種を蒔く人

津多 時ロウ

🌟

「この星空はね、夜明けにいた種がぐんぐんと育って、そうして今になって咲いているの」


 桔梗色ききょういろの空一面に、白や黄色が瞬いて、姉と二人、それを見上げている。

 八月半ばの夜風が木々を撫で、草原を静かに駆け抜けて、最後に僕を通り過ぎていく。


「種ってどこにまくの?」


 首をかしげて聞けば、姉も少し首を傾けた。風に流されるまま、夜に溶けていってしまいそうな長い髪を押さえながら、けれどその目は楽しそうに。


「空よ、空。日の出とともに空に向かって種をばら蒔くの。こう、ザルに入れた沢山の種を、こうやって」


 そこにザルはないのに、姉は両腕を下から上へ懸命に動かして、その細い体の全体で放るように振るうのだ。僕にはその様子がどうにも滑稽に見えて、思わず口が緩んでしまう。


「あ、笑ったな。生意気!」

「ふふふ。だって、おかしくって。ごめんね、お姉ちゃん」

「ま、しょうがないか」

「……ねえ」

「なに?」

「星の種って、お姉ちゃんがまいてるんだよね?」


 姉はいっそう優しい顔になって、満天の星空を少し眺めた後、また僕を見て微笑んだ。


「うん。うん。そう。そうね、その通りよ。だから、お姉ちゃんに感謝してもいいんだよ?」

「お姉ちゃん、ありがとう」

「……どういたしまして」


 梢を揺らした柔らかい風が姉の髪をからかって、少しの沈黙の後、姉は目を細めてそう言った。 


「お姉ちゃん、また会えるよね?」

「うん。来年も、また」


 それから幾星霜いくせいそう

 姉は毎年同じ日に来て、僕に花を見せてくれた。

 老いてゆく姉が、あの日のまま、もう変わらない僕のために。



 『種を蒔く人』 ― 完 ―

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種を蒔く人 津多 時ロウ @tsuda_jiro

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