幕間
セルリアン・ブルーの昔の話
昔住んでいたのは、西方の、小さな島国だった。
普通の家。優しい父。明るい母。ひょうきん者の兄。
笑いの絶えない家族ってやつだった。
俺以外は。
俺には一般魔法の才能はあまりなかった。興味もわかなかった。
それは別に、町で暮らす分には困らなかった。魔法を使えない人の方が多かったし。
町にはきれいな川が流れていて、色々な石がとれた。
俺は河原で過ごす時間が好きだった。
川の音に耳を澄ませながら石を眺めていると、石によって、少しずつ異なる声が聞こえるような気がした。
具体的に何と言っているかまではわからない。
ただ、うまく言えないけれど、空気のような、流れのような――そういう何かを感じるのだ。
俺は色々な石を集めることに夢中になった。
この石はどうしてこういう声がするのだろう。
この石とこの石は相性がよさそうだなあ。
本で石のことを調べて、推測する。
石に話しかけてみると、時々応えてくれるようになった。
自分の小さな部屋で、石を相手に考えたり、話したり、調べたり。
その時間が幸せだった。
騒がしい家族といるよりも。
うるさい学校にいるよりも。
自分がなんとなくまわりと違うと感じはじめたのは、幼学校五年生くらい、九歳の頃だった。
「セルリアンくんは、石ばかりいじっていて、お友達の輪に入れない。心配です」
教師がやたらと、そんなことを言うようになった。
「みんな、セルリアンくんも仲間に入れてあげてね」
クラスメイトは容赦がなかった。
「なにそれ、石?きったねー」
集めていた石を投げられ、隠された。
「あいつヤバいよな」
ほっといてくれ。
「石と話してるって。なんかこわーい」
ほっといてくれ。
俺は――学校を休むようになった。
はじめはお腹が痛いとか、頭が痛いとか言っていた気がする。
でも――
「そんなに根をつめて石ばかり見てるから、具合が悪くなるのよ」
それが母の口癖になった。
「ちがう、石を見て、石について考えていると、楽しいし、ホッとするんだ」
何度もそう説明した。
「お前は友達を作るのが少しだけ苦手なだけなんだ、だから石に逃げてるだけなんだよ」
父は真剣な顔で俺にそう話した。
「ちがう。逃げてるんじゃなくて、石が好きなんだ」
何度もそう説明した。
学校に行くのはつらい。
石をぞんざいに扱われるのはつらい。
人が俺を見て、勝手に色々決めつけて、
俺の居場所を、好きなものを、好きな時間を、奪っていくのがつらいんだ。
繰り返し、繰り返し、そう話した。
母は、
「セルがつらいなら、今は無理に行かなくてもいいのよ」
と言ってくれた。
父は、
「学校に行けない間は、父さんたちが色々教えてあげるからな」
と言ってくれた。
けれど――
いつかは学校にまた行ける日が来ること。
いつかはみんなみたいに「普通」の子になれること。
そんなに魔法や勉強はできなくても、明るくて優しい、兄みたいな「普通」の子に。
それを期待されていることはわかっていた。
だから、笑い声の絶えない家の中で、
依然、俺だけが異質だった。
結局、学校には行かずに、十二歳の誕生日が過ぎ、卒業式にも出ないまま、俺は学校を卒業になった。
忘れもしない。卒業式の次の日。祝日だった。
その日は暖かくて、少し日差しがまぶしくて、庭には父母が育てている色とりどりの花が咲いていた。
父が、そう、父が誘ったのだ。俺と兄を。
「卒業旅行とまでは行かないけど、川に遊びに行こう。釣りもしよう。セルの好きな石を教えてほしいんだ」
俺は、少し、うれしかった。
いや、けっこううれしかった。
やっぱり、心のどこかでは、親に祝ってほしかったんだ。
学校に行けない、親不孝な息子だけど。
両親の理想とは、違うかもしれないけど。
兄は釣りをしたり川遊びをしたりとはしゃいでいて、父はほとんど兄に付き合っていて、俺は俺なりに、やっぱり少しは空気を読んで、いつものように石探しに没頭したい気持ちを抑えて、石英とかのキレイめな石を見つけて父に渡した。
夜、家に帰ったら――
俺の部屋は、空っぽになっていた。
机と鞄と、教科書と、少しの本。
それだけを残して。
石は――部屋を埋めつくすほど集めた石は。
本は――石についてたくさん調べた本とノートは。
きれいさっぱり、なくなっていた。
「すてきでしょう、この部屋、こんなに広かったのね」と母は笑顔で言った。
「スッキリしたな」と父は笑顔で言った。
「すっご!母ちゃんがやったの!?全部!?」兄は笑っていた。
みんな笑っていた。
「……捨てたの?」
俺は、なんとか、それだけ、声を出した。
「そうよ、いらないものは全部なくなったから、これでホントにセルも、卒業できるわね。もう、お友達が来ても、恥ずかしくないわね」
母はうれしそうだった。
「どうして?」
俺は問う。「どうして、僕のもの、捨てたの?」
「父さんと母さんで相談したんだ」父が微笑む。「この部屋は、お前にはよくない環境だったからね」
何を言ってるのかわからない。
両親は笑っている。うれしそうに笑っている。
「あなたの可能性を狭めるのはよくないって、お父さん、ずっと心配してたのよ」
「いつもこの部屋で、苦しそうだったからな」
「ぼくは」俺は震える声で言った。「ぼくは、苦しくなんてなかったよ」
「自分では、気づいてないだけさ」父は優しい声で言った。「お前は優しいから、物に逃げてたんだよ」
夕食に呼ばれても、返事はせずに、空っぽの部屋で、布団に潜りこんだ。毛布を頭からかぶっても、どこかスースーとした寒さはなくならなかった。
今日はたくさん遊んだから、疲れたんだろうな、と父が満足そうに笑う声が聞こえた。
部屋があれだけきれいになったから、ゆっくり休めるわよ、と母が満足そうに笑う声が聞こえた。
あの部屋、すごかったもんねー!と兄がケラケラと笑う声が聞こえた。
みんなの笑い声を遠くに聞きながら。
俺はそっと、心の扉を閉めた。
三日後に、俺は家を出た。
財布と上着と水筒だけを持って。
机の上に、手紙を残してきた。
「お父さん、お母さんへ
ぼくの部屋にあった、お父さんとお母さんが捨てた物。
あれは、ぼくにとっては、ぼくが生きるため、考えるための大切なものでした。
あれだけ何度も何度も説明したのに、それを理解してもらえていなかったことが、一番悲しかったです。
多分、話してもまた誤解されると思うので、しばらく家を出ます。
どこに行くかは書きません。心配をかけたいわけではありません。
ただ、自分の考えを誰にも邪魔されずに整理したいだけです。
元気でいてください。
セルリアン」
――でも、この手紙を読んでも、あの人たちにはわからないだろうな、と思っていた。
手紙を書いたのは、俺の心の整理のためだ。
あの人たちのためじゃない。
群青ヶ島には、変わった石や、他の地域にはないような石が、たくさんあるそうだ。
小さい時にそれを本で読んで知ってから、ずっと、いつかこの島に来たいと思っていた。
こんなに早く来ることになるとは、思っていなかったけれど。
船を乗り継いでついたこの島は、ぼくがいた島よりずっと小さくて、町はあたたかく、人は皆笑顔で、親しみ深かった。
あたたかく、優しく、親しみ深く――
どうしてもあの家を思い出してしまう。
その笑顔に応えなきゃと思うと、冷や汗が出て、体が震えた。
島に来てからしばらくは、人の笑顔が怖かった。
笑い声が聞こえると身がすくんだ。
だから、洞窟の中に家を作って、隠れるように過ごした。
今も少しだけ怖い。
石のことを、笑う人が怖い。
外に行こうと、誘う人が怖い。
人の場所にズカズカと遠慮なく踏み込んで来る人が怖い。
けれど――
洞窟には、青脈洞には、本当に美しい石がたくさんあった。
探しても、採っても、終わりがないほどで、俺は没頭した。
幸いここには、こちらから出て行かない限りは、必要以上にこちらに干渉してくる人もいなかった。
一人で洞窟から石を採ってきては、あの暗い家の中で、石の声を聞いて、色々話して、調べて、色々試す。
そんな生活を、二年ほど続けているうちに――
俺はいつの間にか、石を使った魔法を扱えるようになっていた。
石の流れを読んで、元の形から形を変えること。
石の声を聞いて、本来の性質から、それ以上の力を引き出すこと。
それらを組み合わせたり、増幅したりすること。
それを、身を守るために魔法として使うこと。
そういうことができるようになっていた。
昔、近所の老人が言っていた。
魔法については、まだわかっていないことが多い。
一般魔法は、多くの人がやりやすい手法を、多くの人が覚えやすい長さや言葉にして、それを教科書にまとめただけのもので、本当の魔法のごく一部だと。
そして、中には、一般魔法とは全く異なるメカニズムで、魔法を編み出す人間もいるらしい――と。
まあ、俺のは、そんな大それたものとは思えないけど。
もう一つ、変わったことがあった。
島に来て二年ほどたった頃、チャコールと出会ったことだ。
はじめは俺は、その笑顔を、かなり警戒していた。
一層の店で俺の作品を見て、おじゃましたくなったという彼女に、今思えば、すごく冷たい対応をしたと思う。
けれど。
俺の加工を、すごいすごいと喜び。
俺の石を、どんなに一般価値の低いものも、
「きれい。セルが大切にしてるのがわかるよ」
そう心から言い。
俺の話を、否定せずにふんふんと聞き。
いくら冷たくしても、家を訪れてくれる彼女を。
少しずつ、少しずつ信頼している自分がいた。
話すつもりのなかった話をして、ちょっと変なことを言ってしまったりして、それでも彼女は、俺を笑わなかった。いつもよく笑っていたけれど、俺の話は受け入れて、寄り添ってくれた。
それだけで、救われていた。
今までの自分も、あの日心に傷を負った幼い自分も、今の自分も。
だから、ちょっとした気の迷いで、親に一度だけ電話した。
電気石や磁赤鉄鉱、鉄などを使ったお手製の電話。海の向こうにも、ちゃんとつながった。
受話器がわりの石の向こうで、母の声が震えた。
「あんた、どこにいるの? 心配してたのよ。寒くないの? ちゃんと食べてる?」
一瞬、胸の奥が軋む。
だがその次の言葉で、その軋みはスッと消えた。
「あれから、おうち、本当にきれいにしてるのよ。余計な物とかもないし、すっきりして……あなたの机も、ちゃんととってあるから、いつでもすぐ使えるわ」
「……そう」
「ねえ、もう帰ってきなさい。みんな心配してるの」
受話器がカチ、と鳴って、父の声が代わった。
「セルリアン」
懐かしい声だ。優しい声。
父の声はあたたかく優しい。
けれど、それだけだ。
「お前は優しいからな。人と話すのは、気をつかいすぎて、疲れちゃうんだよな。その点、石は何も言わないから、楽だったんだよな。わかっているよ。でも、もう大丈夫だ。父さんも母さんも、今度こそ、お前を支えるから。だからお前も、もうそういうのに頼らなくても、自分を保てるようになれるよ。もう一度、一緒にがんばろう」
あたたかい声を聞きながら、心が静かに冷えていく。
俺は、自分でも驚くほど冷静だった。
やっぱり、何を言ってるのかわからないな。
そうだよね。
それだから、俺は家を出たんだもんな。
「……そうじゃ、ないよ。さよなら」
俺はそれだけ言って、石の魔法を説いた。
プツリと、声が途切れた。
電話にしていた石を見つめていると、コンコンと扉を叩く音がした。
「セルー、起きてる?」
チャコールの声だ。
もう夜なのに、わざわざ寄ったのかな?
俺は自分の顔が自然とほころぶのを自覚しながら、石をゴトリと置き、扉に向かって歩きだした。
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