第7話 たとえばここに先輩から貰った折り紙が100枚あったとして

 先輩のことを思い出す時、たいていがあの日のことから始まる。

 それは私が符雨ふう先輩と出会ってから2か月が経った6月のある一日。梅雨の快晴にご機嫌な符雨先輩が「今日予定空いてる!?」と朝電話してきたのが始まり。

 たまたま休日だったこともあって、符雨先輩はあいにくの天気続きで持て余した体力を発散するみたいに、あそこに行きたいここはどうかなと電話口で楽しそうに話していた。最終的に符雨先輩が気になっていたカフェに行くことになって。

 精一杯おしゃれして、電車で向かった待ち合わせ場所で、符雨先輩は開口一番に言ったんだ。


「ねえ、鈴晴りせ。あたし思ったんだけどせっかくならおなかすかせたほうがいいよね?」

「……まあ、そうですね?」

「だよね! じゃあ決まりっ。歩いて行こっか」

「――歩いて!?」


 こうして私たちは片道一時間かけて目的地まで歩いて――


「ねえ、鈴晴」

「なんですか、三上みかみ先輩」

「これ、なんて書いてある?」

「臨時休業って書いてありますね」

「……さっきインスタ見たらちゃんと今週は休みって書いてあった」

「三上先輩……」


 さすがの先輩も落ち込むかなと隣を見ると、先輩と目が合って。数秒間見つめ合っていると、突然符雨先輩は「あははっ!」と声を上げて笑ったのだ。それが、心底楽しそうで。


「ふふ、あははっ! よし、こうなったら自撮るぞ後輩!」

「ちょ、三上先輩っ」


 符雨先輩に肩に腕を回されて、私は先輩のかざすスマホに照れ笑いを浮かべた。

 インカメに映る先輩は歯を見せて笑っていて、ぱしゃりと切り取ったその一瞬に私はふいに思ったのだ。


 ああ、私、この人先輩がすきだ。


 その時は、その感情にどんな名前をつけるべきかまでは分からなかった。

 上級生としてなのか、友人としてなのか、あるいは恋愛感情があるのか。

 色んな体験談を読んだりセクシュアリティ診断サイトを見たり符雨先輩と一緒に過ごしたり、時間をかけてやっと気づいた。

 ああ、私は女の子に恋をするんだって。

 だから。


「おーす咲島さきしま~」

「あっ、うん。おはよ」

「……あれ、その待ち受け。友だち?」

「――え、見たの!?」

「いやいやごめんって。たまたま見えちゃって……」

「まあ、いいけど。えっと、先輩だよ」

「部活の? 委員会とか?」

「え……え、その辺の? 普通の? 先輩……?」

「ははは! 何それ、ははっ」

「だ、だよね……」

「まあでも、なんか、仲良さそうでいいね」

「――っ!」


 クラスの友達にあの日撮った自撮りの待ち受けを見られた時、仲良さそうと言われて思ったんだ。

 いつか、私に勇気が出たら。

 その時は、告白したいなって。



※※※



 ――1年生の女子トイレに駆け込んだ鈴晴は、後ろ手に閉めた個室の扉に背を預け、その手で顔を覆った。


「……いつもの、遊びだと、思って。普段通りに、しなきゃって、思ってたのに」


 途切れ途切れの鈴晴の声は次第に熱を帯び、吐息が混じりがちになる。

 慌てて深呼吸をして、視線はトイレの壁に向け、脳裏で符雨の像を結びながら鈴晴は口にした。そうしなければ、心の整理がつかないみたいに。


「先輩、わた、しの……こと……」


 思い出す、「恋人」くじの日々。

 最初にこの話題が出た時、鈴晴はどうしようかなと思った。けれど符雨の楽しそうな表情を見ていると話の流れを軌道修正する気も起きなくて、三分の一の確率で恋人になる遊びが始まってしまった。

 遊びだと思えば、平常心で居られた。

 少なくとも先輩は「女の子同士の恋愛」を遊びと言っているのではなくて、「恋人のフリをする」ことを遊びと言っていたし、何より。


『そうそう。あたし恋人いたことないし。彼女も彼氏もね。だから予行演習も兼ねてる』


 鈴晴は符雨のその言葉が、嬉しかった。

 彼女も、と、選択肢に入っていることが。

 自分にもチャンスがあるのかもしれない。

 そう気づいた時、鈴晴はこの遊びにいつも以上に気合いを入れて向き合うことにしたのだ。もし「恋人」になったら、符雨にアプローチをして、それで、自分を好きになって貰えたら、なんて。


 最初に「恋人」になった時、思い切って色々やってみようとか心に決めたのに、いざ符雨に抱きしめられると幸せすぎてパニックになった。先輩と後輩の触れ合いは今までにあったし、それすら夜ベッドの上で嬉しさやら恥ずかしさやらで悶絶することになっていたのに。

 「恋人」としてのハグは、あまりにも――嬉しかった。

 だから、だから、だから鈴晴は。


(……私)


 5回目の夜、符雨からキスされた時、足元が揺らいだ。

 ほんの、時間にすれば一秒に満たない接触は、鈴晴の心に消えない熱を灯した。

 幸せな遊び、ずっと続けばと思ったこともあった「恋人」くじではもう、嫌だった。先輩と恋人になりたい。一日じゃない、フリじゃない、練習じゃない。

 ちゃんと、「恋人」に。

 

(私、怖かった)


 けれど、やっぱり怖い。

 符雨は彼女もと言っていた。自分にもチャンスがあると思った。それでも、気持ちを告げるのは怖い。だから、区切りが必要だった。

 符雨が、この遊びを止めた時。

 いつもの彼女なら飽きるか満足するかで止める。その時、言おうと思った。「私は練習じゃなくて本番も先輩がいいです」と。「ずっと前から先輩が好きです」と。「付き合ってください」と。

 なのに。


(ふう、せんぱい)


 その名前を浮かべるだけで、息が詰まる。胸が震える。喉の奥が鳴る。

 覚えず、ブレザーのポケットをまさぐっていた。スマホが指に触れる。取り出す。画面を付ける。

 ――符雨と鈴晴のあの日の写真が、見えて。


「ねえ先輩、私と、『恋人』になり、たかった……んですか? それって、どうして、ですか先輩……先輩なら、三分の一確率だからこそ楽しめるって、言いますよね……な、なら」


 うわごとのように口の中で呟く。

 ほとんど息だけのその言葉の羅列の最後を、鈴晴が、口に。


「符雨、先輩――好き、なの……?」


 (私の、こと)


 した瞬間に、通知があった。

 しかも、符雨から。


「……っ!!」


 そこには、こう書かれてあった。


『鈴晴のこと、ちゃんと考えられてなくてごめんね。月曜日のお昼休みにちゃんと話したい』


「……、――っ、……ぅ」


 それって、それは、それさ、それ、それ……。

 まるで、


「こ、く……は、く?」


 符雨の言葉に頭が真っ白になる。次いで、煌々と燃えて、最後に絶対零度を指す。

 そんなことをしても落ち着けないと分かっていながら、鈴晴は深呼吸をして。


『分かりました。待ってます』


 震える指でどんな返事を返したか、鈴晴は覚えていなかった。

 


※※※



 符雨と会わずに家に帰った鈴晴は、符雨の真意を考えた。

 夕食の味も、お風呂の温度も、宿題の軌跡も覚えていない。

 気づくとベッドに仰向けになっていた。


「先輩」


 もう何度か分からないほどに呟いたその名前。

 もし本当に符雨からの告白だったら、鈴晴はどうしようもないくらい嬉しい。


「でも、私……」


 先輩からの告白。それを望んだことは数えきれないほどある。

 でもそれ以上に、自分から伝えている光景を鈴晴は何度も何度もイメージしてきた。だからこそ、思う。やっぱり自分から告白したい。

 月曜日の符雨の話が何であれ、そうしたい。


「でも、どうやって――あ」


 チャット、電話、手紙、遊びに誘う、エトセトラと告白の想像は無数のシチュエーションを考えたことがある。そんな鈴晴の視界に、あるものが映った。

 部屋の中央の丸テーブルに置かれた折り紙の束。

 それは二か月前に符雨から貰ったもので、「折り紙ってすごいんだよ!」と盛り上がる符雨と一緒にしばらく折り紙で遊んでいた時の名残だ。この部屋で一緒に折ったこともある。

 いったいどれだけ折るつもりだったのか、符雨は50枚組の折り紙を3つも渡して来た。符雨も自分用に3つ持っていたから、彼女は合計で6セット300枚買っていたのだが。

 今や鈴晴の部屋に残るのは2つのみ。

 50枚組のうち20枚ほどを符雨との遊びで消費して、残りは文化祭で使いたいという要望に応えてクラスメイトに渡した。あとの2つの束は――何となく取っておきたくて。


「……確率」


 折り紙が目に入った瞬間、鈴晴の頭にあることが浮かんだ。

 それは告白にしては重いし、ぶっ飛んでいるし、現実でやるような人はいないだろうということだったけれど。

 符雨なら、受け入れてくれるんじゃないかと、思えて。

 むしろ自分たちにはこの方法が一番いいとさえ、思えて。


「……うん。やろう」


 ベッドの上で脱力していた鈴晴は跳ね起きると、勉強机の上に寝かせておいた筆記用具を掴んで丸テーブルの方に移動した。クッションを抱いて座り、折り紙を一枚手に取る。

 シャーペンのノック部分をこつこつと押しながら、鈴晴は呟いた。


「私も、ズルしますね、先輩」


 その声にはもう、迷いはなかった。



※※※



 ビニール袋に大量の紙束を入れて抱える1年生女子を、廊下ですれ違う生徒たちはどう思うだろうなんて、鈴晴は頭になかった。ただ今は、早く符雨に会いたかった。

 土日、連絡も取らなかったから、声を聞きたくて仕方なかった。

 気持ちを伝えたら、関係が変わってしまうかもしれない。

 符雨は、鈴晴のことが好きというわけではないかもしれない。

 全部、怖かった。でも。

 伝えようと一度決めたその熱は、不思議と足取りを軽くした。


「先輩」


 足早に向かう、いつもの場所。

 たった2日しか経っていないのに、長い間ここに来ていなかったような気がしてくる。そこの角を曲がった駐輪場裏だ。先輩は居るだろうか。

 ――と、そこで気づく。


(今日も先輩がくじ箱持ってくるかなんて、分からないじゃん)


 そう、鈴晴の「方法」にはくじ箱が必要不可欠だった。昼休みにくじを引くのがすっかり習慣になっていて、くじ箱がないかもしれないことを考慮していなかった。

 符雨の話が何であれ、真面目な場にあの箱は似合わないだろう。


「……ううん、無かったらこの袋をくじ箱と言い張る。三上師匠の教えを忘れたか、咲島鈴晴!」


 特に教えは思い浮かんでいないが、小声でそう気合を入れると、鈴晴はその一歩を踏み出した。

 ――果たして、すでにそこには符雨が居て。

 なぜか、足元にはくじ箱もちゃんと、あった。


「鈴晴、早いね――って、な、なにその袋っ?」

「せ、先輩っ。お、おはようございます……こ、これは、ですね」


 思えば2日も連絡を取らないことは珍しかった。

 そんな先輩の第一声が、いつもの声色とそう大差なくて安心すると共に、鈴晴はまたも計画の綻びを見つけてしまう。

 この袋、廊下の生徒は問いかけてはこないが、符雨は聞いてくるかもしれないじゃないか。それにどう答える? それに、告白のタイミングだ。符雨の話を聞いてから? 聞く前? 世間話を挟んだ方が良い? 切り出し方は?

 その瞬間の方法だけ手が込んでいて、あとは行き当たりばったりなことに気づくと、もう鈴晴は冷静ではいられなかった。


「――先輩!!」


 鈴晴は、とりあえず叫んだ。




「う、うんっ?」


 鈴晴は気づいていなかったが、緊張で肩を強張らせていた符雨はその勢いに動揺し、すとん、と肩が落ちた。


「それ、箱、くじ箱、借ります!」

「え、ああ、え……うん!?」

「ありが、ます!!」


 舌がもつれたけど、勢いで誤魔化す鈴晴。

 袋を抱えたまま3歩歩いて、符雨に中身を見られたらまずいので3歩戻って、袋を地面に置こうとしたがそれは嫌だったのでハンカチを取り出して下敷きにして、そのまま置いたら風で飛んでいきそうだったので口の部分をスマホで抑えて、くじ箱まで小走りで移動して、抱えたくじ箱を袋の隣に降ろして。


「いいですかっ!」

「え、うん……うん?」


 突然の後輩の奇行に緊張と驚きを通り越して冷静にさえなってきた符雨が首を傾げながらも頷くという器用さを発揮する。一方で鈴晴はそんな符雨を見ると首肯して返し、そして。

 一心不乱に袋の中身の紙をくじ箱のなかに突っ込んでいく。

 中々終わる気配がなく、数分にさえ思える長い時間袋と箱と紙とで格闘した鈴晴は、ようやく一仕事を終えて符雨を振り向いた。


「先輩」

「えっと……」

「先輩、ここに、103枚のくじがあります」

「――え」


 紙束でパンパンになったくじ箱を符雨の目の前に置いた鈴晴は、困惑する符雨に構わず続けた。


「今から先輩には、くじを引いてもらいます」

「ま、待って鈴晴。急に何を……くじって、103枚って」

「――いいから、引いてください」

「……わ、わかった、けど」


 鈴晴の勢いに負けた符雨は、それからまじまじと箱を見下ろす。

 上面に開けた穴から、紙が少し溢れている。折り紙だろうか。色とりどりの紙たちだ。四つ折りにされていて、薄っすらと内側に何かが書いてあるように見えるものもあったが、何かは分からなかった。

 観念して、符雨はくじ箱に手を突っ込んだ。

 掻きまわそうとしたが、それだけでぶわっと紙が溢れてしまったから、それ以上零すわけにもいかず、箱の中の上方にあった紙をとりあえず、一枚掴んだ。


「引いた、けど」

「じゃあ、紙、開いてください」


 鈴晴の声にしたがって、紙を開いた符雨は。

 後輩の行動の、真意を知った。



『符雨先輩。ずっと前から、符雨先輩が好きでした。符雨先輩の笑った顔が、大好きです。私の彼女になってください』



 そこに書かれていた、くじ告白を読んで。




「……読み、ましたか」


 鈴晴は引きつりそうになる声を必死に、いつもの調子に取り繕った。

 紙の束――土日で鈴晴が用意した100枚のラブレターのうちから取った一枚は、符雨が最初に用意した外れくじではなかったようだ。

 鈴晴の「方法」、それは、くじの箱に告白を書いたくじを100枚入れて、符雨の遊びの中で告白をしようというものだった。符雨が確率でズルをしたように、鈴晴もまた「恋人」と「告白」以外のたった2枚のくじが当たらないようにズルを。


「どう、して……」

「どうして、ですか? 決まってますよ。私、先輩のことずっと、ずっと好きでしたから」

「――怒ってない、の?」


 鈴晴からのラブレターを宝物のように抱える符雨が、細い声でそう問うてきた。

 何のことか分からず、疑問符を浮かべる鈴晴に符雨は言った。


「だって、あたし、自分のことばかりで……その、鈴晴との『恋人』が、したくて、えっと……ズルしてて」

「――あはは、やっぱりズルしてた」

「……バレ、てたよね」

「ですよ。だって、5回連続は、さすがに怪しいですって。それより、先輩、顔に出てましたもん――やっちゃった、って」


 鈴晴は、符雨の目が語るその想いを知って、泣きそうになる。

 いや、視界が滲んでいるからきっと、ちょっと泣いた。


「……返事、くれないんですか?」

「――! へ、返事って、その……」

「先輩の気持ち、聞かせてください」


 ああ、今、この指と声と足は。

 どうして震えているんだろう。

 符雨が口を開くまでのあまりにも長い数秒に、鈴晴はただそう思った。


「……あたしは」


 そして、その言葉が、弾ける。


「あたしも、り、鈴晴が……好きだよ。う、嬉しい。うん、嬉しいんだあたし――嬉しい!!」

「え!? ちょ、せんぱっ」


 微かに脈打っていた符雨の声が、突然爆ぜた。

 次の瞬間、鈴晴は符雨に思いっきり、抱きしめられていて。


「好き、好き、好き!! りせがすき!!!!」

「せ、先輩!?」

「一緒に遊んでくれるところが好き! 真面目なところが好き! ホラー映画とかホラー小説は好きなのに結構ビビりなところが好き! コスメ、あたしとお揃いで喜んでくれて好き!」

「~~~っ、わ、わかりましたからっ、せ、先輩ってばっ」

「……大好き、鈴晴」

「――! 符雨、先輩……」


 好き好きと連呼されておかしくなりそうだった鈴晴は、声を落した符雨の告白で、ようやく理解した。

 疑って、気づいて、最後に、心で分かった。

 ああ、この人先輩は私が好きなんだ、と。


「符雨先輩」


 抱擁を解き、目を合わせる。

 腕はまだ、互いの腰に回したまま。


「ん」


 符雨の目が細くなる。


「私の、彼女に、なってください」


 一言一言を噛み締めるようなその告白に。


「――うん!!」


 三上符雨は、曇天も晴れ上がるような笑顔で、そう答えた。


「……んだ」

「――鈴晴?」


 そんな、彼女の笑顔に。


「……私、先輩と、今日からちゃんと、恋人なんだ」


 咲島鈴晴は、頬を伝う秋に色づく雨と共に、噛み締めたのだった。

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