第9話 先輩とのハプニング
「さて、そろそろ時間ね」
部室にある時計を見て、みらいがポツリと呟いた。
「時間ってなんの?」
「もちろん、昨日の要望書に関係することよ。って事で、祐と夏帆は体操着に着替えてちょうだい!」
「一応聞くが、昨日の要望書に関係する事で、何で体操着に着替えないと、いけないんだ?」
「何でって、これから祐と夏帆には柔道で試合をしてもらうからよ」
「意味わからないんだが……」
何で俺と九重先輩が、体育の時間でもないのに柔道をしなくてはいけないのか。
さて、俺と同じく名指しされた九重先輩の様子はっと……。まぁ、分かってはいたが読書に没頭していた。みらいが何言っても平常運転だな、この先輩は。
「九重先輩、みらいが俺達で柔道しろとか言ってるんですけど……」
「そうですね。要望書に関係があると言っていますし、昨日千明さんが提案した事に、繋がるんじゃないでしょうか」
あれ、九重先輩は柔道をやるのに反対しないの……?
「えーっと……反対とかしない感じですか?」
「たまには身体を動かすのも良いかと思いまして」
「マジですか……」
九重先輩って柔道とか出来るのか? あんまりスポーツが得意ってイメージが湧かないんだけど。
「はいはい、早く二人は体操着に着替えて柔道場に来てちょうだい。千明君とリアラはわたしと一緒に先に向かいましょ」
「分かりました部長。それじゃあ先に向かってるね臼杵君」
「柔道か。生で見るのは初めてだな。あ、残ってるクッキーは全部持ってくぞ」
リアラが遠慮なくクッキーを盗人ごとく奪いとると、三人は部室から出て行った。
「良いんですか? あいつ全部持って行っちゃいましたけど」
「わたくしはいつも食べているので良いのですが、もしかして祐さんは、まだ食べ足りませんでしたか?」
「いえ、そういう訳では。九重先輩が良いなら大丈夫です。それよりも体操着に着替えて行かないと」
「そうですね」
そう返事を貰ったはずなんだけど、九重先輩から一向に動く気配を全く感じない。一緒に更衣室まで向かわないのか?
「…………」
「あの……」
「はい。どうしました?」
「祐さんがいると、その……着替えられないのですが……」
「え? あ、あぁ、そういう事ですか。更衣室じゃなくてここで着替えるんですね。すみません気づかなくて」
学園生活のほとんどをこの部室で過ごしてると聞くし、体操着とかもここにあるのかも知れない。
「それじゃ、俺も着替えてきます。柔道場でまた」
九重先輩に軽く会釈し、その場を後にした。
※※※※
柔道場は、体育館の真横にある。元々、体育館のニ階にあったらしいが、去年新しく建てられたらしく、外装や内装は新品同様でピカピカだ。
体操着に着替え柔道場に入ると、ふと中が騒がしい事に気づいた。周りを見ると、騒がしさの原因が二つのグループによるものだと分かる。
とりあえず、端の方にいた白河とみらいに事情を聞く事にした。
「なにこれ?」
「臼杵君来たんだね。まぁ、見ての通りだよ」
「そうか、見ての通りか……」
騒ぎの中心にいる人物に目を向ける。そこには、豪華な椅子に座り、バカ笑いをしているリアラがふんぞり返っていた。そしてその周りには膝をつき、崇めているものもいれば、デカいうちわでリアラを仰いでいる人もいる。多分、いや絶対リアラ様親衛隊のメンバーに違いない。
白河と同じクラスの生徒も何名か見られる……。うん? ちょっと待て、リアラ様親衛隊って一年Aクラスだけの隊じゃないのか? 明らかに先輩と思わしき人もいるんだけど……。いや、気にしたら負けか。
そして、もう片方の騒ぎの原因は、俺より先に来ていた、九重先輩だ。複数の柔道部員が、円陣を組みすごい熱気でジャンケンをしていた。そう、ジャンケンをだ……。理由は明白。何せ、ずっと叫んでいるからな。
「我の柔道着を九重さんに着てもらのだ!!」
「いいや、僕の柔道着こそ、九重さんに相応しいよっ!」
「バカいえ、部長であるオレのを着てもらうのが筋ってもんだろうが!」
この光景を円陣の外から見ている、九重先輩の心情を今ものすごく知りたい。
「それじゃはい、これ祐が使う柔道着ね。あのジャンケンで最初に脱落した子のだから、大事に使ってあげてよ」
「すげぇ使いづらいんだけど」
みらいから柔道着を渡された。円陣の外には数人、燃え尽きたように膝から崩れ落ちてる柔道部員がいる。みんな九重先輩に着てもらいたかったんだろうな……。そんな中、最初に脱落した人はさぞ悔しいだろ。だって、九重先輩とは真逆の俺が着る事になるんだから。
受け取った柔道着を体操着の上から着る。すると、ジャンケンに負けた一人から、恨みつらみが籠った眼線を感じた。絶対にあの人のじゃん……。
その視線に気づかない振りをして、ジャンケンの結果を待つ。残りは三人。
「我ら三人が残るとはな……」
「こうなる事は決まっていたよね!」
「ぐぅ……。この勝負オレに譲れ!」
三人ともすごい気合いで、グーを構えている。俺にオーラが見えるなら、きっと怖気付いていたかもしれない。俺にオーラなんて見えないけど。
そして、三人が一斉に、手を突き出した。そして決まるジャンケンの決着。
「我の敗北だ。負けを認めよう」
「ふっ。僕が負けるなんてね」
「オレの勝ちだあぁぁぁぁぁぁぁ!」
多分部長であるこの男の勝利で、幕を閉じた。
「それじゃ、九重。オレの柔道着を着てくれ」
顔を赤く染めながら、さっきまで着ていた柔道着を渡そうとする。
おい、ふざけんな。九重先輩にそんなもの着せるな。未使用品同然のもの渡せよ。
「え? あぁ、すみません。こちらの女子部員から、お借りすることにしました」
九重先輩の方を見ると、真新しい柔道着を着た背の低い女子生徒が横にいた。ほぼ新品の柔道着を見る感じ、俺と同じ一年生なんだろ。
「………………」
あ、部長さんがフリーズしてる……。せっかくジャンケンに勝ったのに、その報酬を横から奪われたようなもんだからな。……ナイスだ、そこの同級生。俺は心の中で親指を向けた。
でもさ、思うんだ。そうなると、このジャンケンって一体何だったのかなって。
「柔道着も借りられたし早速、祐と夏帆には組み手をしてもらおうかしら。あ、そこの二人、固まってる部長を動かして」
フリーズしている柔道部部長を気にもせず、みらいはパキパキ周りに指示を出す。その結果、俺と九重先輩を中心に、周りには柔道部の部員たちとリアラ様親衛隊が、囲うように舞台が出来上がっていた。
「こんな大勢に囲まれてると緊張するな」
「祐、ちょっとしたアドバイスがあるからこっち来て」
ちょうど俺の後ろに控えている、みらいに呼ばれ、そちらに向かう。その横では豪華な椅子に座っているリアラと白河もいる。
「それで、アドバイスってなに?」
「始めから全力で行きなさい。じゃないと、夏帆から一本も取れないわよ」
「そんなに強いのか九重先輩って……」
あの細い身体で、柔道が得意には見えないが。
「俺だって柔道経験者だし、一本取れないって事はないだろ」
「一応伝えたから頑張りなさい」
もうこれ以上言う事はないって言う感じで、みらいは俺の背中を押す。
「負けたら笑ってやるからなユウ。精々恥を晒すんじゃないぞ」
「二人とも怪我だけはしないでね」
背中越しにリアラと白河にも声をかけられ、俺は九重先輩の前に立つ。
「えっと、それじゃよろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」
お互い一礼をし、審判の合図を待つ。ちなみに審判はさっきまでフリーズしていた部長だ。
「始め!」
俺は審判の合図とともに、九重先輩の袖と襟を掴み、
「技あり!」
「は?」
その声を聞いて、ようやく俺が天井を向いている事に気付いた。さらりと九重先輩の艶やかなベージュ色の髪が、俺の頬に落ちかけている。
さっきの一瞬で一本撮られたのか……。
「祐さん大丈夫ですか? ちゃんと受け身取れました?」
「あ、はい。一応、無意識に取っていたので大丈夫です……」
立ち上がり、乱れた柔道着を整える。
なるほど、みらいが言ってた意味が分かった。確かに始めから本気じゃないと、やばいかもしれない。このまま、一本も取れない可能性が出てきたぞ……。
「ギャハハハ。みんな見たか? ユウの奴、柔道経験者とか言っておきながら、瞬殺されたぞ」
周りにいる親衛隊達に、リアラが爆笑しながら俺の醜態を報告をしている。
アイツ後で泣かす。
とはいえ、さっき何をされたのかさっぱり分からないんだよな。九重先輩を崩そうとした瞬間、逆にこっちが倒されてた……。
「九重先輩、柔道とかやってたんですね。勉強と読書をしてる姿しか知らないから、びっくりです」
「えぇ。ある程度のスポーツは経験しています。ですので、お互い良い勝負は出来ると思いますよ」
「そうですか。では、もう一戦お願いします」
それから何度か組み手を交わしたが、寝技、投げ技と俺は九重先輩から一本も取る事は出来なかった。
ここだけの話、寝技を受けてる時、九重先輩の身体の柔らかい、感触を感じて……。
「はぁはぁはぁ……。こっちは息が上がって来たのに、九重先輩は息一つ乱れてない……」
「祐! 次でラストよ。最後ぐらいかっこよく決めなさい!」
みらいからの発破もあり、俺は倒れてる身体を起こし、九重先輩と向き合う。
ここまでの差があって、一本取れる気は全く感じないんだが、幼馴染からの言葉だ。最後ぐらいは足掻いてやる。
「最後は、胸をお借りする気持ちで挑ませて頂きます」
「はい。こちらも本気で挑ませてもらいます」
「それでは最終戦、始め!」
こちらから、先に攻める。袖と襟を掴み、そこで返し技を警戒する。何度か組み手をして分かった事がある。九重先輩は俺が仕掛けると同時に、返し技で俺を崩そうとしてくる。ならば、崩される方の逆側に力を入れれば……。
「ッ……!」
これで、何とか崩されずに済んだ。だけどまだ、安心は出来ない。ここから俺も仕掛けないと。
何度か技を仕掛けてみたが、その全てが失敗に終わってしまった。その華奢な身体のどこにそんな力が……。
「たく、しょうがねえな。私が手を貸してやるか」
後ろにいるリアラから、急に嫌な予感しかしない、セリフが聞こえてきた……。
「とりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
背中にかなりの衝撃が走った。どうやらリアラのバカが俺の背中に、タックルをかましたらしい。もちろんその衝撃は、前に行くわけで……。
「うわっ!」
「きゃっ!」
組み手をしていた九重先輩を押し倒す形で、俺は倒れ込んでしまった。
「良かったなユウ。カホから一本取れたぞ!」
そんな言葉が聞こえてきたが、今はそれどこじゃない!
九重先輩と身体は密着し、顔は吐息がかかる距離まで近づいていた。白くてきめ細やかな肌が、徐々に紅くなっていくのが分かる。その原因は、身体が密着している事だけではないのは明白だ。なんせ、俺の右手は、柔道着の下に着ている体操着越しに、小さくとも確かな膨らみがある場所──胸に、触れているのだから……。
「──── ぁ、ん……」
「す、すみません! すぐどきます!」
すぐさま右手を引き、九重先輩から離れようした瞬間──。リアラのタックルなんて比べ物にならないぐらい、痛みが顎に走った。
「がぁ……」
どうやら九重先輩が放った拳が、俺の顎にクリーンヒットしたっぽい。脳が揺さぶられて……意識が遠のく……。
「祐!?」
「臼杵君大丈夫!?」
みらいと白河の声を最後に、俺は意識を完全に手放していた。
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