最後の言葉

吉城あやね

最後の言葉

 その朝、私は学校の屋上で自殺を図った。

 勉強へのプレッシャー、いじめ、家庭内不和。なにもかもを苦にして、あの闇にふらりと吸い込まれようとしたのだ。私にはきっと、未来なんてない。明日すら来ないんだ。理不尽だけれど、これがきっと、私の運命。

 「大場さん。やめてください。」

 知り合いに声をかけられた。隣のクラスにいて、塾が同じ人。いつも明るく、周りを巻き込んでしまえる、眩しいくらいの人。気遣い上手で世渡り上手。私では同じ土俵にすら立てないような、そんな人だった。

 「伊南くん。なんで、ここに?」

 伊南くんは、飛び降りようとした私の腕をものすごい力で引っ張り、私が転けて怪我をしないように、ぎゅっと抱き留めた。これまでに見たこともないほど、必死で、真剣な眼差しだった。

 「大場さん、最近、辛そうだったじゃないですか」

「意外とバレてたんだね」

「他の人は、特に気付いてなさそうでしたけど」

「じゃあ、なんで伊南くんは気付いてたのよ」

 伊南くんは目を瞑り、鼻をかいた。どうやらよほど、秘密にしておきたかったらしい。

「そりゃあ、好きな人なら、元気ないなって分かりますよ。言わせんなし。」

 普段では分からないほど照れる伊南くんは新鮮で、これは嘘ではないのだな、と確信した。耳まで赤い。ここまで赤くなってるのに実は嘘だったなんて、そんなこと、普通はできないよね。

 「ぼくは、あなたが大好きなんです。周りには秘密にしていましたけど。四月から、ずっと好きだったんです。塾で知り合って、学校でも声をかけてくれた、あの時から!」

 四月。あの頃は楽しかったな。環境に慣れるのに必死で、だから、誰彼かまわず、仲良くなろうと必死だった。敵を作りたくなかった。それがかえって、反感を買った。

 「あなたほどの人が自殺なんて。そんなこと、あっていいはずないんです。あなたは、救われて然るべき人なんです!」

 気付けば伊南くんは私の右手を両の手で握りしめ、涙を浮かべていた。私の死をこんなにも悲しみ、止めようとする人がいる。それだけなのに、もう、私にも明日はあっていいんだと、そう思えるようになってきた。

 「ごめんね、伊南くん。戻ろう、教室に。」

 そして私は、伊南くんからそっと手を離し、背を向けた。

 「ねぇ、来ないの?遅刻しちゃうかもよ。」

 不意に頭に激痛が走る。目の前は真っ暗になった。朦朧とする意識の中、ただ必死になって、自分が生きようとするのがわかった。細胞一つとっても、この身体は生きたいと叫んでいる。

 やはり、私には明日など来ない。

 たいそう愛おしそうに、彼は私の目を手のひらで包む。瞼を閉ざしたのだろう。倒れ込むその体を抱きしめながら、彼は耳元で呟いたのだ。

 「自死では、天国に行けなくなってしまいます。大場さんは、絶対に天国に行くべき人ですから。」

 彼は私の遺体を丁寧に下ろすと、その足で教室へ向かった。

 「いざ、地獄へ参りましょう。」

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