるにゃん。」


ユニの視線が即座にモニターへ向かう。

指先の下で〈再生〉のボタンがひやりとした。


「再生して。」


――シッ。

一瞬の静寂のあと、ノイズに埋もれた声が流れ出した。


「……レ……ス……キュ――……き、い……て……わた……しは……ここ……に……」


金属の砕ける音、塞がれた空間で漏れる深い息。

途切れた音節の残響が、ノイズの隙間でかすかに脈打っている。


「ウーサン星団、ニューコア領域。ストネン採掘場だにゃん。」

ジェイコアがヘッダーログを開く。マップ上の一点が光を放ちながら浮かび上がった。

「DECGの公式通信は閉鎖。個人回線経由で脱出した信号。公式ルートじゃないにゃん。」


ユニは一瞬、目を閉じた。

自分のファンチャンネル――一般向けメッセージボックスに救難信号が届くなんて、規則書には載っていない。

だが今は、規則よりも迅速な判断が求められていた。


「ルカ、復元できる?」

金属アンテナの反射光がルカの頬をかすめる。

「可能です。ノイズの下に、生きた“息”があります。波形を再構成します。」


「カナエ、発信位置を絞って。」

カナエは指先でコンソールを叩いた。

「DECGノード三層、市民ネット二層を通過。迂回五回。範囲は1.7平方キロまで絞れた。図面さえ取れれば、現地レスキューが動ける。」


EEがモニター上段に通信グラフを表示した。

「光年距離通信。波動遅延は0.38秒予測。感応演算を開始。送信と受信の位相差を0.2以内に維持します。」


ユニは瞼を開けた。

海は相変わらず青かったが、その青はもう違う色に見えた。

指先が冷たい金属の表面を滑り、マイクが口元へ固定される。


「ジェイ、今日は“月明かりモード”で。」


ジェイコアの尻尾のような光線がぱっと点滅する。

「Blue Moon Chorus、起動だにゃん。」


その瞬間、コンソール上の照明が青い波に変わった。

伝送網の振幅が高まり、データ波動がスピーカーのグリルを掠めて抜ける。

まるで月光が海面を滑っていくような微かな震えだった。


ユニはマイクに手を置く。

その光は、今だけは波よりも確かなものに感じられた。


外の海は依然として静かだった。

しかし、ミドジマの空気はすでに緊張で熱を帯び始めていた。

ユニの一呼吸ごとに音声波形が生成され、ジェイコアの画面上の周波数グラフが細く明滅する。


EEが報告した。

「感応演算、同期完了。信号遅延0.32秒に補正。」

カナエがルカの肩を軽く叩いた。

「図面、もうすぐ完成。準備は?」

「いつでも。」ルカが短く答える。


ユニはもう一度息を吸い込んだ。

海の匂いではなく、電線の匂いが肺の奥に入る。

その瞳に月光が映った。それは照明ではなく、人々の“息”が集まった一つの信号だった。


「ブルームーン・コーラス、送信開始。」


ユニは指先で送信キーを押した。

公式ネットのアイコンではなく、個人チャンネルの小さな円形マークが青く光る。


「こちらミドジマ救助ネット、グロリアです。

 もし聞こえていたら……息で合図をください。」


マイクの向こう、誰もいない宇宙の空気が深く沈黙した。

機器は正常に動作している。それでも、この光年の距離を越えて“息”が届くのか――誰も確信できなかった。


その時、スピーカーがかすかに震えた。

心拍よりも遅く、波よりも不規則なリズム。

波形の上に、小さな点が灯る。


「……聞こえる?」ユニが囁いた。

ジェイコアが耳をぴんと立てる。

「人間だにゃん。心拍パターン、生きてるにゃ。」

EEがデータを拡大。

「周期間隔2.3秒。不安定ですが人工信号です。」


ユニは息を吸った。指先が冷たくなり、掌がじんわりと汗ばんだ。


「よし。」

短く言い切ると、もう迷いはなかった。


「今すぐ歌を送ります。位置データの準備をしてください。」


その一言が、作戦開始の合図になった。

コンソールのインジケーターが順に点灯し、

月光のような色の波が送信ラインを走る。


ジェイコアが周波数を走査する。

「送信帯域確保。感応共振、準備完了だにゃん。」


ユニはマイクを口元に寄せた。

風ひとつない夜明け前の静寂。

その中で、最初の音節がゆっくりと空気を揺らす。


月明かりが導いてくる

moonlight

迷った星座を/みちびくコンパス


一語ごとに、光が波の上に散った。

空気中の塵が音に共鳴して震え、ガラス壁に反射した光が

小さな星のように瞬く。


EEのグラフが上昇した。

「受信遅延0.32秒。信号拡散、良好。」


――月明かりが道を開く。


ユニの声は単なる音ではなく、ひとつの座標だった。

光年の彼方で途絶えていた信号が、その座標に合わせて少しずつ息を吹き返す。


遠く離れたモニターに、鉱道の図面が明滅しながら再生された。

ルカが息を呑む。

「データパケット、帰還中……自動復元しています!」

カナエが端末を叩く。

「待って、DECGのファイアウォールが自動で開いた。

 これ……あなたの声に反応してるわ。」


ジェイコアが小さく口笛を吹いた。

「銀河の向こうまで響いてるにゃん。ブルームーン・コーラス、完全発動だにゃん!」

EEが数値を読み上げる。

「共鳴率73%……81%……上昇中。」


ユニは瞼を閉じた。

自分の声が、金属とデータと月光の狭間を通っていくのが手のひらに伝わった。

スピーカーの震えが、心臓の鼓動と重なる。


moonlight

compass


遥か彼方、ニューコア領ストネン採掘場の映像が

低い電波帯のノイズの中から現れ始めた。

鉱道の壁。宙に浮かぶ粉塵。

灰色の岩の下で、かすかに動く誰かの手。


その動きと、ユニの歌詞が重なった瞬間、EEが報告した。

「生体パルス反応、確認。第一次受信成功。」


ユニは目を開いた。

モニターの向こうの海は、もはや月光ではなく、青い波動で輝いていた。


「いいわね、続けよう。」


次のフレーズが唇から零れた。

その歌は再び空気を震わせ、ミドジマの夜を覚醒させた。


ジェイコアがニューコア現地のデータを逆探知した。

ホログラムの空間に浮かぶマップは、数千の点が点滅を繰り返し、

その一つひとつが鉱道のフレームや坑内の温度を示していた。

点が乱れ、やがて一本の線を形づくる。


「ストネン採掘場、Bラインの図面を確保。

 フレーム疲労が進行、Cカーブ区間は崩落の危険大だにゃん。」


ふだんなら冗談混じりの声も、この時ばかりは無駄がなかった。


ルカが解析端末の調整を続ける。

「ミドジマの送信波をニューコア側の受信網で複製・増幅できるように

 回路を再構成しました。波動遅延0.3秒台、安定中。」


EEの金属的な音が空気を震わせた。

「生体パルス、三件検出。成人二名、子供一名と推定。

 現地レスキューのHUDにリアルタイムで反映します。」


モニターには三つの赤点が浮かび上がる。

ひとつは弱々しく、ひとつは一定のリズムを保ち、もうひとつは不安定に明滅していた。


カナエが指先でマップを回しながら呟く。

「Cカーブの裏はフレームが古い。崩れる確率が高いわ。

 回避ルートを字幕にして案内する。現地の映像装置に出せるはず。」


ユニはその光点をじっと見つめ、深く息を吸った。

「……いいわ。月明かりは、道を見失わない。」


手がマイクに伸びる。

コンソールの波形グラフが銀色に瞬き、

唇が触れた瞬間、低い響きが波動となって走り出した。


ブルームーン

ブルームーン

moonlight

アオに染まる


音の波が画面を横切る。

グラフは震え、重なり合うパターンがひとつのリズムに変わった。

EEの光学センサーが点滅する。

「共鳴率83パーセント。生体信号の強度上昇。

 対象A、心拍68から84へ回復。」


ルカが小さく息をもらす。

「生きてる……これは確かです。」


ジェイコアが尻尾のような光線を弾ませる。

「現地ネットから可聴反応! 受信機の電源、一部復帰。

 ミドジマ送信、届いてるにゃん!」


その報告と同時にコンソールの波形が跳ね上がった。

遠いモニターの中で光点がひとつ、強く輝く。


ユニの瞳に、その閃光が映る。

光年を越えて届いた、たったひとつの“生きている”証。

まだ消えていない希望の光だった。


「……つなげて。」

ユニの声は低く、けれど確かな指令だった。


ジェイコアの画面が白く光り、EEの報告が続く。

「位置信号を確保。座標送信完了。ニューコア救助隊、接近開始。」


カナエがヘッドセットを軽く傾けながら笑った。

「ミドジマの歌が、銀河の端まで届いたね。記録に残す価値ある日だわ。」


ユニは再び息を整えた。

海の塩の匂いではなく、金属と埃の匂いが胸の奥まで流れ込む。

指先がわずかに震える。だが、声は透き通っていた。


ブルームーン、ブルームーン

moonlight—


その音が消えるよりも早く、遠いデータ画面に新たな波形が現れる。

EEが短く告げる。

「可聴反応、確認。」


ジェイコアの声が弾んだ。

「聞こえたにゃん! 月光が、道をもう一度開いたにゃん!」


ユニは瞼を閉じた。

コンソールに残る波動の余韻が、指先から心臓へ伝わる。

その瞬間、ミドジマの夜明けとニューコアの闇が、ひとつに溶け合った。


ユニとジェイコアが中継画面を開いた。

ホログラムの黒い背景の上に、一本の線が描かれていく。

ミドジマの軌道とニューコアの位置を結ぶその線は、

金属光ではなく、淡い月光の色だった。

波のように伸びては切れ、また繋がる。

リアルタイムで計算される信号ディレイが、一目で分かるようになっている。


EEが静かにグラフを読み上げる。

「受信区間、安定。ストレス指数71から53に低下。パニック値29から16。」

数字だけ見れば冷たい報告だったが、その数値の裏では確かに人の表情が変わっていた。

モニターの小さな映像フィード。ヘルメットのHUDが灯り、

その光が瓦礫の中でかすかに揺れていた。


送信サーバーのサブモニターには、チャットが流れ続けている。


#나여기있어

#ここにいる

#青い音が聞こえる

#もう少し大きく


文字はただの記号ではなかった。

一つひとつの行にそれぞれ異なる周波数が宿っており、

コンソールのセンサーに触れるたび、小さな光粒が弾ける。

カナエがその光景を見つめ、口元に微笑を浮かべた。

「これはもう合唱ね。リアルタイムのフィードバックが、歌に反応してる。」


ルカが反射波のグラフを拡大した。

曲線が一度だけ大きく跳ねる。

「呼吸がひとつ増えました。子どもです。胸郭リズムが成人より1.5倍早い。」

ジェイコアが尻尾のような光を忙しく振った。

「可聴反応、確認だにゃん! 共鳴帯に新しい波形が生まれたにゃん!」


ユニはモニターに映る波形を見つめ、ゆっくりと顔を上げた。

「いいわ、テンポを変える。」

声のトーンが落ち、呼吸が一拍長くなった。


誰かに悲しみの色だっと言われても

しんぴな蝶々/blue

信じてるプロミス


歌詞が画面を覆う。

文字列は単なる字幕ではなく、光の軌跡として描かれた。

EEが即座に数値を報告する。

「感応率86パーセント。生体信号B、安定。呼吸リズム、同期中。」


ユニの声が深い青に染まっていく。

「誰かはこの色を悲しみと呼ぶかもしれない。でも――」

一拍置き、瞳がモニターの光を反射する。

「これは約束の色。」


ジェイコアが反応した。

「コーラス増幅だにゃん。波動フォルディング512、

 月の光は畳めば畳むほど遠くへ届くにゃん!」

言葉と同時に、送信装置の下部に組み込まれたコイルが銀色に光る。

電子波が折り重なり、再びほどけ、月光のように滑らかに流れた。


ユニはそのリズムに合わせてマイクへ息を吹きかけた。


ブルームーン

ヒラヒラり

なみのように


歌はただの旋律ではなく、一つの曲線だった。

ミドジマのコンソールで生まれた波動が、

ニューコアの地下坑道の壁をかすめた時、振動は反射して戻ってきた。

石の震え、金属の残響、そして誰かの弱い心臓の鼓動。


EEが報告する。

「生体パルスC、反応上昇。体温指数35.1度。意識反応、確認可能性80パーセント。」

カナエが息を吐いた。

「一番遠くで、一番小さな心臓が答えてる。」


ユニは目を閉じた。

彼女の脳裏に浮かぶのは、モニターの青い点ではなく、

その向こうで微かに響く“息”の音だった。


「続けるわ。まだ終わってない。」


歌が再び空気を震わせた。

コンソールの光が月光のリズムに合わせて、まるで踊るように明滅する。

ミドジマの夜明けとニューコアの闇の間に、

ひとつの波動――ひとつの声――ひとつの青い月光が、流れ続けていた。



EEの声が一段高くなった。

「波動共鳴率98パーセント。テキスト入力を検知。」

モニター上のグラフが跳ね上がり、ラインの隙間にノイズが走った。

同時にチャット欄が震え、小さな文字が流れた。


……き……こ……え……る

な……よ……こ……に……い……る


ユニの指先が止まる。

コンソールの縁に触れた爪がかすかに鳴った。

呼吸が胸の奥で詰まり、数秒の沈黙のあと、ゆっくりと吐き出された。

視界の奥で、波形の残光がまぶたの裏に残る。


「……聞こえる。」

言葉は囁きよりも静かに空気に溶けた。

「そこに、いるのね。」


その瞬間、モニターの地図上でひとつの点が強く光を放った。

EEが即座に座標値を読み上げる。

「位置確定。反射波と一致。対象、生存。」


ルカの手が素早く動く。データが整列し、数値が流れる。

カナエがカーソルを追い、指先で一点を打った。

「現地救助隊に転送完了。市民ネット経路でルーティング成功。」


コンソールの経路ウィンドウに、無数の迂回線が描かれた。

複雑に絡まったラインが、ひとつの流れにまとまり、

まるで迷路の先に開いた一本の道のように整理されていく。


EEが再び告げた。

「受信確認。現地救助隊、接近中。」


その言葉は報告であり、祈りでもあった。


ユニは息を吸い込んだ。

これが最後の一節――心の底でそう分かっていた。

声帯の震えを意識しながら、音を送り出す。


宇宙のそら

感じて

moonlight

みちびくコンパス

わたしはここにいる


その詩は単なる歌詞ではなく、座標の宣言だった。

遠い宇宙の片隅に刻まれる、ひとりの存在の証。


海の果てで生まれた声が、光年を越え、

見えない地下の坑道の壁を震わせていた。

EEのセンサーが異常値を記録する。

「反響値、閾値を超過。これはノイズではなく、応答信号です。」


モニターのチャット欄に新しい文章が浮かんだ。


……レスキュー、ありがとう。ブルームーン、聞こえたよ。


ユニはマイクから顔を離さなかった。

コンソールに落ちる月光が、肩をやさしく撫でる。

その光が波のように揺れ、空気が震えた。

彼女は最後のコーラスを、静かに、長く引いた。


ブルームーン、ブルームーン……


波形はゆるやかに沈み、風のような余韻だけが残る。


ジェイコアが目を半ば閉じ、静かに言った。

「月光チェイン、完走だにゃん。」


その一言とともに、送信ラインの光がひとつ、またひとつと消えていく。

コンソールの照明が落ちた空間に、

ミドジマの朝の光がゆっくりと差し込み始めた。


EEが報告を締めくくる。

「送信終了。全生体パルス、応答完了。」


ユニは何も言わず、指先に残った波動の余熱を感じた。

金属の冷たさの奥に、まだ微かな脈があった。

そしてそれは、言葉よりも確かなひとつの事実を伝えていた。


――月光は、ほんとうに届いたのだ。


送信はゆっくりと止まっていった。

金属の残響がコンソールの内部を流れ、

その下で微かな機械音が呼吸のように続く。

EEが最後のデータパケットを整理し、画面の波形が平らになった。


「全送信ログ、整理完了。」

冷ややかな声が空気を横切る。

カナエは隣でタグログをまとめ、指先でファイルを閉じた。

まぶたの下に、ようやく疲れが滲む。


ユニはまだヘッドセットを外さなかった。

耳を包むマイクは温もりを残している。

コンソールの上に浮かぶ個人チャンネルのアイコンをそっと押した。

通知がひとつ、柔らかな音を立てて開く。


レスキュー、ありがとう。ブルームーン、聞こえたよ。


たった二行のメッセージ。

けれど、その短い言葉には、遥かな距離の熱が確かに宿っていた。

ユニは何も言わず、しばらくその文字を見つめていた。

吐息がヘッドセットを伝い、静かに消える。


窓の外では、海の青い息がゆるやかに流れていた。

“生きている”という証が、音もなく世界を満たしていく。


「わたしたちは直接そこへ行けなかったけれど――」

ユニはゆっくりと言葉を紡ぐ。

声は低く、しかし澄んでいた。

「声は届きました。どこにいても、呼べばレスキューは駆けつける。

 それを、忘れないでください。」


ジェイコアが肩の上に跳ね上がった。

ホログラムのカエルの瞳に、銀色のデータが流れていく。

「ユニの声、銀河を縫っただにゃん。」

その調子は軽かったが、かすかに震えが混ざっていた。


EEが淡々と報告を続ける。

「月光チェイン・プロトコル、更新完了。

 個人チャンネルSOS手順、追加完了。」


ルカは隣で最後の波形を見つめ、ゆっくりと保存ボタンを押した。

「このデータ……“希望”という名前にします。」


カナエがモニターを閉じながら微笑む。

「次は、月がなくても届くようにしよう。」

ユニはその言葉に頷いた。

「ええ、月がなくても――届かせよう。」


コンソールの光がひとつ、またひとつと落ちていく。

ヘッドセットを静かに外すと、金属の表面に月の形の光が残った。

それは波のように広がり、やがて溶けて消える。

その消える瞬間、空気がふっと膨らんだ。

まるで海がひとつ、深い息を吐いたようだった。


けれど、全員が知っている。

ある種の余韻は、消えることで残るのだということを。


すべてのシステムが待機モードへ移行する。

その時、個人チャンネルの通知がもう一度だけ灯った。


……ここにいる


ユニはその文字を見て、微笑んだ。

「……わたしも、ここにいる。」


彼女の声は送信されなかった。

けれど海は、その言葉を理解したかのように

静かに光を返した。


ミドジマの波間に月光がかかり、

その光はニューコアの空の向こうまで

一本の線のように、淡く揺れていた。


ブルームーン、聞こえたよ。

ありがとう。



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