涸れた楽園の泉
@kani_scifi
涸れた楽園の泉
ある日の暮れのこと。二人の男がキャンプトレーラーの中で時間を持て余していた。エアボンベ付の防護服を装備した男は、仕事道具一式(則ち放射線測定器、プラズマ切断機、磁気安全靴、取水管)の最終点検を疾うに終え、苛烈な放射線を降らす太陽が一時身罷るときを待っていた。もう一人の男は無人機に繋げる有線LANが断線していないかを確認しつつ、土埃で汚れたケーブルを布で拭っていた。
「今回の仕事、あてたらかなりデカいぞお。上手いこと早く終わらせて、前行ったジャカルタの娼館に行こう。俺が奢るよ。」
「馬鹿言うんじゃないよ。前もそう言って僕に払わせたじゃないか。第一、今回の依頼を受けても前回の経費回収がギリギリ出来るかどうかなんだぞ。」
「渋いなぁ、最近は。」
「生きてるだけで成功者だぜ、僕ら。」
「そうだけどよぉ、やっぱり楽しみが無いと人間生きてる意味がないよなぁ。」
彼らの暮らす時代、地球に点在する文明の荒廃は月並みではなかった。巨大な太陽フレアに端を発する「太陽危機」は、
日没後程無くして、防護服を着た男は拠点から出発した。もう一人はトレーラーから有線接続の無人機を操作しつつ、防護服の男の護衛を担当することにした。人体が耐えられる放射線量の都合上、外部での活動は夜半であっても六時間に制限される。活動時間中は、基地のレアメタル含有率の大きい部品を切り取り、各ポイントの放射能・生物汚染度を調査するのだ。複数のクライアントからの依頼を請け負わねば、今回の遠征にかかった船賃や食費諸々の経費の回収すら困難だ。この仕事を成功させなければ、日々の生活のために防護服や生命維持装置を売り払う必要があった。それは彼らが失業者に転落し、明日の生命の保証がない生活を余儀なくされることを意味していた。
「今から仕事かよぉ。いやだなあ。俺ずっとトレーラーで寝てたいわ。」
「はよ行け。なんなら僕の代わりにFPV使うかい? PTSDの僕に外に出ろだなんて、随分非情じゃないか?」
「分かってるって・・・、ほんじゃ行ってきまーす。」
しかし足取りは重かった。道具一式が体重の半分を優に超えるのは元より、防護服の彼はこの仕事に身が入っていなかった。つい5年程前は、かつての新興国の郊外にアグボグブロシーを想起させる電子部品の狩場があった。そこの山積したジャンクパーツの中から集積回路やバッテリー、運が良いときはCNCを見つけ出していたのだ。しかし、これらの仕事はより賃金の安い孤児や未亡人に回り、見識のある者は兵器や機械を分解してパーツ毎に卸すようになっていった。第三次世界大戦末期に一時の活況に沸いた第三世界の軍需産業の遺構から、組み立て途中に放棄された装甲車や航空機エンジンを盗み取り、部品ごとに卸したり、稼働状態に修理して売却すると驚くほど高い値が付くこともあった。
しかしながら、彼はこの機械を分解する行為自体が嫌いだった。勿論彼の力量を以てすれば容易に熟せる仕事だが、彼は「機械の完全性を損ねるべきではない」と信奉している節があった。愚かにも、その行為が言わば、機構を開発するべく知恵を絞った科学者やその機械を利用した先人への冒涜とさえ思っていた。それが、時間が焼結した時計塔や、大地を疾駆した自走砲であっても頑なに解体しようとしなかった。とはいえ、ここ最近は獲物になる遺物も少なく、彼は自身の職人精神を維持するだけのゆとりが無くなっていたのは看過しがたい事実であった。だから、仕事の依頼で分解をする際は、必ず完全体の状態を写真に収めることを習慣としていたのだ。
「今日もその信条を曲げるのかぁ。」
「何か問題があったのか? 線量が強いせいかドローンの映像が上手く映らん。」
「いや何もない。ドローンのカメラもそろそろ寿命なんだろう。娼館代の貯金で買い直そう。」
「僕からも少し出すよ。もっとも食費からだけどね・・・。」
「はぁ・・・。暗号資産が入ったHDDでも落ちてないものかね。」
そう脳裏に過る思索とは裏腹に、これといった想定外の事態も無く目的地へ到着しつつあった。戦前に敷設された貨物用線路の朽ちた枕木の間を、彼は慎重に慎重に踏み進める。まるで玄武岩のように表皮が固く、斑模様の錆をリベット打ちしたような電柱の並木通りを抜けた先に、右手に持った一万ルーメンの懐中時計の光を反射する白く巨大な壁が現れた。そのあまりの明るさに眼が眩む。眼前に広がる白日の攻撃を逃れるように、男は空を仰ぐと、これがアースポートの支柱の壁面であると分かった。
「どうやら着いたらしい。」
「了解。周辺の環境データをマッピングするから、暫く待機してくれ。」
「あいよ。早めに頼む。」
キラリキラリとした滑らかな岩場に、防護服を着てぎこちなくなった腰を下ろす。彼は束の間の休息を少しでも満喫しようと、深くため息を吐いた。ふと巨大な柱を見上げる。
酸化チタニウムの白色塗料が所々剥離しているものの、基地はその巨体を戦前から維持してきたように思える。海底から地上50mまで貫くローマン・コンクリートの大柱の円環は、絢爛豪華な装飾は無くとも、荘厳さを纏っていた。前時代の人類が建設した偉大な産業的遺産というよりは、アレクサンドリアの大灯台よろしく神話から出て来た宗教的遺構のように思える。その円の中心には夜空を衝く程に聳える巨塔が、ただ静かに栄枯盛衰・万古不易の真理を伝えている様だ。疲れきった目を凝らして、ひび割れた唇から感嘆の息をそっと漏らす。その景色に値踏みはできないが、久々に完全性を保った美しいものを見て、彼の心持は少しばかり軽くなった。
「作業完了だ。もう一つの依頼の方も引き続き頼む。」
「あぁ、分かった。」
通信を終えて、すくりと立ち上がる。軽くなった足取りのまま、彼は仕事に取り掛かった。ひび割れたアスファルトの裂け目を縫うように繁茂する植物のサンプルを取り、管制室に残された電子機器と燃料貯蔵庫のパイプを取り出す。人一人が担げる量だからあまり重いものは運べない。彼はその時の市場価格や、自分がまだ取り扱ったことのない珍しく貴重な部品を厳選していった。
さて、仕事を終えつつあった彼のタイムリミットはあと一時間半。仕事を終えれば、そそくさと普段は帰る。しかし興の乗った彼はカメラを取り出し、優美な基地の姿を写真に収めることにした。その写真はアースポートの底から星を見仰ぐ構図を切り取った。出来栄えは上々。可能ならば、より美しい写真を収めたいものだ。そう思ったのだろうか、彼は同業者の残した簡易エレベーターを探し始めた。以前この基地に来たことがあると言う同業者たちは、アースポートの廃材から作られた簡易エレベーターを利用し、より高層の資源を採掘していると聞いた。宇宙エレベーターが稼働していない現状、上層階へ向かう手段はこれを除いて他に無い。
「トレーラー、隘路に入る。ドローンは外で待機していてくれ。」
「了解。」
エレベーターの巻き上げ機はむき出しのまま放置されていた。彼はそれを訝しむと、なんと巻き上げ用ロープが純カーボンナノチューブ製の超硬質ワイヤーではないか!これは既に製造方法が絶たれ、枯渇性の素材として極めて高値で取引されていた。
「これを回収できれば、生活が数年は安定するが…。いやはやどうしたものか。」
この巻き上げ機とエレベーターは、このポートが放棄されてから随分と後の時代に設置された代物であった。彼の信条に照らし合わせば、「オリジナル」ではないから、分解しても構わないと考えられる。それにこのロープも元はと言えば、ポートの基部に装備されていたものだ。自身の金科玉条に反するものではない。
「よし。回収しよう。」
回収自体は簡単だった。既に巻かれているものを纏めて運搬すればよいのだ。最後に、エレベーターを釣り上げているロープを切断すればよい。プラズマ切断器がロープの中心にその火炎を滑り込ませると同時に、ロープがバチンと金切り声を挙げて弾き切れた。
その瞬間、床に散らばっていたロープが、獲物に飛び掛かる蛇のように彼の膝下に絡みついた。そして瞬く間に彼の躰は遥か上空に放り出されてしまった。あわれにも彼の體は今も見つかっていない。
涸れた楽園の泉 @kani_scifi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます