レモンと町歩き
教会で、ぼくの左足はあっという間に治った。
もともとレモンの魔法で骨がほとんどくっついてたらしい。
セルが固めてくれた石膏も、外してもらった。
もう痛くもなく、普通に歩くことができる。
「よく歩いて動かした方がいいからね」
オリーブさんっていう優しい女の人がそう言って、ぼくの足をあたたかい手でなでてくれた。
教会を出ると、レモンが立っていた。
「もう大丈夫なの?」
「うん」ぼくはうなずいた。「レモンのおかげだよ、ありがとう」
「よかった」レモンは笑顔になる。
「セルにもお礼を言わなくちゃ」
「あ、それなんだけど」レモンは言う。「一緒にパンを買って行かない?彼の分も」
「え、でもぼく、お金ないよ」
「わたしが出すから」
「あ、うん」
それは……ぼくからのお礼になるんだろうか?
「あの人の家、食べられるものが、戸棚に乾パンしかないのよ?」
パン屋への道を歩きながら、レモンは呆れたように言う。
「あ、ぼくも乾パンをもらった。あとコーヒー」
「ホント?何をつけたの?バター?」
「何もつけなかったけど……」
レモンは盛大なため息をつく。
「そんな食生活、今に体こわすわよ」
そして首を捻る。
「どうしてかしら。お金に困ってるようには見えないんだけど……自分の作品なり、あの家にある鉱石なり、売ればそれなりのお金になるでしょうに……」
ぼくはうなずく。たしかに、溶けてしまったけどすごい金塊もあったなあ。
「あ、でも売るとか言うと、気を悪くするかしら?」
レモンはあわてて口に手を当てる。
「え、普通に売ってるって言ってたよ。前は一層のお店で買ってくれる所があったんだって。でも今はそのお店、なくなっちゃったから……」
ぼくは話しながら、あれ?と思う。
この話、前にたしかに聞いたんだけど、いつ聞いたんだっけ。
レモンは「なーんだ」と口から手をはなす。
「じゃ、やっぱり、単に食に頓着がないのね。そうよね、チャコールは自分でジャムとかパンとか色々作っていたもの。いくらなんでも、もう少しやりようはあるわよね。大体あの家――」
「レモン・イエローさん?」
声をかけられ、「はい?」とレモンは振り向く。
「やっぱり!探索隊の、レモン・イエローさんよね!」
年のころ三、四十ほどの女性が二人、うれしそうな顔で立っていた。一人は赤ん坊を背負っている。
「岩ゴーレムをやっつけてくれたんだって?」
「あたし達、こないだの岩ゴーレムに家をやられてねえ」
レモンは、「ああ……」と合点がいった表情になる。そしてニコッと微笑み、
「わたしだけの力ではないんですよ、バーミリオンさんや他のみなさんがいてくれたから、倒せたんです」
と答えた。
「いやあ、それでもよ。いつもありがとうね。みんな、本当に助かってるのよ」
「よそからいらして、大変だろうに。この島のために、ありがとうねえ」
二人の女性は拝む勢いでレモンに口々にお礼を言う。
レモンは「こちらこそ、ありがとうございます」と慣れた様子で微笑み返す。
「二年前もね、魔獣を倒してくれたんでしょう?」
「カーマインくんと一緒に」
「あなたたちは、島の英雄よ」
その言葉に、レモンは少し困ったように、でも笑顔は崩さずに、
「あれは……チャコールが、がんばったんですよ。……つらかったのに」
と、後半は少し小さな声で答えた。
「チャコールね。あの子はいい子だったよねえ。あの笑顔がないと、朝がなんだか、物足りないのよねえ」
女性たちも少ししんみりした雰囲気になる。
「でも、きっと、あの子のことだから、どこかで元気にしてるわよ」
「だといいんですけど」レモンは笑顔のままだが、声には少し元気がない。
「カーマインくんも、早く見つかるといいわね。行方不明なんでしょう?」
――えっ?
女性の言葉にぼくは思わずレモンを見る。
レモンは表情を変えず、「そうですね」と微笑んでいる。
「あたし達にできることがあれば、なんでも言ってね」
「そんなにないと思うけど」
「困った時は頼ってね!」
そう言って、女性たちは手を振って去って行った。
「……いい人たちね、この島の人たちはみんな、あたたかい」
レモンはつぶやく。
「けど、わたしはまだ、『よその人』なのね……」
その横顔はどこか、少しさびしそうにも見えた。
「カーマインって人、行方不明なの?」
ぼくは聞いた。レモンはちらりとこちらを見て、「そう」とうなずいた。
「二年前、魔獣を倒した後、わたしが寝込んでる間に……多分、彼のことだから、一人で無茶したんだわ」
「そうだったんだ……」
「カーマインのこと、知ってるの?島主の息子」
レモンに聞かれて、ぼくは少し困ったが、「名前くらいは……」と答えた。
本当は、おぼろげに、知っている気がする。
その名前、その笑い声。
チャコールの大切な人。
レモンは「そうね、有名だものね、この島では」と特に疑問にも思わなかったようだった。
「チャコールは、元気にしてるのかな……」
レモンがひとりごとのようにつぶやく。
ふいに、ぼくの脳裏に浮かぶ光景。
白い部屋、白いベッド。
そこで眠る、チャコール・グレイ。
「――眠ってるかも」
とぼくは言った。
言ってから、どうしようかなと思った。
どうしてわかるのかとか、聞かれたらどうしよう。ぼく自身にもよくわからないのに。
でも、レモンは、空を見上げて、
「そうね……休んでくれてた方がいいわ」と呟いた。
「彼女はずっと頑張っていたから」
海沿いの通りに、そのパン屋さんはあった。
こじんまりとした、明るい感じのお店だ。
「チャコールがよくここのパンをくれたの」
レモンがぼくに言うと、
「バイトしてたからね」
と、パン屋のおかみさんが笑った。
「いつあの子が帰ってきてもいいようにしているよ」
ここでもチャコールは好かれていたみたいだ。
ぼくは少し安心して、そして少し不思議に思う。
なのに、どうしてチャコールは、あんなにさびしそうだったんだろう。
「シロ、セルリアンは、どのパンがいいかしら?好みとかわかる?」
レモンが話しかけてくる。するとおかみさんが、
「セルリアンって?」
と尋ねた。
「セルリアン・ブルーって人。石職人の……知らないですか?」
レモンが逆に尋ねると、
「さあねえ……ねえあんた、知ってる?」
「いや?聞いたことないなあ」
おかみさんと店主は首を傾げる。
と。
「聞いたことある。洞窟に住んでる変わり者でしょ?」
近くの席に座ってパンを食べていたお客さんが、話しかけてきた。ほかのお客さんも口々に言う。
「そうそう、変わった職人で、客をあまり取らないとか」
「なんでもまだ子どもらしいね、あ、ちょっと前の話だけど」
「いつ、どこから来たのかも、誰も知らないとか」
「でもなんか、見事な石細工を作るらしいじゃない」
「そうなんだ。どんな人なの?」
おかみさんは、興味津々といった表情で聞いてくる。
「えっと……」
ぼくが答えようとすると、レモンが、
「わたしたちも今日会ったばかりで、よく知らないんです」
とさらりと答えた。
パン屋を出て、坂道を歩く。紙袋から、焼きたてのパンのいい香りがする。
「ねえ、シロ。シロはきっと、とても素直で、正直な人なのね」
レモンが言う。潮風が彼女の金色の髪をなびかせる。
「正直なのはとてもいいことだわ。でも……人の話をするのは、本人に許可をとってからにしましょう」
「わかった」ぼくはうなずいて、ふと首をかしげる。「でも、さっき女の人たちとは、カーマインの話やチャコールの話はしたけど……」
「あの二人はまあ、みんな知ってるからいいけど」レモンは答える。
「セルリアンのことは、まだわたしもよくわからないし。憶測で噂が広がるのは……ね」
ふうん、そっか。
「レモンって優しいんだね」
ぼくが言うと、レモンは「えっ??」と不思議そうな顔でぼくを見た。
えっと……なんて言ったらいいんだろう。
「えっと。レモンの言う通りだなって思って。わからないことを、わからないってわかっておくのは、大事だなあって、思ったんだ」
ぼくは、ぼくなりに一生懸命説明した。
レモンはふっと遠い目をして、「そうね……」とつぶやいた。
「そうね。わたしにはわからないことが多すぎる。セルリアンのことも、……チャコールのことも、何も知らないの」
「レモンも?」ぼくは不思議に思う。「チャコールとは一緒に旅をしてたのに?」
ぼくの言葉に、レモンは微笑む。
「そうね」
ああ、また、その顔。さびしそうな笑顔だ。
「そうね、半年以上、一緒にいたのにね。チャコールから、セルリアンの話もたくさん聞いていたのよね……思い出したわ」
海の音が優しく響いている。
空が少しずつ、茜色を帯びていく。
もうすぐ夕方だ。
「あの写真……あんな風にあの子が笑うなんて、知らなかった」
レモンはふと、足を止め。
ぼくの方に向き直って、言った。
「セルリアンの言ったことは本当よ。チャコールがいなくなったのはわたしのせい。」
ぼくは――
ぼくは何も言えなかった。
夕日を背に、彼女の表情が見えない。
「魔獣を倒したのは、彼女なの。チャコールなの。わたしじゃない」
見えない彼女の表情が、苦痛に歪んだように見えた。
「わたしは何もできなかった」
レモンの握りしめた拳が、かすかに震えているように見えた。
「魔獣が、あの日蘇ったのも……
チャコールが消えたのも……
わたしのせいなのよ」
ぼくは何も言えずに、ただ聞いていた。
「わたしが、もっと……
いえ、そもそも、わたしが、この島に来なければ……」
風が吹き抜ける。
「――行きましょう」
レモンは再び、ぼくに背を向けて歩き出す。
「過去のことを悔やんでも、もうどうにもならない。こうなったからには、わたしはこの島のために身を捧げるつもり。カーマインと……チャコールを見つけるためにね」
ぼくは追いついて、レモンの顔を見上げた。
その表情にはもう、悲しみやさびしさは見えない、凛とした、いつものレモンの横顔だった。
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