第6話 休符が転んで、遠のいた鈴の声
5時間目、英語。
6時間目、数学Ⅱ。
――ノート、ほぼ白紙。
放課後までに「デート」の内容を考えなければならなかった
(今まではあたしがその時行きたい場所に誘って……でもそれっていつもの遊びをデートって言ってただけだし……)
恋人の経験は、これで通算6回目だ。
デートの経験も5回ある。
けれど、改まって考えると符雨にはそれが普段の二人の時間と何が違うのかが分からなくて――いや。
6回目のデートでは、決定的に違う点がある。
(す、す……好きな人とデートってどうすればいいの!?)
それは符雨が、
あそこでもない、ここでもないと頭を悩ませた結果、全く自信のない選択肢一つしか得られぬまま、迎えた放課後、鈴晴とのいつもの待ち合わせ場所。
鈴晴が駐輪場に自転車を取りに行く都合、符雨は普段裏門のそばで鈴晴を待っている。駐輪場が裏門側にあるから。
「こ、これ、ちゃんと『デート』になってるよね……?」
休み時間にスマホに書きなぐったデートプランを見ながら、符雨は落ち着かない様子だ。足を上げ、つま先をぐるぐる回し、肩幅に開いては閉じ、前髪を弄っては鞄を背負いなおして。
この2週間で一番長い5分が過ぎた頃に。
「お待たせしました、先輩」
「――鈴晴!」
鈴晴が自転車を転がして、符雨の隣にやって来た。
符雨は数時間ぶりに鈴晴の声を聞いた瞬間に、思う。
恋をよく、春に喩えることがあるけど、あたしにとってはきっと恋は秋になるんだろうな、と。葉が表情を変え焔に色づいてゆくように、ただの「可愛い後輩」から「好きな人」へと色合いを変えたこの気持ちは秋のようだと感じたから。
――涼やかな秋風に
「ちゃんと考えてきましたか? デートプラン」
「う、うん、任せて! ……おほん! ふぉっふぉっふぉっ。あたしは鈴晴の師匠じゃからのぉ」
「まだ続いてたんですか。分かりました。では師匠、教えてくれますか?」
内心の感傷を誤魔化すためにおどけた符雨は、師匠の口調のまま悩みに悩んだデートの行き先を口にする――「いつものボドゲカフェに行きます!」
「そうですか、ふふ、いいですね。行きましょっか! 新作、入ったんですか?」
「そ、そうなの。あのね――」
符雨は心配していた。果たしていつものボドゲカフェはデートになるのかと。
しかしそれは杞憂だった。5回目までのデートがそうだったように。
鈴晴が楽しそうに笑ってくれたから。
「先輩、お菓子食べます?」
「え、食べる!!」
こうして6回目の「恋人」の時間が始まった。
隣を歩く後輩の横顔に、符雨は目を細める。
誰かを好きになるって楽しい。それが、鈴晴だからもっと楽しい。
「あはは」
符雨は鈴晴に軽く肩をぶつけながら、からからと笑った。
※※※
仕掛けによって「恋人」を引き当てるのも3回目ともなれば、鈴晴にバレないようにすることよりも、偶然を装って驚く方が難しくなってきた。けれど、もう符雨にはその手を使わないという選択肢はなかった。
だって。
「先輩、引きますね」
「だ、だね……あたし、自分の手が恐ろしくなってきた……」
「あははっ、何言ってるんですか」
(1時間とか2時間じゃ、足りないよ……!)
そう、いくら当たりのくじを引いて「一日恋人」になったとしても、その一日とは昼休みの数十分と放課後の1、2時間だけ。昼休みにハグをして、放課後にデートをする。
これは、そういう「遊び」なのだ。
恋人として――あるいは、そうと意識して――鈴晴と、好きな人と過ごせば過ごすほどに、符雨はこのぷかぷかと空に浮いてしまえそうなくらいに幸福な時間がもっと続いて欲しいと思うようになっていた。具体的には。
(あ、朝一緒に登校したりとか……せ、せめて駅からね? あ、あとその、夜も、通話とかしたいし、や、休みの日にデートとかもして)
全部、鈴晴と一緒がいい。
今までも、先輩と後輩としてその時間を過ごして来た。朝の通学路が重なることだけはなかったけれど、通話も休日のお出かけも、もう何度も。
「恋人」になった日の夜に通話したこともあった。けれどその瞬間は既にいつもの関係で。
想像する。休みの日、鈴晴と出かけて街を恋人繋ぎをして歩くのだ。そして帰り際、人目に付かない駅のホームの端で触れるようなキスを――
「だっっ、ば、わっしゃ!!!!」
「せ、先輩!?」
耐えられなかった。
「え、急にどうしたんですか? サンドイッチ当たっちゃいました?」
「ううん、お腹は大丈夫、ありがと……ただ、なんか、急に叫びたくなって……」
「そんなことありま――ああ、先輩はありそうですね」
「――鈴晴?」
手のひらの当たりくじを見つめながら想像が広がっていった符雨が突然叫び出して、心配と呆れの混じった柔らかな笑みを浮かべた鈴晴。そんな後輩に思わず素に戻って聞き返した符雨だったが、脳裏では今まさに符雨と鈴晴の唇が触れた所で正気は一瞬で引っ込んだ。
慌てて鈴晴に背を向けて、せき込むふりをしながら顔を覆う。
そんな符雨に鈴晴は姿勢を低くして下から覗き込み、「どうしました、先輩?」と今度は心配が7割のトーンで問いかけた。けれど、それすらも自分より背の高い鈴晴が覗き込んでくれているという事実に舌が転んで、符雨はなんとか絞り出した「大丈夫大丈夫」で返した。
「ほんとですか?」
「うん、ごめんね心配かけて。ほんとにむせただけだから」
「なら、いいんですけど……体調悪いなら、今日のデートは――」
気遣ってそう口にした鈴晴に、符雨は反射的に「えっ!!」と声を上げてしまった。
「……ふふ、先輩。そんなにデートしたいんですか?」
鈴晴としては、いつも振り回されているお返しのつもりだったのだけれど。
当の符雨は、それどころではなくて。
「――先輩をからかうの、禁止ー!!」
「えっ、ほんとに? あはは、先輩の可愛い所新しく見つけちゃいました」
「う、うるさいよ! ほら、じゃあ今日は鈴晴がデートプラン考えて!」
「えぇ……まあいいですよ。任せてください」
からかったり、からかわれたり。
いつものやり取りに隠した。いつもとは違う気持ちを。
「じゃあですね、前から気になってた本屋さんがあって」
今は、ただゆっくりと育んでいたいと符雨は思う。
※※※
1回目は素直に楽しんだ。3回目はからかいあった。4回目は偶然の連続に驚きが勝った。そして。
――5回目は。
※※※
週末の昼休み、いつもよりも騒がしい気がする校舎内を符雨はくじ箱を抱えてご機嫌に歩いていた。鈴晴と過ごすいつもの駐輪場裏に着くとその日は先に鈴晴がいて、サンドイッチを咥えながら「ふぇんふぁい!」とにこやかに手を振ってきた。
(~~~~っ!)
それだけで胸がいっぱいになる内心を悟られないように手を振り返した符雨は、鈴晴の隣に腰かけてくじ箱を脇に置いた。この日は珍しくおにぎりを選んだ符雨はそれから鈴晴と昼食を食べた。
先に食べ終わった鈴晴に新発売のフルーツミックスグミを「あーん」しながら、今日のデートはどうしようかなと小さく鼻歌を歌った。
「ご機嫌ですね」
「ふふんっ。久しぶりの、ぅラィすばぉールだからねっ」
「発音いいですね」
「でっしょ~。さっき英語だったからね」
と冗談を交える符雨だったが、この日も仕掛けを使って当たりを引くつもりだった。
――そしてこの時は、この「遊び」が「遊び」たる所以を忘れていたのだ。
「……また、今日も当たりですね」
「だ、だねっ!? い、いやぁ、あたし今年の運使いきっちゃうんじゃない?」
「です、かね」
食事を終えたあと、例によって当たりを引いた符雨だったが、5回連続の当たりはそれまでとは違ってどこか作り物のような雰囲気が滲んでしまった。あるいは、符雨が「くじを引く遊び」でもあったことを忘れていたからかもしれなくて。
さすがに、硬い空気になった。
簡単な計算だったし、何より前に連続で当たりが出た時に二人で確率を計算したこともあったから、それが何%かは、お互いすぐに分かった。
0.4%。
起きるとは思えない、数字の小ささ。
「こ、こんな偶然あるんだね!」
いやあはははと襟足をかきながら笑う符雨も、これがくじであったことを遅まきながら思い出し、内心やりすぎたと焦っていた。
昨日までは一緒になって偶然に盛り上がっていた鈴晴が、訝しむような表情に見えたから。サァッ、と血の気が引く。
まずい、いつもの空気に戻さないと――
「あ、えと、じゃあ、デート、考えなきゃだね!」
そう口にした瞬間、我ながら白々しいなと符雨は思った。
さっきから鈴晴と目が合わないのが怖い。どうしよう、どうしよう、どうしよう。
(あたし、やっちゃったかも)
こんなに連続で恋人が当たるなんておかしい。
すなわち、確率を操作している。
けれど遊びに真剣な符雨がそれをするはずがない。
余程の理由がない限り。
デートや恋人が楽しかった、というのが理由だったとしても、鈴晴の知る符雨は三分の一をこそ楽しむ性格だから。
ならば、つまり、しかるに、ゆえに、したがって……
頭の中でぐるぐると接続詞が回る。符雨は、その先を考えたことが一度もなかった。
(あたし、バカだ。ちょっと考えれば、分かることなのに)
そう、この不自然な確率が意味することとは、符雨が鈴晴との「恋人」の時間を望んでやったということであり。それは、ほとんど告白のようなものである、という。
こと、で。
(……あたし、)
「先輩、あの――」
「あぅ、あっ、うん!」
沈黙を破って、鈴晴が口を開いてくれた。
なんとかしなきゃと勢いよく振り返った符雨は、刹那、視界の端を舞う紙切れを見る。
「……あれ?」
それは、くじ箱の中に戻したはずの「当たり」くじで。
箱は静かに、地面に座っているから。
「――あっ」
符雨にはそれが、急に腕を振り上げたから、袖の奥にしまったままポケットに隠せていなかったコピーの当たりが、飛び出してしまったのだと分かる。
だからこそ零れた悲痛にも聞こえる符雨の声が、鈴晴にとっては答えだった。
「あ、あのねっ、ちが、えっと、鈴晴……」
わたわたと、必死になって身振り手振り説明を試みようとする符雨だったけれど、口から出てくるのは意味をなさない言葉ばかり。
そんな符雨に、鈴晴は頬を硬くして、言った。
「あ、えと、先輩! きょ、今日は私用事があって。早めに失礼しますね」
「――え」
「そ、それじゃ!」
たっ、と符雨の前から走り去った鈴晴の姿はものの数秒で視界から消える。
残された符雨の耳には、水浸しにしたシーツで床を叩くような音だけが聞こえていた。
(ああ、これ、あたしの心臓の音か)
「あれ、あたし……あれ……」
力なくその場にしゃがんで頭を抱える符雨は、膝の間で独り言ちる。
「鈴晴は、嫌だったの、かな」
呟く声は心に張り付き、ここ数日の己の言動が影を伴って蘇る。
自分の気持ちばかりで、付き合わされる鈴晴のことを、考えられていなかったのではないか、と。
「……あたし」
チャイムが鳴ってもその場を動けなかった符雨は、けれど知らない。
去り際の鈴晴の耳が、紅葉の葉のように色づいていたことを。
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