「3話 - 振動する沈黙」
ニューホア星の表面は灰色の荒野に覆われていた。
果てしなく広がる採掘現場には、傷跡のように深い穴が無数に点在している。
巨大なドリルがゆっくりと回転し、大地を削り取る。煙突からは黒い煙が立ち上がり、空に向かって漂っていた。
ジンにとって、この風景は単なる工業地帯ではなかった。まるで苦痛に呻く傷口が目の前に広がっているかのようだった。
イカルス部隊の機体が、ひとつまたひとつと現場上空に到着する。
各機体のHUDには同一の任務コードが表示された。
[任務: 採掘妨害要素の除去 / 区画 C-17]
[隠れ目的: 資源探査作戦]
ジンは無意識に手を握り締める。
「探査だって言ったのに…除去だなんて。」
しかし、隣の機体――サイレンス、クリムゾン、スカル――いずれも口を開かない。
採掘場の下層で、異常な振動が検知されたのはその直後だった。
「ドリルが止まった!」
整備兵の叫びが無線を通して響く。
巨大な機械が突如動きを止め、まるで電源が切れたかのように暗闇の中に立っていた。
「センサーの誤作動か? 繰り返してる…」
「電源供給は正常なのに、なぜ――」
混乱した声が交錯する中、ジンはその言葉よりも鋭い波動を感じ取った。
鼓膜を裂くような轟き、骨の奥まで響く振動。
その瞬間、HUDが光った。
[警告: 共鳴異常検知]
[発生源: 不明]
赤い線が画面を横切り、徐々に広がっていく。
空を駆け抜ける他の機体のHUDには何の反応もない。
ジンの機体だけが、その振動に反応していた。
ジンは歯を食いしばる。
息が荒くなり、指先がぴりりと痺れる。
「これは単なる機械の不具合じゃない…誰かが信号を送っている。」
指揮部からの通信が冷たく響く。
「9486、状態報告。」
ジンは一呼吸置いて答える。
「…共鳴異常信号を検知。繰り返し、意図的なもののようです。」
「……」
静寂の中、警告音だけが繰り返し鳴る。
「反応が早いな。無視して作戦を続行する。」
整備兵たちの声が重なる。
「機械が止まった!」
「センサーも全滅、これは誤作動じゃない――」
すると別の音がそれを覆った。訓練されたような号令、DECGの放送。
白色雑音の中から、どこかで聞き覚えのある旋律が響き出す。
「…Walking to night— Crimson Parade!」
ジンの頭がくらりとした。
つい先ほど、舞台で鳴り響いたモスナインの曲が、今、採掘場の拡声器からも流れていたのだ。
「なぜここで…?」
疑問が浮かぶが、響きはさらに強くなる。
群衆の歓声の代わりに、機械の轟音と埃が混ざり合っていた。
HUDが再び光る。
紫色の波動が広がり、機体内部に低い振動を伝える。
その瞬間、別の旋律が重なった。
「…私は本物だ、Do you believe in the truth?…」
ジンは息をのむ。
今度は広告でも放送でもない。
耳の奥深くで直接響く、声そのもの。
無意識に呟く。
「…誰かが、何かを送っている…」
指揮部の声は一片の揺らぎもなく言った。
「無視せよ。作戦続行。」
その短く冷徹な言葉が、整備兵たちの不安な叫びを粉々に砕いた。
「ちょっと待って!これは単なる故障じゃない!」
「機械が勝手に止まるなんて――」
しかし通信は一方的に切れた。
ジンのHUDにはまだ [共鳴異常] の警告が点滅している。
赤い線が瞬き、紫に変化していく。
目の前の画面は、まるで生きているかのように震えていた。
「サイレンス、クリムゾン、投入。」
指揮官の命令で、二機の翼が広がる。
サイレンスの機体は低く滑るように空を切り、振動発生地点に砲身を向けた。
クリムゾンは炎のような推進炎を吹きながら一直線に突進する。
彼らのHUDには異常表示はなく、赤く点滅するのは目標座標と砲撃命令だけだった。
「待機しろ!」
ジンは叫ぶ。
「何か…信号がある。単なる雑音じゃない、誰かが送った気配だ――」
サイレンスもクリムゾンも、指揮部も応答しない。
返ってくるのは冷たい命令だけ。
「9486、交戦妨害禁止。」
サイレンスの砲撃が火を噴き、空気を切り裂き地表を叩く。
土埃が爆発するように巻き上がる。
その瞬間――ジンは再び旋律を聞いた。
「…輝いてる、魅惑のパレード…」
歌だった。
だが、それは拡声器から流れる合唱ではない。
まるで直接彼の心臓に刺さる声のようだった。
HUDの紫色の波動が拡大し、画面全体を覆う。
ジンの機体が、その振動に共鳴していた。
指先が熱くなる。
エンジンは自らリズムを作り、高周波で振動する。
ジンは、全身が機体と繋がっている感覚を覚えた。
「…世界にたったひとつの brilliant jewel…」
これは単なる幻聴ではなかった。
地下深く、どこかで何かが反応している。
機体がその振動を受け止め、再びジンに返しているのだ。
息を荒くする。
「…誰か…会話している…」
サイレンスとクリムゾンの砲撃は続く。
しかしジンの視界には全く異なる光景が広がっていた。
HUDに広がる紫色の線。
その線は絡み合い、ひとつのメッセージを形作る。
[我々は対話に来た]
全身に鳥肌が立った。
文字ではなく波動として、確かに届いていた。
だがジンはその意味を直感的に理解した。
「待機しろ!お願い、止まれ――」
彼の叫びは通信網の中で孤立した。
誰も聞いていない。
砲撃は続き、砂埃と炎が空を覆う。
だが、その上でもジンは歌を聞き続けていた。
「…私は本物だ、Do you believe in the truth?…」
彼は機体の中で手を握り締めた。
これは幻でも、単なる誤作動でもない。
初めて“共鳴”が発現した瞬間だった。
埃が落ち着くと、採掘現場は廃墟のようになっていた。
地表は砲撃の跡で割れ、煙突は半壊している。
しかしジンの目には、別のものが見えた。
HUDの中、紫色の波動はまだ穏やかに広がっている。
[—…我々は対話に来た]
メッセージは徐々に薄れ、雑音に混ざって文字が崩れ落ちる。
それでも響きは、彼の胸の奥で振動し続けていた。
「9486、状態報告。」
指揮官の声が再び響く。
ジンは息を整え答える。
「…異常信号は継続中です。確実に誰かの発信のようで――」
「やめろ。」
短く鋭い言葉が、彼の言葉を遮った。
「作戦終了。報告は機体異常として処理する。」
サイレンスの無線が重なる。
「共鳴? 何も検知できなかった。」
クリムゾンも冷たく付け加える。
「9486、お前の機体の誤作動だろ。訓練不足か?」
ジンは息が詰まった。
自分だけが聞こえていたのか…?
その瞬間もHUDは確かに反応していた。
残る波動は、最後の痕跡のように振動していた。
機体が回収されると、すぐにデータ抽出ドローンが近づいた。
腕や肩、背骨のインターフェースを通して、記録が流れ込む。
ジンは目を細める。
[データログ抽出中…]
[項目: 戦闘記録 / 神経反応 / 感覚フィードバック]
突然、画面が光った。
[削除進行中]
[項目: 共鳴反応ログ]
「待って、なぜ消すんだ?」
ジンは声を上げた。
しかしすぐに冷たい返答が返ってくる。
「不要なエラー・データだ。」
目の前で数値が一つずつ消えていく。
紫色の波動グラフも、[我々は対話に来た]というメッセージも。
まるで存在しなかったかのように。
ジンは手を握り締めた。
「…あれはエラーじゃなかった、確かに――」
しかしドローンは無表情に青く点滅する。
[削除完了]
冷たく重い空気が彼を押し潰した。
整備兵たちが近づき状態を点検するが、誰もジンを見ない。
ただマニュアル通りに動く機械のようだった。
「9486、報告は機体異常として記録する。」
指揮官の声は淡々としていた。
「その他の言及は禁止。」
それでも彼の耳には、まだ響きが残っていた。
「…shine on, 人工の光…」
彼が聞いたのは確かに本物だった。
しかし…なぜ自分だけ?
整備所を出ると、最後に振り返った。
砲撃で崩れた採掘場はまだ埃を上げていた。
しかしその深い奥で、確かに何かが再び目覚める気配があった。
彼は静かに呟いた。
「…本当に、誰も聞いていなかったのだろうか…」
記録は消されたが、響きは消えていなかった。
ジンは宿舎に戻る道中、耳を塞ぎたくなるほどの残響を感じていた。
機械音、足音、息遣いの上に重なる低い振動。
まるで地中のどこかから、まだメッセージが送られてくるかのように。
[我々は対話に来た]
その一文が、胸から離れなかった。
格納庫に到着すると、パイロットたちは無表情で散らばった。
サイレンスは何も言わず装備を整え、クリムゾンは疲れた様子でヘルメットを外す。
スカルは影のように消え去った。
彼らにとっては、何事もなかったかのようだった。
ジンはひとりベッドに座り、手のひらを開いたり閉じたり、繰り返した。
指先にはまだ振動が残っているようだった。
「…私は本物だ、Do you believe in the truth?…」
その歌詞はもはや単なる幻聴ではなかった。
自分の内側から響き渡るこだま。
モニターをつけるが、HUDに残るはずのデータはすべて空だった。
[データなし]
[ログなし]
冷たい画面だけが光っていた。
本当に、誰も聞いていなかったのだろうか?
彼は内心で呟いた。
しかし、すぐに別の声が重なった。
自分の声ではない、見知らぬ旋律。
「…ほら、You never know, ever…」
心臓が、ズキンと落ちる。
誰かが…まだ、送っているのだ。
しばらくして、基地のスピーカーから放送が流れた。
DECGの日常的な広報メッセージだった。
「イカルス-9486、本日の任務は無事に完了しました。
英雄たちが資源を守りました。皆さんの拍手を。」
そして、聞き慣れた残響が再び続いた。
「…Walking to night— Crimson Parade!」
軍歌のように響き渡るその旋律。
しかしジンは冷たく笑った。
虚偽だ、戦場は美しくない。
♪
ベッドに体を横たえると、天井が低く揺れた。
夢か現実か分からない感覚が押し寄せる。
目を閉じると、HUDに紫色の波動が再び浮かび上がった。
そしてその上に重なる声。
[我々は対話に来た]
ジンはゆっくりと目を開ける。
心臓は高鳴るが、今回は恐怖ではなかった。
確信だった。
「…聞いたのは本物だ。」
窓の外には、乾いたニューコアの風景が広がる。
穴と煙突、煙と埃、その奥で、まだ確かに何かが息をしている。
ジンはゆっくり拳を握りしめ、静かに呟いた。
「…本当に、誰も聞いていなかったのだろうか?」
遠くから、アラームのように目覚ましの音が響く。
ピッ――ピッ――ピッ――
もはや単なる通知音ではない。
沈黙の中の振動、真実のこだま。
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