「11話 – 真実の粒子」

VF-イカルス機体の操縦席。

ジンはシートベルトをゆるめ、HUDに浮かぶ曲線グラフをじっと見つめていた。

作戦前のチェックとはいえ、目の前で明滅している波形はマニュアルに載っているどの数値とも一致しなかった。


その揺らぎは、まるで心臓の鼓動のように規則的で——

だが、ごくわずかに震えていた。

それは単なる通信ノイズではない。


『……これは、音楽?』


その瞬間だった。

機体の内部スピーカーから、ほんのかすかな残響が漏れた。

まるで誰かが歌の一節を切り取り、機械の中に隠しておいたかのように。


「……君は今、どこに立っているの?」


息が詰まった。

その歌詞は、MOS9(モスナイン)のどのレパートリーにも存在しない。

《Crimson Parade》《Seed Code:R》《Heart Sync》――彼は何度も再生して覚えている。

だが今、耳にしたそれはどれにもなかった。


「……再生エラーか?」


ジンは操縦桿の横にあるモジュールを押し、ログを開いた。

だが機体の記録装置には異常はなかった。

代わりに、短い周波数ログがひとつだけ残されていた。


共鳴値:0.0023

判定:未確認


ノイズと片づけられるほどの微弱な値。

だがジンは本能で悟った。

――これは、ノイズなんかじゃない。



出撃待機時間。

外部スクリーンでは、MOS9の最新ステージ映像がリハーサルのように流れていた。

戦場はいつだって“公演”と並走していた。

兵士には士気の高揚を、市民には文化の象徴を。

だがジンの目には、その舞台はまったく別の意味を持って映っていた。


ルビルビの手の動き。

シャフィナのまなざし。

そして何度も繰り返される言葉。――Route、Heart、Dream。


『……これはただのサビじゃない。』


頭の奥に、第五話での共鳴テストがよみがえる。

あの時、HUDに浮かんだ虹色の波形。

そして研究員たちがこっそりと口にした言葉。

――送受信コード。


「ジン。」


耳慣れた声。ジェイコアだった。

猫型の小さなホログラムが、操縦席の隣にぽんと現れる。


「機体ログ、何か記録されたゲコ。」


「見た。でも……解析できるか?」


「ふむ……微細な共鳴の痕跡。普通なら消去されるはずなのに、生きてるゲコ。

まるで誰かが、わざと残したみたいだゲコ。」


ジンの背筋に冷たい汗が流れた。

“わざと”――?


「そうゲコ。波形の中に繰り返し構造がある。コードに近いゲコ。」


――公演、歌、波形、コード。

そしてさっきのメッセージ。


「……君は今、どこに立っているの?」


誰が残した?

ルビルビか? シャフィナか? それとも――まったく知らない“何か”か。


ジンはふと、ルビルビが言った言葉を思い出した。

『私たちは、ステージの上でしか真実を語れない。』


HUDの波形を指先でなぞる。

心拍のように上下する曲線――だが末端がわずかにねじれていた。

それはエラーではなく、「ここを見ろ」と指し示す矢印のようだった。


「ジェイ、これは……歌でもメロディでもない。」


「……?」


「コードだ。送受信コード。」


ジンの鼓動が速くなる。

もしそうなら、これは自分へのメッセージ。


――公演全体ではなく、たったひとりの受信者へ送られた信号。


「……じゃあ、なぜ俺なんだ?」


DECGは数多の兵士を動かしている。

なのに、ルビルビ(あるいはシャフィナ)はなぜ自分を指名したのか。

消された記憶ではなく、“体”が反応していた。


共鳴のたびにHUDが揺れ、データの欠片が残る。

そしてそこに刻まれる言葉。


「……君は今、どこに立っているの?」


ジンは操縦桿を握りしめ、低くつぶやいた。


「……これは、ただの舞台じゃない。」


『出撃準備。戦術モードへ移行。』


司令部の命令がスピーカーを通して響いた。

HUDの画面には、さっきまでの“歌詞”のようなメッセージはもうなかった。

ただ標準マニュアルだけが表示されている。


だが耳の奥には、まだ残響がこびりついていた。


「……君は今、どこに立っているの?」



スカルのHUDには、共鳴干渉値 0.0023 が点滅していた。

それは単なる誤差のはずだった。

だが彼は、その誤差すら許容しなかった。


「共鳴パターンが歪んでいる。原因を解析。」


AIが即座に応答する。

【DETECTING – WSP9486 / SOURCE: VOCAL WAVE】


「……ワスプか。」


スカルは部下の波形ログを開いた。

9486号機――ジンの機体。

その共鳴値は、ルビルビのステージ送信周波数と完全に同期していた。


「……制御範囲を超えているな。」


「共鳴は命令だ。感情は変数となる。」


彼は指先でジンの信号を強制リセットしようとして、

――ふと、止まった。


「……リズムが、生きている。」


彼の声は機械のように冷たかった。

しかしその奥底に、かすかな緊張が混ざっていた。


「死んだ戦場はつまらん。だが……これは危険だ。」


彼の瞳の奥で、わずかに炎のような光が揺れる。


「その“鼓動”が本物なら……いつか、俺の前に立つだろう。」



地上突入。

ビームと金属がぶつかり合う轟音の中でも、クリムゾンは“音”を聴いていた。


「これだ……これが、戦いのビート。」


ルビルビの送信曲Seed Code:R

彼女は爆発音のリズムに合わせて引き金を引いた。


「Route, Heart, Dream……

歌詞ひとつでここまで動きが合うなんて、信じられないわね。」


一緒に飛んでいた兵士が怒鳴る。

「クリムゾン! なんで曲の拍に合わせて撃つんだ!」


「その方が、正確だからよ!」


彼女の共鳴チップは限界近くまで過熱していた。

音楽が途切れれば、彼女の戦闘感覚も死ぬ。


だが今だけは――生きていた。


「……歌が、私を動かす。」

「誰かが、この戦場を“調律”している。」


クリムゾンは目を細め、笑った。


「いいわね。これが“本当の戦い”。

血じゃなく、リズムが流れる戦場。」



遠く離れた高地。

サイレンスはスコープの向こうに青い波動を見た。


照準線が揺れる。


「……異常信号。発信源、ワスプ。」


改造された聴覚神経が、通常の人間には聞こえない高周波を捉えていた。

歌と信号の境界が、溶け合っている。


彼は静かに呟く。


「聞こえる。

その心臓、まだ止まってはいないな。」


通信機にノイズが走った。


「……君は今、どこに立っているの?」


サイレンスは引き金を引かなかった。

代わりに銃口を空へと向け、囁く。


「ここで――聞いている。」



イカルス機のエンジンが低く唸り、格納庫の床を震わせた。

出撃ラインに並ぶ機体の中で、ジンは無意識にその震動を“ベース音”のように感じていた。


『……まだ残ってる。この“痕跡”が。』


待機中の通信モニターの片隅に、ステージの映像が重なって映る。

ルビルビが腕を掲げ、シャフィナが無表情のままマイクを握る。

曲名は《Seed Code:R》。


ジンは深呼吸し、集中を取り戻した。


「送信開始。」


ジェイコアの声が響く。

「音響パターン、配置完了ゲコ。兵士たちの士気曲線、上昇中ゲコ!」


音楽が広がった瞬間、HUDが一瞬ちらついた。

波形が再び現れたのだ。

今度ははっきりと、歌詞にはない単語が浮かび上がる。


「Route…」

「Heart…」

「Dream…」


「……っ!」


指先が震えた。

意識的に無視しようとしたが、

機体がその言葉を“命令”として受け取ったように、

エンジンの回転数がリズムに合わせて変動した。


サブモニターには断片的なデータが刻まれていく。


「ジン! 機体が反応してるゲコ!」


「わかってる……感じるよ。」


戦場への突入。

無人機が三機、前方に出現。

DECGのセキュリティか、それとも攪乱用か。


HUDには明確な識別信号が表示された。

[TARGET: DR-31]

[TARGET: DR-32]

[TARGET: DR-33]


操縦桿を握る手に自然と力が入る。

同時に――曲のサビが戦場を震わせた。


「心臓が育つ夢を見た――」


HUD上に先ほどの単語が重なっていく。

[Heart – Sync]

[Dream – Route]


「……ありえない。」


ジンは息を呑む。

「これはメロディじゃない。戦場のコードだ。」


機体が自動回避のように動き出した。

彼が操縦していないのに。

だがログには――

『操縦入力:パイロット』

と記録されている。


つまりシステムは、この動きを“ジンの意志”と判断したのだ。


『……俺が、歌に合わせて動いてる?』


無人機がビームを放つ。

反射的に操縦桿を引き上げた瞬間、耳の奥で歌詞が響いた。


「Route――心臓の座標へ。」


HUDの波形が炸裂した。

【位置同期】の文字が走る。

機体は自動的に最適回避ルートを算出した。


ジンは歯を食いしばった。

「……誰かが、俺のHUDの中で話してる。」


戦闘は激しかったが、ジンの機体はまるで踊るように動いた。

無人機を一機撃墜するたびに、波形は少しずつ弱まっていく。

最後の一機が爆発したとき、HUDに再び文字が浮かんだ。


「……君は今、どこに立っているの?」



ジンは息を整えながら、ログにメモを残した。


【観測記録】

 ・共鳴波形:ステージ送信中に発生

 ・メッセージ:「Route, Heart, Dream」繰り返し

 ・補助メッセージ:「君は今、どこに立っているの?」


「……これは警告だ。俺にだけ見せるための、誰かの仕掛けだ。」


ジェイコアのホログラムが耳をぴくぴく動かす。

「ジン、これはただの訓練じゃないゲコ。ステージそのものがコードで、受信したのはあなただけゲコ!」


ジンは頷いた。

「……なら、俺が動く番だ。」


HUDの最後の文字が消える前に、

指先でその言葉をなぞる。


「Route. Heart. Dream.」


そして低く、かすれるように呟いた。


「これはコードだ。俺への信号だ。」



格納庫にイカルスたちが次々と帰還してきた。

蒸気のような冷却ガスが床を這い、金属の匂いが空気を満たしていく。


「今回の反応速度、0.3秒短縮だな。」

AIのフィードバックを見た整備兵が感嘆の声を漏らした。


そのすぐ後ろで別の兵士が肩をすくめる。

「それ、パイロットじゃなくて“イカルス”がやったんだろ。」


ジンは無言のまま操縦席から降り立った。

周囲のざわめきには耳を貸さず、すぐに端末を開いてログをバックアップする。


他の隊員が疲労混じりの雑談を交わす中、

彼だけが静かにデータの海を覗き込んでいた。


「ジェイコア、ログを分離してくれ。」


「了解ゲコ。信号の断片だけ抽出するゲコ!」


ホログラムの猫が尻尾を振ると、

空中に無数の波形データが線のように散った。


ジンはそれらを慎重に並べ直し、

音楽の旋律と重なる箇所を確認していく。


繰り返し現れる単語。

――Route

――Heart

――Dream

そして、あの問い。


『君は今、どこに立っているの?』


彼は低く息を吐いた。

「……これは誰かの質問であり、指針でもある。」


手元のパネルに単語を入力し、並べ替える。


Route → 道

Heart → 心臓/中心

Dream → 夢/目的


三つを繋げると、一つの意味が浮かぶ。


“道は心から始まり、夢へと続く。”


「……。」


胸を押さえる。

ルビルビのステージで聞いた歌詞が、脳裏をかすめた。


『心臓が育つ夢を見た……』


――ルビルビ。

あれはお前が送った信号だったのか。


その瞬間、記憶が閃光のように蘇る。

共鳴テストのとき、医務室で見たモニター。

あの虹色の波形。

そして冷たい声で呟いた研究員。


「あなたは……興味深いケースですね。」


さらに今夜の暗号。

『ステージの上でしか、真実は語れない。』


全ての断片が一つに繋がった。


「ジェイコア。」


「なにゲコ?」


「これは暗号なんかじゃない。

ルビルビが監視の中から発した“信号”だ。

俺にだけ解けるよう、共鳴に仕込まれてた。」


ジェイコアの耳がピクリと動く。

「……それなら、ジン。君はどうするゲコ?」


ジンは静かに目を閉じた。

艦内はいつも通り、規律正しい静寂。

だが彼には、もうこの場所を“安全”と呼べなかった。


DECGは、すべてを統制している。

舞台も、戦場も、感情さえも。


それでも――その隙間から、彼女は確かに信号を送った。


「……なら、俺は動く。無視なんてできない。」


解読したログを保存し、ファイル名を打ち込む。


【Seed Code:R – Route / Heart / Dream】

【目的:警告、または座標指示】


そして最下段に小さく書き添えた。

【ルビルビ = 抵抗者?】


視線を上げると、格納庫の出口のモニターで

ルビルビの笑顔が繰り返し流れていた。

それはプロパガンダ用の明るい笑顔――

だが、今のジンにはまるで違う意味を持っていた。


「……そんな危険な方法まで使って。」


声は震えていたが、決意は固かった。


ジェイコアが最後の警告を発した。

「ジン、危険ゲコ。君が気づいたと知られたら、命が――」


「わかってる。」


短く遮る。


「だがもう、MOS9を“文化広報部隊”とは見られない。」


ジンはモニターに映るルビルビの頬を指でなぞった。


「……君のメッセージ、確かに受け取った。

俺も――応える。」



歓声が壁を打ち、やがて静寂へと溶けていった。

ルビルビはステージの光を背に、ドレスの裾を握りしめながら

バックステージへと歩みを進めた。


踵が鳴るたびに、胸の中で埋め込まれた金属機構が鈍く反応する。

微かな痛みと共に、冷たい鼓動が彼女の呼吸を乱した。


「……もう、誰かが気づいたはず。」


呟きは小さく、

隣をすれ違うスタッフさえも聞き取れなかった。


頭上を浮遊するR2とB2――通称〈ハートビート〉が、

短い電子音を鳴らした。


──送信完了。


ルビルビはHUDに浮かぶループアイコンを見つめ、そっと目を閉じた。

あのメッセージが、ジンに届いたかどうか――

それは彼女にも分からなかった。


胸の装置が「チッ、チッ」と律動を刻む。

そのテンポは、さっき歌った《Seed Code:R》のBPMと同じだった。


「……時間がない。」


ドレスの内側に手を入れ、装置の表面を軽く叩く。

冷たい金属は、返事の代わりに短い振動だけを返してきた。


ルビルビは、唇の端をかすかに上げた。

「……大丈夫。これで、伝わったはず。」


♪♪♪


管制室。

青白い照明の下、無数のモニターがステージ映像を映し出していた。


「……待て、ログが跳ねてる。」


若い技術員が指を止める。

ルビルビのパフォーマンスログが一瞬歪んでいたのだ。


彼は拡大と解析を繰り返した。

しかし映像はどんどんノイズに覆われ、やがて――


パッ。


ログ全体が消えた。


「……消えた? いや、俺の見間違いか?」


隣の上司が振り向く。

「どうした。」


「いえ……今、波形が一瞬――」


「気のせいだ。処理を続けろ。」


冷淡な声。

若い技術員は口を閉じた。


――DECGのサーバーに“エラー”など存在しない。

もしそれが起きたなら、それは“誰かが意図的に消した”ということ。


彼の背を冷たい汗が伝った。

下手に口を開けば、自分が“消える”かもしれない。


モニターの一角で、エンジニアが低く報告する。

「9486号機の損失データ、未反映がまた出ています。」


上官は軽く手を振った。

「テストデータだろ。報告するな。」


青い光の下で、スクリーンに残った文字列だけがかすかに瞬いていた。


[9486 — ROUTE SIGNAL / Heart Frequency Active]


♪♪♪


鏡の中のシャフィナは、完璧だった。

光を受けた髪は滑らかな曲線を描き、

瞳はまるで人形のように一点の揺らぎもない。


だが彼女が見ていたのは、鏡の中の自分ではなかった。

その奥、記憶の底に焼き付いた“実験室”の幻影だった。


「……あの子は、まだ知らないのね。何が自分を動かしているのか。」


その声は震えていた。


彼女は覚えている。

六十四回目の実験が失敗に終わった日――

透明なカプセルの中で金属音が悲鳴のように響き、

白い照明の下で仲間たちの破片が空中に舞った瞬間を。


“シャフィナ”という名は、

本来、他の誰かに与えられるはずだった。


鏡面に指を触れると、

指先から小さな波紋が広がった。


「……私は、ただの残された影。」



バックステージの壁には、DECGのロゴと共に

《Perfect Harmony / No Emotion》の文字が浮かんでいた。


シャフィナは衣装を整えながら、

ポケットから折り畳んだ小さな紙片を取り出した。


そこには、自分で書いた歌詞が残っている。


「ビープ… ビープ…」

「質問しないで 感情はバグなの」


書いた時の手の震えが、まだ残っていた。

“感情はバグ”――そう刻むことで、

自分に言い聞かせようとしていた。


感情を持たないふりをするために。


扉が開き、音楽監督が入ってきた。

「いい出来だ、シャフィナ。君のコードネームにふさわしい。」


「……命令どおりに書いただけです。」


「そう、それでいい。

感情のない歌――今回はそれが“兵器”になる。」


彼は端末を操作し、データを転送した。


「検閲完了。すべての文、通過。

感情値は0.03――“本物のように見える無感情”は、

観客をもっと感動させる。」


シャフィナは視線を落とした。

「……“本物のように見える”ものは、いつも嘘です。」


監督はその言葉に何も答えず、

ただイヤホンを差してモニターを見つめた。


「ルビルビの感情波を消すんだ。

完璧な静寂、完璧な秩序――それが次の曲だ。」


彼が去った後、部屋には静寂が落ちた。


シャフィナは手の中の紙を握りつぶし、

滲んだインクを見つめながら呟いた。


「……これは、私が書いた歌詞じゃない。

でも――私にしか歌えない。」


壁の向こうから、

ルビルビのステージが終わる拍手が響いてきた。


まるで遠い世界の心臓が脈を打つように。


「次、シャフィナ。セッティング入り3分前!」

照明担当の声。


「……Ready。」


紙片を見つめ、唇を動かした。


「この歌は、“感情のない私”を証明するための命令。

でも、本当にそれができるの……?」


そして――ライトが点いた。

シャフィナは、舞台へと歩き出した。



ルビルビのステージが終わり、

光がゆっくりと青に変わる。


スクリーンには一行の文字が浮かび上がった。

[NEXT PROGRAM : SAPHINA / “Robotic Miss Maid”]


金属質のリズムがホール全体に鳴り響き、

「ビープ……ビープ……」

という電子音が静寂を切り裂いた。


シャフィナが、まるで機械人形のように歩み出る。

白いユニフォーム――それは清潔なメイド服であり、

同時に整備用の作業服のようでもあった。


動きは正確、表情は空白。

完璧な無表情の中に、わずかな“呼吸”だけが残っていた。


観客席の呼吸すら、

そのテンポに引き込まれてゆく。


「充電、放電、充電、放電」


ループする言葉が、

命令のように響き渡った。


DECGはこの公演を “完全な秩序の象徴” として中継していた。

彼女は「感情のないアイドル」、

ルビルビの対となる存在。


――だが。


ジンのHUDが、わずかに揺れた。


[波形ログ検出 : 感情共鳴 0.0014]

[非認可周波数 – 送信源 : Saphina]


無機質なリズムの中、

ルビルビの送信波と交差するように

もうひとつの光の線が走った。


「……シャフィナ、お前は今、何を送っている?」


彼の視線が鋭くなる。



舞台の中央、光に包まれたシャフィナの唇が動く。


「ルビルビが“感情”なら、私は“命令”。

でも……その境界はもう曖昧になっている。」


その声は静かだったが、

ほんの一瞬、確かに“人間の息”が混じっていた。


「質問しないで 感情はバグなの」


その一節が流れた瞬間、

ジンの胸が強く跳ねた。

それはただの演出ではない。

――告白だった。


「笑うタイミングは暗記済み

ロボットに顔はいらない」


HUDのログウィンドウが明滅する。

[音声内コード信号挿入検知]

[送信キーワード : “Don’t forget her”]


ジンの指が止まった。


後半に進むにつれ、

シャフィナの声はわずかに歪み、

完璧だったリズムに乱れが生じていく。


感情はバグ――

そう歌いながら、

彼女自身が“そのバグ”になっていった。


「……ビープ……ビープ……」

(……ピ――……ピ――……)


最後のフレーズ。

シャフィナの瞳が、かすかに揺れた。


システムが即座に感情値を補正しようとしたが、

彼女の体は微かに震えていた。


「……どうして、私はまだ――笑っているの?」


照明が消え、ステージが暗転する。


観覧室では、DECGの幹部たちが小声で囁き合った。

「完璧だ。感情値ゼロ。彼女は理想だ。」


だが、ジンのHUDには最後の波形が残っていた。


[共鳴ログ : “感情値 = 0 しかし波動は生きている”]



深夜。

DECG内部クリニックの研究室。


モニターの光だけが壁を照らし、

冷却ファンの音が静かに響いていた。


ビオレッタはひとり、端末の前に座っていた。

画面には三つの波形ログが重なっている。


1. ジンの共鳴データ。

2. ルビルビが送信した暗号信号。

3. シャフィナの《ロボティック・ミス・メイド》公演ログ。


三つの曲線は、それぞれ違うリズムを刻んでいるはずだった。

だが――交差点ごとに、同一の光が瞬いた。


それはまるで三人の心臓が、

異なる拍で鼓動しながらも、

一瞬だけ同じ拍に“共鳴”しているかのようだった。


ビオレッタは息を呑み、指先でその区間を拡大した。

「……ただの同期じゃない。

互いに“覚えている”ように響き合ってる……。」


画面をさらに拡大すると、

ルビルビとシャフィナの波形の間に、

微細な“ジンの信号”が媒介のように走っていた。


三つの交差点――

それはDECGのどの報告書にも存在しない現象だった。


「……やっぱり、すべてはあの子のせいね。」


彼女は小さく息を吐いた。

モニターを一度消し、

眉間を押さえながら呟く。


「テツカネ・ブレンディッド・ジン。

あなたが――三つのシステムの境界線。」


わずかな沈黙。

ビオレッタはデータの交差部分だけを抽出し、

小さな記録デバイスにコピーした。


LEDが淡く点滅し、“COPY COMPLETE”の文字が浮かぶ。


冷たい瞳の奥で、長年沈めてきた罪悪感と不安が揺れた。


「……まだ公表できない。けれど、いつか必ず。」


彼女は背もたれに体を預け、

かすかに震える声で続けた。


「この曲たちは兵器なんかじゃない。

ただ――彼らが“生きている”証。」


モニターに再び映し出されたのは、

シャフィナの最後のリフレイン。


「ロボティック わたし、ミス・メイド」


ビオレッタの瞳に、その文字が映り込む。


「……シャフィナ。

それが命令で書かれた歌でも、

結局――それはあなたの“告白”だったのね。」


彼女はデバイスをポケットに滑り込ませて立ち上がる。


その瞬間、

研究室の奥で警告音が短く鳴った。


[Unauthorized Backup Detected.]


ビオレッタは口元にかすかな笑みを浮かべた。


「消さないで。

あの子たちの波形は――記録として残すべきものよ。」


♪♪♪


ジンは操縦席の中で、低く呟いた。


「……なら、もう動くしかない。」


指が無意識に操作パネルを掴む。

その瞬間――


暗い廊下の向こう、

ルビルビはスタッフに聞こえないほどの小さな声で囁いていた。


「……お願い、届いて。」


彼女の胸の奥では、

金属の鼓動が“チッ、チッ”と規則正しく響いていた。

それは機械のノイズでありながら、確かに“生”のリズムだった。


ジンのコクピットでは、

HUDの波形が静かに脈打っていた。


Route.

Heart.

Dream.


――二人のリズムが、

見えない回線のどこかで共鳴していた。



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