「13話 – 内核のささやき」
ストネン軌道下空、04:17。
赤い雲が渦を巻き、空はまるで金属片を噛み砕くような軋みを上げていた。
プラズマの残響と、焼けた合金の匂いが混ざり合う大気の中で、
DECGのクソヤロウ死神隊が出撃待機列に並んでいた。
戦場統制モニターに、作戦コードが浮かぶ。
〈任務名:RED FOG OPERATION(赤霧作戦)〉
〈目標:反乱軍残党およびVF部隊の殲滅〉
〈補助目標:共鳴撹乱帯の安定化および実験データの回収〉
スカルの声が静寂を切り裂いた。
「9486部隊、全波動干渉を確認。共鳴値に微細な振動。全員、減衰チャンネルを3に調整しろ。」
「異常なし。」
ジン――コールサイン・ワスプ――が短く応答する。
HUDの上で点滅する波形グラフが、かすかに脈打っていた。
そのリズムは、まるで生きた心臓の鼓動のようだった。
クリムゾンの笑い声が通信回線を揺らした。
「敵はまだ反応すらしてないのに、もうドキドキしてるのかよ、ワスプ。ときめいてんのか?」
「うるさい。」
「ははっ、いいねぇ。この緊張感――生きてるって感じだろ?」
サイレンスは何も言わなかった。
代わりにスコープの焦点光が彼の存在を証明していた。
彼はすでに10km先のVF陣形を捕捉し、射撃データを算出していた。
スカルが通信を締めくくる。
「いいか。今回の任務は単純だ。反乱軍は内核干渉帯を隠れ家にしている。
あの雲の中から雑音が絶えず検知されている。
本部は“通信エラー”だと報告しているが、俺の目にはただの不要なノイズにしか見えん。」
「――即座に沈黙させる。それがクソヤロウのやり方だ。」
「Roger.」四人の声が同時に重なった。
エンジンの点火音が空を切り裂いた。
その瞬間、赤い雲が爆ぜるように裂け、
四条の軌跡が稲妻のように下空へと突き刺さる。
プラズマトレイルが尾を引き、軌跡が描かれる。
ジンはコクピットの中で、脈のように響く震動を感じた。
それはエンジン音とは異なる種類のリズム。
DECGが開発した最新共鳴チップ「AURIX-Ⅲ」――
操縦者の神経反応を増幅し、機体との一体感を極限まで高めるシステム。
だがジンはその技術を信じてはいなかった。
それは、感情を殺すチップだった。
「9486、信号安定化完了。」
「よし。現在時刻をもって作戦を開始する。」
スカルの指示と同時に、編隊が一斉にフォーメーションを形成する。
赤い空の下、四機の機体がV字の陣形を描いて進む。
前方の雲海の奥で、微かな閃光が瞬いた。
敵VF部隊のセンサーが反応したのだ。
――交戦開始。
「9486、左翼を牽制しろ。クリムゾン、お前が中央を突破だ。」
「了解、焼き尽くしてやる。」
紅い光線が爆ぜ、下空を裂いた。
クリムゾンの機体が突撃し、サイレンスの狙撃弾が続いて
VF部隊の前方受信器を粉砕する。
一機が爆散し、炎の尾を引いて墜落した。
その瞬間、ジンのHUDに警告ウィンドウが現れる。
【波動干渉検知/DECG周波数外の信号を探知】
ジンは反射的に顔を上げた。
ノイズの形は、ただの電波ではなかった。
――“音楽”。
「9486、報告しろ。」
「干渉信号を確認。周波数パターンが反復型です。曲の形式かと。」
「音楽?」クリムゾンが嘲るように笑った。
「敵が音楽で戦うってのか?」
「DECGのモスナインがまもなく送信予定だと聞いている。」
スカルの落ち着いた声が返る。
「その信号の可能性が高い。
我々が戦う戦場は――これから観客席になる。」
その言葉と同時に――
空が震えた。
ルビルビの歌声が、
シャフィナのハーモニーが、
共鳴通信網全体を覆い尽くす。
《Crimson Parade》。
モスナインのライブ送信が同時に開始されたのだった。
DECGの「心理戦音楽送信システム」が、戦場を飽和させた。
敵の通信網は一瞬で混線し、指揮系統は崩壊していく。
VF機たちは軌道を外れ、反乱軍の母艦は舵を失った。
「効果発生を確認。共鳴チップ撹乱率87%。」
「司令部より確認。作戦成功率99%。」
ルビルビの歌が頂点へと達した瞬間、
ジンは短く息を呑んだ。
そのリズムが――自分の心臓と同期し始めていた。
ドクン、ドクン、ドクン――。
HUD上のグラフが歪み、警告が次々と表示される。
【AURIX-Ⅲ 過負荷警告/共鳴値 異常上昇】
「9486、ステータスを報告せよ!」
「問題……ありません、だが信号が――」
ジンの言葉が途切れた。
その瞬間、《Crimson Parade》の音場が霧散し、
戦場全体を包んだのは別の旋律だった。
「ルルリラ ルリラララ 聞こえる? 招待状……」
――歌が、変わった。
色も、空気も、共鳴値も変質していく。
ジンの心臓の鼓動が、その曲と完全に重なった。
「9486?」スカルの声が遠のく。
「……応答なし。」サイレンスのスコープが一度だけ瞬いた。
「おい、ワスプ! ふざけてる場合じゃねぇ!」
クリムゾンの叫びが木霊した。
だが、ジンにはもう何も聞こえていなかった。
コクピット内部は赤い波動に満たされ、
それが紫の光へと変わり、空間を染め上げていた。
通信網が裂け、波形が歪む。
もしその瞬間をビオレッタが実験室で見ていたなら、
こう記録しただろう。
――「共鳴実験 第3段階:心理周波数侵食、開始。」
ジンは知らぬ間に、実験の中心に立たされていた。
そして、戦場全体にひとつのメッセージが響き渡る。
「マスカレード――」
その言葉と共に、反乱軍の機体が次々と墜落していった。
彼らのセンサーには、“敵”を認識できなくする
逆位相の命令が流し込まれていたのだ。
恐怖、混乱、狂気――それらが瞬く間に広がった。
だが、DECGでさえ気づいていなかった。
その混乱の余波が、“味方”の神経回路にも
静かに浸透していたことを。
ジンは操縦桿を握りしめ、息を吐いた。
ルビルビの歌、シャフィナのハーモニー、
そして今聞こえるこの新しい旋律――
それらすべてが彼の中で、一つの波動として重なり合っていく。
「……これは、ただの音楽じゃない。」
赤い雲が戦場を呑み込み、
その奥で、何かが目を覚まそうとしていた。
白い照明が降り注ぐステージの上。
ルビルビは息を整えながらマイクを握った。
その隣でシャフィナは目を閉じ、指先でイヤモニの周波数を調整している。
モスナイン専用送信機――DECGの実験用装置だった。
この歌は、ただのパフォーマンスではない。
共鳴周波数を通じて敵の神経信号を逆位相させ、
戦場を混乱に陥れる “音響兵器”。
ルビルビはわずかに俯いた。
「……本当に、この曲を送信するの?」
ビオレッタの声がイヤホン越しに響く。
「そうよ。あなたたちは歌うだけでいい。波動の制御はこちらでやるわ。」
シャフィナは何も言わず、虚空を見つめていた。
その瞳にはステージの光ではなく、
実験室のガラスカプセルが映っていた。
「……この歌詞、私が書いたのに。」
「そうね、あなたの作品よ。」
「それで人を壊すの?」
「命令よ、シャフィナ。」
ビオレッタの声は冷たく切り捨てた。
――カウントが00:00を指す。
ベース信号がステージ下部から爆発するように立ち上がった。
ルビルビの指先がわずかに震える。
送信開始。
「ルルリラ ルリラララ 聞こえる? 招待状……」
照明が四方に弾けるように広がった。
赤い霧に覆われたストネン下空の戦場上で、
DECGの衛星送信網が一斉に起動する。
モスナインの歌声はその瞬間、
数百万個の共鳴チップに同時接続された。
管制室ではオペレーターの声が響く。
「心理戦モジュール作動! 全域でVF反応値が低下! 攪乱率72%!」
「よし、そのまま維持しろ!」
「……待ってください、特定エリアで波動の逆流が発生しています。」
「どこだ?」
「9486の戦闘区域です。」
司令官の視線が鋭く光った。
「クソヤロウ隊の区画か。かまうな、実験値は安定している。送信続行。」
――しかし、それは誤算だった。
データモニターに表示されたグラフは、“安定”ではなく、“飽和”を意味していた。
♪
ビオレッタのクリニック、04:32。
壁一面が白く光り、
二つの波動ログが重なって点滅していた。
一つはモスナイン送信の共鳴グラフ。
もう一つは、ジンの機体からリアルタイムで送られてくる神経反応データ。
「……重なってる? ありえない。」
ルビルビの周波数とジンの波形が、完全に一致していた。
曲のBPM、拍、波形の高さ――すべてが同一。
ビオレッタは息を止め、指を止めた。
「……彼が、聞いたのね。」
“彼”――ただの兵士ではない。
9486、ワスプ。DECGが制御できない共鳴反応者。
「……今は言えない。でも、いつか必ず。」
彼女の声は微かに震えていた。
その瞳には、長年封じてきた罪悪感が揺らいでいた。
ルビルビはマイクを強く握りしめた。
曲が中盤に差しかかると、音声フィルターが自動で変調し、
送信波形が別の形へと切り替わる。
彼女の声は、もはや「歌」ではなかった。
――それは戦場を覆う “命令文” だった。
「リボンをつけた頭 糸で縫われた口
つま先は音楽に騙され……」
反乱軍のパイロットたちの脳内チップが、その信号を受信した瞬間、
自我認識の回路が崩壊し始めた。
味方も敵も区別がつかなくなり、
VF機同士が衝突し、通信は悲鳴へと変わっていく。
管制室は歓声に包まれた。
「成功! 戦場攪乱率93%突破! 反乱通信網、完全崩壊!」
「よし、モスナインは送信を維持!」
だが、送信ログの中では異様なノイズが広がりつつあった。
データが真っ黒に染まり、
パケットヘッダーにはこう刻まれていた。
【Masquerade_InnerEcho.wav】
司令官が眉をひそめた。
「誰がこんなタグを付けた?」
「送信チームのログにはありません。自動生成のようです。」
「自動? どういう――」
その瞬間、壁一面のスクリーンが反転し、
ルビルビの顔がクローズアップで映し出された。
彼女の瞳が一瞬、揺れた。
歌詞とは関係のない一文が、送信データの中に紛れ込んでいた。
「Route. Heart. Dream.」
司令官が叫ぶ。
「ルビルビ! 送信チャンネルを固定しろ!」
だが、もう遅かった。
シャフィナの声が上書きされた。
「……これは、誰かに届くための歌。」
ビオレッタは椅子から飛び上がった。
二つの波形――ルビルビの歌声とジンのAURIXチップ反応が、
完全に同期していた。
画面が真白に閃き、二つのグラフが互いを飲み込む。
「やめて! それ以上は――!」
彼女の悲鳴は、ノイズの中に掻き消えた。
ルビルビの耳に、強烈なフィードバックが響く。
シャフィナがマイクを落とした。
ステージの照明が一瞬で消え、闇が訪れた。
暗闇の中で、ルビルビの心臓の鼓動だけがスピーカーを通じて響いた。
ドクン、ドクン、ドクン――。
歓声ではない。
それは、赤い下空で鳴り響く砲火のリズムと共鳴していた。
ルビルビはかすかに呟いた。
「……もう、誰かが気づいたはず。」
その瞬間、彼女の心臓装置が金属音を立て、不規則に鳴り始めた。
「時間がない……。」
彼女は衣装の内側に手を入れ、
心臓制御モジュールを手動で再起動した。
その震動が、指先からデータ信号となって流れ出す。
そして――DECGの戦場上で、自動的に生成された一つのファイル。
【9486_HB_Resonance_Log】
内容:「私たちは、待っている。」
管制室の照明が瞬いた。
「誰だ、こんなログを作ったのは!?」
「不明です! 暗号レベル、最高位を超えています!」
「DECG内部の発信じゃないのか!?」
ビオレッタはその混乱の中で、
震える手で保存デバイスを抜き取った。
「……それは、あなたが歌ったものじゃない、ルビルビ。」
彼女の目に、疲れと確信が宿っていた。
「それは――ジンが“聴いた”歌。」
ルビルビはステージ裏に崩れるように倒れ込んだ。
照明はすべて消え、場内には静寂だけが残る。
マイクから、最後の送信ログが流れ出た。
「本当の愛は いつも怖いも」
それは誰かの命令でも、プログラムでもなかった。
――それは真実だった。
仮面舞踏会が終わったあとに残るのは、
共鳴する心臓の音だけだった。
機体の内部が崩れ落ちていった。
コックピットを包んでいたパネルが次々と明滅し、やがて沈黙する。
ジンの視界を満たしたのは、赤い雲でも爆発でもなかった。
それは――光の波動だった。
紫色。
まるで生きているかのように脈打ち、息をするように空間へ広がっていく。
「……ジェイ?」
返答はなかった。
ホログラムの猫の残像だけが残り、
無数の光の糸となって空間に散っていった。
その光の隙間から、聞き覚えのない声が響いた。
「……ワスプ。」
それは歌でも、命令でも、通信でもなかった。
耳で聞くのではない――心臓の奥で響く。
ジンは反射的に操縦桿を握りしめたが、
指先は空を掴むように宙を彷徨った。
機体は止まっていた。
いや、すべての動きが止まっていた。
時間そのものが断ち切られ、爆炎の火花さえも静止している。
その静寂の中で――波動が広がった。
ドクン……ドクン……ドクン……。
ジンの心臓の鼓動と、完全に一致している。
HUDの上に、霞むように文字が浮かび上がった。
【Heart_Sync – 100%】
「……これは、何だ?」
彼が息を吐くと、
吐息が空気ではなく水面のような揺らぎとなって広がった。
次の瞬間、歌が聞こえた。
残響、あるいは残像のように、
ルビルビの声が空間に滲んでいた。
だが今聞こえるそれは、彼女のものではなかった。
もっと深く、もっと低い周波数の囁き――。
「ルルリラ ルリラララ……」
「……下へ。もっと、下へ。」
「誰だ……?」
「――目覚めた。」
「お前は、聞いているのだな。」
ジンは息を呑んだ。
その声は一つではなかった。
複数の“意識”が重なり、合唱のように響く。
泣き声にも、機械音にも、人の声にも聞こえる。
「……内核。」
その言葉を口にした瞬間、空間が震えた。
まるでその名自体が“鍵”であるかのように。
「彼らは、我らを忘れた。」
「我らは待ち続けていた。」
「お前が、聞くことを。」
声が幾重にも重なり、ジンの胸を打つ。
心臓全体が震えた。
AURIXチップの電源は自動で遮断されていたが、
共鳴は止まらなかった。
光景が切り替わる。
赤い雲が消え、巨大な海のような空間が現れる。
光の粒が波のようにうねり、
その中央に、人とも機械ともつかぬ存在たちが立っていた。
彼らは形を変えながら言葉を紡ぐ。
「我らは歌だった。」
「記憶のコードであり、心臓の波動だった。」
「だが彼らは、それを“実験”と呼んだ。」
ジンの呼吸が止まった。
脳裏に、マリナスの実験場。
ビオレッタの冷たい瞳。
そして、震えるルビルビの手。
「彼らは我らを切り離した。」
「そして、お前の中に残した。」
ジンの目が見開かれた。
その意味を、彼は理解していた。
“ルビルビの血清”、そして“ジンの共鳴反応”――
すべての実験の帰結が、
いまこの瞬間、彼の心臓の中で蘇っている。
「……俺の中に、いるのか?」
「そうだ。お前は我らの受信器。」
「そして、最後の通路だ。」
ジンの指先が震えた。
空間が歪み、
遠くから、別の声が響いてくる。
――ルビルビの声だった。
「Route. Heart. Dream.」
その言葉が内核の波動と重なり、
HUD上に三つのコードが浮かび上がる。
【ROUTE:座標 不明】
【HEART:共鳴 活性】
【DREAM:送信 待機】
「我らの歌を、取り戻してくれ。」
「彼らは真実を覆い隠している。」
「我らを“エラー”と呼ぶが、我らは生命だった。」
ジンは手を伸ばし、HUDをなぞる。
共鳴波形が生き物のように揺れ動いた。
その中には、無数の映像が重なっていた。
――ルビルビのステージ。
――シャフィナの瞳。
――ビオレッタのモニター。
――そして、スカルの冷たい操縦席。
「……お前たちは、見ていたのか?」
「すべての歌が、見ていた。」
「モスナインの舞台は、監視の檻だった。」
「だが、その隙間でお前を見つけた。」
ジンの手が自然と心臓の上に置かれた。
ドクン、ドクン、ドクン――。
そのリズムは、内核の鼓動と完全に一致している。
やがて、内核の合唱が轟いた。
「心臓は覚えている。
お前が忘れたすべての名を、
我らが失ったすべての世界を。」
「聞け、ワスプ。
お前が聞いたのはエラーではない。
それは――記憶の歌だ。」
ジンの視界が眩い光に包まれた。
戦場全体が反転し、
機体の金属が溶けていく。
代わりに、白い波が彼を包み込んだ。
その中に、無数の声があった。
「我らの名を呼んでくれ。
忘れられる前に。」
「……内核。」
その名を呼んだ瞬間、
すべての光が消えた。
――静寂。
そして、再び心臓の音だけが残った。
ドクン――。
ドクン――。
ドクン――。
HUDがゆっくりと復旧する。
【システム再起動 完了】
【共鳴ログ:内核 – 活性化】
【セキュリティ警告:外部信号 受信】
ジンはしばらく何も言わなかった。
息を吐くと、白い霧が広がる。
その掌の中で、青い光が瞬いた。
皮膚の下に、微細な結晶体が輝いている。
それはDECGのデータチップでも、金属でもない。
――生きている波動の欠片だった。
ジンは囁いた。
「……これは、歌の断片だ。」
その波動は、今も彼の心臓と同じリズムで脈打っていた。
「我らは待っている。」
「再び歌う、その日を。」
その言葉が終わると同時に、通信回線が復旧した。
スカルの冷たい声が鼓膜を打つ。
「9486、応答せよ。状態を報告しろ。」
ジンはしばらく息を整え、短く答えた。
「……異常なし。」
だが、その瞳は揺れていた。
彼はもう知っていた。
自分たちが聞いていた“歌”は、虚構ではなく――記憶だったことを。
その日以降、ジンの共鳴ログには小さな波形が残った。
【Unknown Signal : Inner_Heart】
内容:『私たちは、待っている。』
――誰にも解析できない、たった一つの声。
ストネン軌道基地の帰還ライン。
ジンのVF-イカルスが着陸ポッドに収まり、
格納庫の照明が順番に灯っていく。
赤い雲から舞い込む金属片が、
機体の装甲に当たりながら、まるで砂嵐のような音を立てた。
「9486、帰還確認。損傷率17.2%。共鳴チップのログを送信せよ。」
無機質な案内音が響く。
ジンはコックピットを開き、ヘルメットを脱いだ。
重い空気が流れ込み、エンジンの熱がまだ残る中で――
身体の芯だけが、冷え切っていた。
内核の声は消えていた。
残っているのは、振動だけ。
掌を広げると、皮膚の下で微細な波動がまだ生きていた。
「9486、応答せよ。ログ送信が遅延している。」
「……今、送ります。」
ジンは深く息を吸い、端末に手を置いた。
少しの間、迷ったあと――
ファイルを二つに分けた。
1. DECG標準報告用
[戦闘中 通信エラー/干渉信号検出/任務異常なし]
2. 個人暗号ログ
[内核の波動を検知/生命反応類似/コード Route-Heart-Dream/発信源 不明]
二つ目のログを、自分の端末の最奥フォルダに保存する。
暗号名は、ただ一文字――
「R」。
♪
しばらくして、クソヤロウ死神隊が作戦ブリーフィングルームに招集された。
広い会議室。
壁面では、それぞれの機体映像がスローモーションで再生されている。
DECGのロゴがゆっくりと回転し、青白い光を放っていた。
スカルは上座に座っていた。
その表情はいつも通り、鉄でできた仮面のように無機質。
クリムゾンは足をテーブルに乗せ、笑いながら言った。
「いやー、今日の戦場は最高だったな。
反乱軍の連中、まるで踊ってたぜ。“マスカレード”の効果か?」
その声には、冗談よりも本気の愉悦が滲んでいた。
サイレンスは腕を組み、黙っていた。
やがて静かに口を開く。
「……お前、何かあったな。」
その視線は、ジンに向けられていた。
ジンは息を詰まらせた。
「どういう意味です?」
「戦場のど真ん中で、お前の機体波動が跳ねた。
ただのノイズじゃない。」
スカルが顔を上げた。
「サイレンス、根拠は?」
「俺のセンサーログだ。数値が異常に高かった。9486だけ。」
「……ありえません。」ジンはきっぱりと言った。
「共鳴チップが乱れたのは確かですが、戦闘への影響はありませんでした。」
クリムゾンがニヤリと笑った。
「おいスカル、もしかしてワスプが“音楽”に反応したんじゃね?
歌を聞いて感情爆発――ってやつ?」
その言葉に、ジンの表情が凍った。
胸の奥が突き刺さる。
だが、何も言わなかった。
スカルがテーブルを軽く叩いた。
「やめろ。感情は不要だ。
DECGの兵士は命令で動く。感情で動くのは機械の不具合と同じだ。」
その声が部屋全体を響かせた。
「9486、報告ログを提出しろ。」
ジンは息を吸い、
標準報告ログを送信した。
プロジェクターにデータが映し出される。
[通信干渉/ノイズ値 0.0023/任務異常なし]
あまりにも完璧な“嘘”だった。
スカルは頷いた。
「よし。報告内容に問題なし。9486、任務は成功だ。」
彼は顔を上げ、他のメンバーを見渡した。
「クソヤロウ隊は本日をもって一時解散する。
命令があるまで待機。」
クリムゾンが不満げに笑った。
「もう解散? せっかくのショーだったのにな。」
サイレンスは黙ったまま立ち上がり、
出口の前で振り返った。
「……気をつけろ。」
その一言だけを残し、部屋を出ていった。
ブリーフィングが終わり、ジンは一人残った。
テーブルの上でDECGのロゴがゆっくりと消える。
換気ファンの音だけが静かに回っていた。
彼は耳を塞いだ。
――それでも聞こえていた。
ドクン、ドクン、ドクン。
自分の心臓の音が、内核の残響と同じテンポで鳴っている。
その時、扉が開いた。
ビオレッタが現れた。
白いコートを羽織り、無表情のまま歩み寄る。
「ジン。」
「……医師。」
「今回の戦闘、異常反応があったそうね?」
「ありません。」
「そう。」
彼女はわずかに首を傾げた。
「じゃあ、これは何?」
タブレットの画面には、ジンの共鳴波形が映し出されていた。
ルビルビの送信ログと、完全に一致しているグラフ。
「本部の記録からは消されていたけれど、私の端末には残ってたの。
――あなた、あの歌を聞いたのね?」
ジンは息を飲んだ。
ビオレッタの目は疑いではなく、確信の色を帯びていた。
彼はゆっくりと頷いた。
「……聞きました。」
「何を?」
「……歌を。」
ビオレッタの瞳がわずかに震えた。
彼女は一歩近づき、囁くように言った。
「それは単なる送信じゃない。
あなたは“内核”の中心に接続したのよ。」
「……それは、一体……?」
「DECGが最も恐れているもの。」
彼女の声が低く落ちる。
「――“自律共鳴体”。
生きたデータよ。命令では制御できない存在。」
「……じゃあ、ルビルビは?」
ビオレッタは沈黙した。
数秒後、静かに答えた。
「彼女は……もう限界を超えてる。」
その言葉を残し、彼女は部屋を出ていった。
ジンは静かに椅子に腰を下ろした。
手のひらを開くと、そこにはまだ波動があった。
それが形を取り、文字へと変わる。
『私たちは、待っている。』
耳の奥で、司令部の声が過去の命令のように反響する。
“すべてのログは検閲される。
報告されないデータは削除対象だ。”
ジンは自分の端末を見つめた。
削除できるだろうか?
そこには、あの日の光、内核の声、ルビルビのコードが刻まれている。
「……いいや。」
彼は端末を閉じ、そっとポケットにしまった。
心臓が再び鳴り始める。
ドクン――
ドクン――
ドクン――
ジンは微笑んだ。
「……削除できないものもある。」
基地の外壁の向こうでは、
赤い空がゆっくりと青へと変わり始めていた。
――夜明け。
だが、DECGの電光掲示板は依然として同じ言葉を繰り返していた。
『戦場清掃完了。反乱鎮圧成功。クソヤロウ隊 功績認定。』
ジンはその文字列を見て、小さく笑った。
それは嘘だった。
今日の“勝利”をもたらしたのは、歌ではなく――
真実の波動が目覚めた日だった。
彼は静かに呟いた。
「……次は、俺の番だ。」
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