「2話 – 表面の英雄たち」
ペガサス21号の隔離着陸場を抜けると、風が宙を切り裂くように通り抜けた。
古びた埃と鉄の匂いが混じった空気は重く鈍かった。
ブーツの紐で締められた足首は、未だにこの異質な重力に順応できず、床に張り付くようだった。息を吸うたびに喉が粗く擦れる感触があった。
「9486、こちらだ。」
背後から短く硬い呼び出し音。
灰色のユニフォームを着た案内者は、これ以上説明は不要とでもいうように頷いた。
そのまま振り返り歩き始める案内者について、ジンは足を進めた。
建物の外壁にはDECGのロゴがネオンのように点滅していた。
昼間でも光るロゴは、まるで軍隊の紋章ではなく、巨大企業の商標のように見えた。
♪
施設内部はグレー一色だった。
自分の濃い灰色の髪が、自然に溶け込めそうな気がした——根拠のない思い込みだ。
冷たく伸びる廊下は、足を踏み出すたびに鉄板のように鳴った。
壁面には刻印のように配置されたキューブ型スクリーンが、一定間隔で光を放っていた。
[新規パイロット受け入れ手順 – 9486]
[等級: 非公式]
[所属: イカルス-9486]
ジンの目の前に初めて見るマークが現れた。
赤い翼と数字、短いコードネーム。
9486——新たに配属された部隊の名前だった。
♪
「ここで装備を受け取る。」
案内者の言葉とともに自動扉が開く。
中には装備が整然と並び、壁には何十着ものパイロットスーツが掛けられ、ライトがそれぞれのネームタグを照らしていた。
ジンの前にキューブ型スキャナーが現れ、文字が自動で浮かび上がる。
[鉄鋼ブレンディッド・ジン – パイロットスーツ支給完了]
ジンの手には新しいスーツとヘルメットが渡された。
黒と濃い灰色が交差するスーツで、左胸には赤い数字「9486」が刻まれていた。
ヘルメットの片側には、密かに輝くマーク——赤い翼、“クソヤロ(9486)”が施されている。
ジンは指先でヘルメットを触った。
滑らかな表面が冷たく金属を伝え、HUDが点灯した記憶がフラッシュのように蘇る。
身体は覚えているが、頭は覚えていない——その感覚が後頭部を駆け抜けた。
なぜこんなにも馴染みがあるのか…?
その瞬間、目の前がかすんだ。
どこかでこの数字を見たことがあった。しかし思い出せない。
♪
支給されたスーツを身に着けると、脊椎に沿って微細な電流が走った。
体温が一瞬上がったように感じたが、すぐに安定する。
腰、肩、肘、膝が機械的に締め付けられ、身体を固定した。
ジンは鏡に映る自分を見た。
見慣れぬ顔と、どこか馴染んだ顔——二つの顔が重なったように感じられた。
案内者の指示で、ジンはスーツ姿のまま狭い廊下を進む。
廊下の突き当たりで巨大な扉が開き、新たな空間が姿を現す。
A区画 待機室
すでに数名のパイロットが席に着いていた。
ヘルメットを外した顔はそれぞれ異なるが、表情は無感情で、訓練によって研ぎ澄まされた瞳には説明できない重みが漂う。
最初に目に入ったのは、長銃を壁に立てかけ、椅子に座って窓の外を見つめる男。
ジンを一瞥した視線は鋭いが、口は固く閉ざされていた。
「サイレンス。」
隣のパイロットが低く呟く。
必要な時だけ話す、沈黙の狙撃手。
その前には、赤い機体マークの入ったヘルメットを手にした女性が座っていた。
髪は短く切り揃えられ、表情は鋭利だった。
「クリムゾン。」
燃え盛る戦場を駆け抜けた戦術家の雰囲気。
最後に、壁にもたれ腕を組む影。
顔の半分は傷で隠れ、視線は冷たく沈んでいる。
「スカル。」
死の静寂を象徴する存在。
ジンは彼らの前で一瞬息を整え、軽く頭を下げた。
自分もまた、この番号を背負う「パイロット」だという実感が湧かない。
胸に刻まれた赤い「9486」が重く感じられた。
しばらくすると、待機室のスピーカーから冷たい案内が響いた。
[新規配属 – イカルス-9486, コードネーム クソヤロ. DECG本社宣誓式に同行]
ジンは顔を上げた。
彼らが“英雄”として飾られる舞台が待っていることを、まだ知る由もなかった。
♪
同じ時刻、ニューコア都市上層階。
巨大タワー最上階のバックステージは忙しく動き回っていた。
スタッフは舞台送信回路を点検し、ドレススチーム、ラインチェック、照明同期——すべて軍隊式の号令で動く。
ルビルビは鏡の前に座り、舌先に残った金属的余韻を指で軽く弾き、微笑む。
「息が滑らかになったわね。これのおかげかな。」
シャフィナは黙々とケーブルを整理していた。
無表情、冷たい視線。
しかし、指先は微かに震えている。
「……音が整理されたわ。でも、滑らかすぎる。」
その瞬間、空中に小さな猫のホログラムがちらつき、現れた。
ジェイコア。
小さな猫耳が光り輝く。
「干渉周波数88%到達だにゃ。位相誤差、許容範囲内だにゃ。」
シャフィナは無表情で見上げる。
ルビルビは笑いながら答えた。
「これならショーはうまくいくわね。」
ジェイコアは尻尾を振り、続ける。
「心配するなにゃ。舞台は君たちが笑えば完成するにゃ。残りは私が計算するにゃ。」
ルビルビはリップを直し、ささやいた。
「笑うだけなら、この契約は簡単ね。」
しかし鏡の中の瞳は、一瞬だけ揺れた。
♪
거대한 홀はガラスと鉄骨で構成されていた。
天井はまばゆい照明で覆われ、足元は光沢のある大理石。
ジンは他のイカルス部隊員とともに、演壇の脇に配置された。
席はすでに埋まり、正面スクリーンにはDECGロゴと「作戦宣誓式」というキューブ表示が点滅していた。
⸻
冷たい声がスピーカーから響く。
「イカルス-9486部隊、入場。」
群衆の歓声が爆発。
数百の視線が彼らを向いた。
ジンは意識的に足を揃えて歩いたが、皮膚の下がゾクゾクと震えた。
『…これは軍事行事というよりショーだ。』
⸻
中央の演壇にDECG高官らしき人物が立ち、整えられた声で大ホールに響かせる。
「我々の目標は資源の先取り、そして未来の平和だ。
この場に立つ全ての兵士は、人類の英雄である。」
セリフに合わせ、天井の照明が消え、舞台上の巨大ホログラムが点灯。
赤い光とともに音楽が流れる。
空襲警報が鳴り、エレキギターが響いた。
「絹の上でwalking、揺るがぬ完璧なmanikin—」
ジンの心臓が跳ねる。
その歌詞——どこかで聞いたような気がする。
昨日、病室廊下で流れた旋律。
ノイズのようにかすめたが、消えなかった言葉。
舞台上に二つのシルエットが浮かぶ。
ルビルビ、そしてシャフィナ。
二人の名前がスクリーンに表示された。
光が四方に弾け、華やかな衣装を纏った姿が浮かぶ。
群衆は歓声を上げたが、ジンにはその音が遠くに押し流されるように感じられた。
ルビルビが手を伸ばし歌う。
「リズム?息つく暇のない目眩く動線、息しなくてもいい、emotion—」
シャフィナの声が重なる。
「鏡の裏で私がいる it’s me、黙って踊る私 dancing Queen—」
群衆は熱狂。
スクリーンには「英雄たちの舞台」の字幕が点滅。
ジンはひとり首を横に振った。
『これは…軍歌じゃない。戦場の歌ではなく、戦場を飾るショーだ。』
バックステージは慌ただしかった。
機械音、足音、群衆のざわめきが混ざり、巨大な舞台裏が生き物のように動いていた。
ジンは再び灰色の廊下を進む。
今回は案内者の姿もなく、長く並ぶ照明が微かに点滅し、長い影を落としていた。
廊下の突き当たりで重厚な鉄の扉が開くと、低い天井の会議室が現れた。
壁面にはキューブ型スクリーンがびっしりと並び、ニューコア惑星の地形データ、資源埋蔵量、戦術図が光を放っている。
テーブルに座る指揮官は無表情で、肩にはDECGのロゴではなく、番号だけが刻まれた黒い腕章。
「9486、そしてイカルス部隊全員。」
その声は乾いたものだったが、威圧感はない。
「明日から、真の戦いが始まる。」
ジンは無意識に顔を上げた。
指揮官の視線は冷たく落ち着いていた。
「だが我々は戦うのではない。」
ゆっくりと指でスクリーンを指す。
広大なニューコアの荒地。
赤く示された区域が点在する。
「目標は先取りだ。資源、拠点、そして記録されない領土。
我々が最初に到達することが勝利だ。」
ジンは指先が震える。
勝利…? 戦闘ではなく、資源の先取り?
スクリーンは変化を続ける。
DECGの採掘基地、輸送ルート、武器配置。
しかしどこにも「敵」の名前はない。
沈黙の中、指揮官は淡々と語る。
「覚えておけ。公式記録には残らない。
我々は非公式だ。失敗すれば、存在さえ消える。」
その言葉が骨の髄まで冷たく響く。
ジンは心の中で呟いた。
「…これは戦争じゃなく、略奪だな。」
その瞬間、スピーカーから微細なノイズ混じりの歌が流れた。
「…Twilight 星を踏みしめたつま先に—」
ジンは耳を疑った。
歌だ。しかし指揮官は説明を続ける。
「今回の作戦のコードネームは…」
彼の手の動きとともに、キューブスクリーンが赤く点滅した。
[Operation: STONEN SWEEP]
バックステージで、シャフィナは指先を握り、静かに息を吐いた。
「私の声が…整理されちゃった。」
ルビルビは短く笑う。
「舞台ではそれが最高よ。だけど—舞台が終わったら何が残るのかしら。」
ジェイコアはデータをモニターしながら口を挟む。
「兵力感応率、目標値達成だにゃ。さあ、今が本番だにゃ。」
ルビルビはマイクを握る。
「ショーはショーよ。でもこれは戦場より熱い。」
シャフィナは目を閉じ、指先の微かな震えは止まらない。
⸻
高官席の会話はより緻密だった。
「混線率が増加している。敵通信網まで揺らいでいる。」
「良い兆候だ。歌が武器であることを証明する数値だ。」
「だが不安定だ。もし制御を逸脱したら—」
「逸脱させない。それが安定化カプセルの役割だ。」
紫色の巻き髪の医師が静かに囁く。
「…いずれ夢の中でも声を失うでしょう。」
幹部は冷淡に笑った。
「ショーは記憶されない。結果だけが残る。」
⸻
会議室は静まり返った。
パイロットたちは息を潜めた。
コードネームがひとつ、灰色の壁面に赤く浮かび上がる。
ジンの頭の中では、先ほどの歌詞が巡る。
「…stardustのように砕けたemotion—」
目を閉じれば、舞台上のルビルビとシャフィナの姿が重なる。
眩い光、その中のひび割れ。
指揮官は最後に告げる。
「君たちは今や、DECGの名もなき影だ。
英雄と呼ばれるかもしれぬが、記録には残らぬ。
覚えておけ。今日の歓声は虚偽だ。
明日からは任務のみだ。」
会議が終わると、パイロットたちは一斉に席を立つ。
無表情の顔、同じ足取り。
ジンはひとり、キューブスクリーンを見つめる。
STONEN SWEEP
赤い文字は依然として目の前を焦がすように点滅していた。
そして耳には残響のように響く。
「…私は本物よ… Do you believe in the truth?…」
ジンは手を握りしめる。
歓声の虚偽、命令の真実。
その境界で、不協和音が初めて鮮明になった。
舞台の照明が最高潮に達する。
赤、青、白の光が飛び交い、バックステージの機材が生命のように脈打つ。
ジンは自分の立つ灰色の通路を一歩ずつ進む。
遠くでルビルビとシャフィナの声が重なり、空間を震わせる。
ルビルビがマイクを握り、力強く歌う。
「リズム? 息つく暇もない目眩く動線、息しなくてもいい、emotion—」
シャフィナの声が追随する。
「鏡の裏で私がいる it’s me、黙って踊る私 dancing Queen—」
群衆は熱狂し、スクリーンには「英雄たちの舞台」と表示される。
ジンはその歓声が耳に届くより、心の奥に押し流される感覚を覚えた。
⸻
ルビルビとシャフィナは舞台上で完璧な動線を描き、照明と同期して輝く。
しかし、ジンにはその光景が虚構のように映る。
『これは軍歌ではない。戦場の歌でもない。舞台装置だ…』
後半のサビが始まる。
「クリムゾン・パレード、光で満たされた舞台——
目を閉じても鮮やかな lie lie lie—」
群衆の歓声が爆発する。
だがジンの耳には、歌詞の「lie」が鮮明に残る。
嘘——世界が嘘のように輝いている。
⸻
ルビルビはマイクを握りながら告げる。
「私たちの文化は、戦場を美しくする!」
その声は無数のドローンカメラによって増幅される。
群衆は再び歓声を上げる。
だがジンの顔には、わずかな違和感が漂った。
『文化?戦場を?
戦場を飾るのが、本当の戦いだと?』
⸻
舞台は頂点に達し、ルビルビとシャフィナは並んで最後のフレーズを叫ぶ。
「Walking to night— Crimson Parade!」
赤い閃光、火花、煙。
群衆は爆発的に拍手を送る。
しかしジンの心はどこか冷たかった。
自分だけが別世界にいるような感覚。
知らない歌詞の文節が頭をよぎる。
♪
観覧席の最上段。
DECG高官たちはチャートを監視している。
「感情高調率72%。」
「兵力士気上昇率25%。」
「敵周波数混線率20%突破。」
軍服の将校が腕を組む。
「良好だ。しかしルビルビ側の位相が揺れている。カプセルの効果は未完成だ。」
紫の巻き髪の医師が答える。
「シャフィナは過剰に抑制されています。自発性が減っています。
しかしルビルビは依然として不安定です。」
幹部は冷静に言い切る。
「ショーは管理下でのみ存在する。我々はそれを制御するのだ。」
♪
宣誓式はこうして終わった。
華やかな舞台にもかかわらず、ジンは無表情で背を向ける。
群衆の歓声は依然として続くが、彼の耳には別の音だけが残る。
「…私は本物だ、Do you believe in the truth?…」
既視感が胸の奥に染み渡る。
ジンは指を握りしめ、心の中で呟いた。
「…これは、単なる公演ではない。」
イベント終了後、群衆の歓声は徐々に収まった。
ジンは舞台裏へと案内され、まぶしい照明の代わりに薄暗い通路を踏みしめる。
前後に兵士が並ぶが、誰も話さない。
機械音だけが壁面のケーブルから漏れる。
廊下の突き当たりで、大きな扉が開き、会議室の内部が現れる。
低い天井、壁面にはキューブ型スクリーンがびっしりと並ぶ。
それぞれがニューコア惑星の地形データ、資源分布、戦術図を照らしていた。
テーブルに座る指揮官は無表情。
肩にはDECGロゴの代わりに番号だけの黒腕章。
「9486、そしてイカルス部隊全員。」
その声は乾いていて、威厳は漂わない。
「明日から本当の戦いが始まる。」
ジンは無意識に顔を上げる。
指揮官の視線は冷たく、鋭く落ちた。
「しかし我々は戦うのではない。」
彼はゆっくりとスクリーンを指す。
ニューコアの広大な荒地。
赤く示された区域が点在する。
「目標は先取りだ。資源、拠点、記録されない領土。
我々が最初に到達することが勝利だ。」
ジンの指先が震える。
勝利…戦闘ではなく、資源の先取り?
スクリーンは変化し続ける。
DECG採掘基地、輸送ルート、武器配置。
だが敵の名前はどこにもない。
沈黙の中、指揮官は淡々と告げた。
「覚えておけ。公式記録には残らない。
我々は非公式だ。失敗すれば、存在すら消える。」
その言葉が骨まで冷たく響く。
ジンは心の中で呟く。
「…これは戦争ではなく、略奪だな。」
その瞬間、スピーカーから微かなノイズ混じりの歌が響いた。
「…Twilight 星を踏みしめたつま先に—」
ジンは耳を疑った。
歌だ。
だが指揮官は説明を続ける。
「今回の作戦のコードネームは…」
彼の手の動きに合わせて、キューブスクリーンが赤く点滅した。
[Operation: STONEN SWEEP]
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