ぼくと、薄墨の層での出会い
「ふああ……」
目を覚ますと見慣れない、薄暗い石壁の部屋の中だった。
あ、そうだ。昨夜はセルの家に泊めてもらったんだった。
ぼくは思い出す。
ゆうべ、セルが家の奥から出してきた折りたたみのベッドを貸してもらったのだ。
「お客さん用なの?」
「……まあね。泊まる客なんかいないけど」
「チャコールは泊まったことはないの?」
ぼくが聞くとなぜかセルは少しムッとしたように「あるわけないでしょ」と言った。
「じゃあもしかして、このベッド使うのって、ぼくが初めて?」
「…………」
「泊まる人いないのにベッド二つ持ってたの?」
「……文句があるなら床で寝れば?」
セルはぼくに背中を向けてしまった。どうやらぼくは彼を少し怒らせてしまったみたいだった。ぼくは質問するのをやめて、大人しく布団に入ったのだった。
立ち上がって部屋の中を見渡すと、セルリアンが本棚の前で、床に座って本を読んでいる。
「あ、セル。おはよう」
ぼくがそちらに歩いていくと、セルはちらりとこちらを見て、
「おはよう、乾パンが水道の横の棚にあるから食べていいよ」
と言った。
「ありがとう」
ぼくは水道と棚が並んでいる場所に行く。棚の上に乾パンとコーヒーが置いてある。セルが用意してくれたらしい。
ここがキッチンなんだろうか?
乾パンをかじる。
……なんか、ボソボソして味がしない。
「セル、これ、味しないよ」
「ああ、コーヒーと一緒に食べればいいよ」
「わかった」
そういうものなのか。
ぼくはコーヒーを飲み、乾パンをかじる。
コーヒーの香りに乾パンの小麦の香りが重なる。
と。
――『このジャム、我ながらうまくできたなあ』
そんなチャコールの声が聞こえた気がした。
「セル、ジャムってある?」
ぼくが聞くとセルは本から顔を上げずに「ない」と答えた。
ぼくが乾パンとコーヒーの朝ごはんを食べ終わって、マグカップとお皿を洗い終わってからも、セルはずっと本を読んでいる。
……ひまだ。
「何読んでるの?」
ぼくはセルのそばに行ってのぞいてみた。
……字がいっぱい書いてある。ところどころ、魔法陣みたいな図もある。
「家の守りを固めようと思って。また、きのうみたいに魔物が入ってきたら困るから」
セルは目で本の文字を追いながら答える。
「ああ……」
たしかに、きのうは少し扉が開いただけで、突然巨大樹の枝が入ってきてセルをつかまえてしまった。
「ああいうことって、きのう以外にもあるの?」
ぼくが聞くと、セルはうなずく。
「最近増えてるんだ、迷惑してる。守りの石を玄関に置いてるんだけど、きのう倒されてたし」
そうなんだ。
「……ぼくに何か手伝えることある?」
ぼくは聞いてみる。セルは「うん」と「ううん」の間みたいな声を出して黙り込み、本のページをめくる。
しばらく待ってみても返事がないので、
「とりあえず、きのう散らかったところを片付けるね」
ぼくは玄関周辺のゴミを集め始めた。
綺麗な石もいくつか落ちている。
なんだかよくわからないメモがびっしり書いてある紙もたくさん落ちている。
よく見ると部屋の端には砂ぼこりがたまっている。
「……セル、最近掃除したのって、いつ?」
聞いてみるが、返事はない。
寝ちゃったのかな?と思って立ち上がって本棚の方をのぞくと、さっきと同じ姿勢で本を読んでいる。
……集中力がすごいのかもしれない。
まあいいや。ぼくは石をまとめて近くの棚の上に置いて、床を拭こうとした。
「あ」
セルがスッと立って、ぼくが置いた石を手に取る。
「適当なところに置くとわからなくなるから」
そう言って机の上に適当に置く。
……え?それ、適当に置いたよね?今。
「セルも適当に置いてる……」
ぼくが言うとセルはムッとした顔でぼくをにらむ。
「俺は俺なりにわかって置いてるから」
……えーと。
ぼくはセルの机の上を見る。
縦横斜めとバラバラに重なったメモ。埋もれた本や石。机の表面はほとんど見えない。
あんまり、「わかって置いてる」ようには見えないけど……。
でもセルがそう言うのなら、あんまりぼくが、勝手なことをしない方がよさそうなのかな。
「わかった、ぼくちょっと剣の練習してくるね」
ぼくはそう言って扉を開けた。
セルはもう元の場所に戻って本を読んでおり、顔を上げず軽くうなずいた。
もう外は日がすっかり上っているみたいで、岩の天井の隙間から明るい光が差し込んでいる。夜中に雨が降ったんだろうか、地面のコケがところどころ濡れており、光を浴びてキラキラと光っている。
「えいっ!……うわっと」
濡れたコケに足をすべらせて、ぼくはあわてて踏みとどまった。
「すべるなあ」
ちょっと危ないかもしれない。濡れてなさそうなところを探そう。
ぼくは少し薄暗くなっている洞窟の先に進む。
「……あっ」
洞窟の先の地面に大きな穴があいていて、崖みたいになっている。
のぞくと、錆びた鎖がついている。これをつたって下に降りられるみたいだ。
ただ、鎖は途中で切れている。
「……どうしよう」
正直、下が気になる。
目を凝らしてみると、下はゴツゴツしていて、岩肌がキラキラ光っている。こっちの岩とは違うみたいだ。
『うわあ、きれい』
チャコールの声が聞こえた気がする。
そうだ。
チャコールは色々なものを見ては、きれいきれいっていう人だった。
そして、チャコールが特に好きで、よく探索していたところがあった。
洞窟の二層。「
それが、その入り口が、ここなのではないだろうか。
いや、きっとそうだ。一層からひとつ下に降りるんだ。
「……よし」
ぼくは鎖をつかんで、足を岩肌にかけた。
鎖の端をつかんだままぶら下がり、思い切って手を離す。
とすっ。
思ったより簡単に飛び降りることができ、ほっとした。
「……うわあ」
ぼくはあたりを見渡し、思わずため息が出る。
洞窟の岩肌は、灰色と黒が混じったようなもの、赤みを帯びたもの、光沢があり光るもの――様々な岩が混じり合うように重なっていた。
「一層と、全然違う……」
ぼくはそっと歩き出す。
明かりが少なく、暗い。何か明かりになるようなものを持ってくればよかっただろうか。
「……あれっ」
道の先に、ほのかに光る石を見つけた。
ぼくは近づいて手を伸ばし、それを拾う。
――
セルの家にも明かりとしてたくさん吊り下げられたり壁にはめ込まれたりしている石だ。名前をセルが教えてくれた。色々な色のがあるそうで、ぼくが拾ったこれは緑色と紫色が層になって重なっている。
「……きれい……」
顔を上げると、もっと奥にも、淡い光が見える。
あそこにもあるんだ。
考える間もなく、ぼくは一歩踏み出した。
――ごとっ。
その重い音を、耳がとらえ。
あれっと思った瞬間。
ぼくの体は宙に浮いていた。
「――えっ、ええっ!?」
ぼくはあわてて、空中で手足をジタバタと動かす。
目の前の岩が動き、光る何かが見える。
――スライム?
いや――ゴーレムだ。
キラキラ輝く結晶を背負ったスライムを身体にまとった、大きなゴーレムが、そのゴツゴツした腕でぼくの腰のベルトをつかんでいるのだ。
――やばい。
どうしよう――
その時。
「深き翠の生命の蔓よ。蒼き碧の命の芽吹きよ。ここに集いたまえ」
凛とした声が、洞窟に響いた。
「その腕を伸ばし、その囚われし者を救いたまえ。ヴァリディス・ヴィエナ・アルム!」
シュルルルル!と四方から緑色の蔓がせまってきた。
「わっ――」
蔓はぼくに巻きつき、すごいスピードでゴーレムの腕からぼくを引きはがす。
ぼくは蔓に引っ張られて宙を舞い、地面に着地した。
「大丈夫?」
その声に見上げると。
金色の長い髪をなびかせ。
黄金色に光る杖を前方に差し出したまま。
青い目でぼくを見つめる、彼女がいた。
レモン・イエロー。
きのう洞窟の前の丘で見た、その人だった。
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