第11話

「【幻影ゲンエイ・アイスチェーン】」

 どこからか、影にこもる声が響いた。

 上から凍てつく空気を感じて、吐く息が真っ白に染まった。

 見上げると、寒さによって弱った身体が反応して、視界が白く霞んだ。

 

 凝視すると霧が少しずつ薄れていき、雪のようなものが見えた。冷たい空気を生み出しているようだった。

 凛也の身体が、鎖に絡め取られている姿だった。

 鎖から氷晶が舞っている。

 

 配管の上には、白いローブの姿があって、裾が夜風に少し揺れる。

フードが降りていて、暗黒色あんこくしょくの髪と、雰囲気が氷晶に合っている。

 

 俺はこの人と出会ったことがないはずなのに、どこかで見たことがある気がした。

 冷たいはずなのに、温かいような不思議な感覚が胸に広がった。

 

 手には鎖を持っていて、凛也の身体と繋がっていた。この人が凛也の攻撃を封じてくれたのか。

 

 ローブの人物が息を小さく吐き、鎖を握った。

 氷が鎖にはじけて消えると、鎖が静かに形を変える。

 2つの銃に変化して、それを握り締め、凛也に静かに向けた。

 

 全身の血が凍え、動けない身体が動き、立ち上がった。

「やめろ! 撃つな!!」

 俺は凛也の前に立ち、白いローブに叫んだ。

 凛也を守らないと、想いが身体を動かしたのだ。

 

「そいつから離れろ……」

影にこもる声で、俺を見据えた。

 

「嫌だ」

 凛也が操られていて、動きを封じられても、攻撃される可能性がある。

 それでも凛也を殺させたくない。

 ぶっきらぼうで優しい。操られていても、必死に抗おうとした。

 

「……◼️◼️◼️ま、邪魔をするな!」

 背後から凛也が、大声を張り上げた。

 世界が歪み、記憶を上書きするように消去した。

 頭の奥で見えない壁が発生した。

 誰かが囁いているような声が、頭に響く。

 この感じは《幻想世界》の症状だ。別の世界に来ても、俺の邪魔をするのか。

 凛也を守りたい。

 吐き気がこみ上げ、全身が震える。

 それでも、俺は立ち続けた。

 

白いローブは息を吐き、引き金を引いた。

 弾丸は俺の隣をすり抜け、風圧で髪が揺れた。

 

 背後で崩れ落ちる音がした。

 その直後、白いローブは息を吐き、銃口を下ろす。

振り返ると、凛也が倒れていた。

 

「凛也!」

 俺は気分が悪いにも関わらず、ゆっくりに彼に近づいた。鎖が外れている体を揺さぶった。

「この野郎!」

 白いローブを鋭く睨んだ。

「落ち着け。眠らせただけだ」

 低く影にこもる声で言い、首を振った。

撃った本人なのに、言葉が信じられないはず。

 凛也の身体を確認した。

 ただ真偽を確かめたかっただけかもしれない。

 凛也の体は冷えていたが、胸の奥にかすかな鼓動を感じる。

 確かに、生きていた。


「俺の能力で止めただけだ。操った相手はまだ見つかってない。影響が残っているから、離れてろ」


「……凛也の仲間なのか」

 俺は息を詰めながら、振り返る。

白いローブの瞳は、深くて冷たい。

 どこか、悲しそうにも見えた。

 その問いに、男は静かに頷いた。

 その頷きだけで、なぜか安心できた。

 

「最初から言ってくれよ」

 足の力が抜けて、その場に膝をついた。

「お前がリキを狙う敵かどうか、確かめたかった。……ただのお人好しだったようだな」

 白いローブは、凛也を見下ろしながら言った。

 リキって、凛也のあだ名だろうか。

 お人好しって、ため息をつきたくなる。

 

 その時、左から足音がした。

 人の気配を感じて、敵かと思って、銃を持つ。

白いローブは俺に近づき、襟のボタンを留める。

 チョーカーが見えないように隠したのか。

 距離を少しだけ置き、左の銃を構えた。

 足音がする方を見ながら、耳の後ろに右手を添える。

 集中しているような様子で、耳を澄ましているかもしれない。

 銃を下げ、待っているような気配がした。

 まるで誰がくるのか、知ったような感じだった。

 

「おい、結希翔ゆきと

 

 影の中から現れたのは、白衣を着た男だった。

 茶色の髪が明るく、目立っていた。

 顎ひげが中年の渋みを引き立てている。

「大丈夫そうだな」

 眼差しや声が穏やかで、敵意の気配を全く感じさせない。

 

「……誰なんだ」

白衣の人に銃を向けながら、訊く。

 凛也が眠っているので、警戒を解くことはできない。

 めまいの余韻で身体が震えて、耐える。

 

「陽翔君、落ち着いてくれよ。何もしないって」

 白衣の人は両手を振りながら、宥めようとする。

 何で俺の名前を知っている。疑いがさらに胸の奧に広がった。

「シャーロットだ。俺たちの仲間だ」

 白いローブーー結希翔が静かに告げ、シャーロットを見る。

 シャーロットも頷き、銃を下ろすが、凛也に近づいていく。

 名前を知られているので、警戒は完全に解けなかった。

 

「信用されていないか」

 シャーロットは残念そうに肩を下げる。

「シャーロット、リキの治療を頼む」

「やりすぎていないだろうな」

 シャーロットの目つきが穏やかから変わり、鋭さを帯びた。

「眠らさせただけだ」

 結希翔は静かに答える。

 眉を寄せながらも、凛也の傍に近づき、状態を確かめた。

「……大丈夫そうだな」

 シャーロットは見ただけで、判断した。

「心配するな。回復は得意だから、どけてくれないか」

 俺を気が遣いながら、優しく言った。

 少しだけ信じ、凛也から離れた。

 

 シャーロットが腰を下ろして、手をかざす。

 《レピドライト》―― 紫色のオーラを体に纏い、オーラと同じ色の光が凛也の身体を包む。

 凛也に触れていないのに、暖かみが感じられた。

 傷を一気に癒した。


「ほらな。大丈夫だ」

シャーロットは立ち上がり、俺の肩を優しく叩いた。

 その目がわずかに揺らいだ。

 疲れた様子も少ししか感じられない。

 全部の傷を治すなんて、相当の実力のようだ。

 

「操りの方は」

「ああ、状態も落ち着いている」

 結希翔が静かに訊くと、シャーロットは軽く頷いた。

 張り詰めた空気がほどけ、やっと息が吐けた。


「陽翔君の治療もするぞ」

「俺はいい。凛也を寝かせてくれないか」

 名前を知られているのに引っかかったが、今は凛也の方が大事だった。

 

「お人好しでまっすぐだな」

 シャーロットは穏やかに笑い、俺の身体に手を伸ばした。

 傷を癒し、体調が少しだけ楽になった。

  

「後で話そう。診療所までついてきてくれ。結希翔、手伝えよ」

 結希翔は無言で頷き、凛也を抱き上げ、背中に背負う。

 

 視界がふらつき、足の力が抜ける。

 オーラを使いすぎたことと、 《幻想世界》に苦しめられた。

 だけど、治療のお陰で和らぎ、踏ん張った。

 

『陽翔君、大丈夫』

 永琉の声が優しく響く。

気がつかれないように微笑み、2人の後をついていく。


「……そういえば、何で俺の名前を」

 

「結希翔、教えたのか?」

 シャーロットが首を傾げて、尋ねる。

「敵のやつに言えない」

 結希翔は首を振って鋭く見た。

まだ警戒を解いていないように感じがした。

 

「俺は如月シャロッティ。シャーロットはあだ名だよ。後ろは白月しろづき結希翔」

 シャロッティは苦笑いしながら、頭を掻く。

 結希翔の名前を聞いた瞬間、胸の奥が締め付けられた。

 懐かしさが胸に広がっていき、思い出したい。

 頭の奧に見えない壁が邪魔して、頭痛が響く。

 懐かしい理由が、霧の中にあってわからない。

 

「どうかしたのか?」

「……何でもないよ」

俺はシャロッティに首を振る。

 原因を答えたところで、理解できないだろう。

 

「ついたよ。入ろう」

 シャロッティの視線の先に、《碧波医院》看板が目に入った。

 見上げると、金網かなあみのフェンスに囲まれた、診療所だった。

「……あ、うん」


 シャロッティが扉を開け、中に入る。

 蛍光灯の光が、静かな待ち合い席のソファーを照らしていた。

 壁の|液晶テレビ、右奥には受け付けが、清掃されている。

 《幻想世界》で入った時に覚えていた配置、同じだった。

 あの時は寒々しいを感じたが、今は薬品の匂いさえ落ち着きを与えていた。

 

 《幻想世界》の屋上で、歌う懐中時計の白いローブと初めて出会った。

 あの涙は、今でも忘れないほど胸に刻まれている。

 

「陽翔君、こっちだ」

 シャロッティの声に我に返り、奧の方についていき、部屋に入った。

 中には、2つのベッドが置いている。壁に薬品棚、医師用の大きな椅子。

 白いカーテンを引かれた、縦長の窓から満月が美しく差し込んでいた。

 

 結希翔が凛也をベッドに寝かせる。

 そのまま俺を見た瞳は、氷の刃のように鋭かった。

 胸の奧に刺さり、後ずさる。

 

「準備してくるよ。座って待っておいてくれ」

シャロッティは穏やかに手を振り、部屋を出ていった。

「ほら、結希翔も出ようよ」

 結希翔は静かに廊下に出ていく。

 ほっと息をつき、俺は窓辺に歩み寄った。

 

『陽翔君、休んだらどう?』

 永琉の声が胸の奥に響いた。

 《アザレアコア》が胸元で優しく揺れ、その音を聞きながら、俺は目を閉じた。

 

「……大丈夫。いろいろありすぎて」

 誰もいないので、つい声に出した。

 

『そうだね。陽翔君はこの世界に来たばかりだもん』

 

「……知らないことが多すぎて……記憶が戻れば、少しは楽なのに」

『ちょっとずつ覚えていけばいいよ』

 

「ネックレスを取られて……。凛也との戦いで実力が発揮できずに、負けそうになったのに……」

 俺は拳を握り、弱気のことを漏らす。

 成長するために頼らないように決めたのに、戦闘じゃ頼りすぎて、なさけないと感じた。

『わたしが助けられたからいいの。陽翔君のせいじゃないよ』

 永琉は鈴のような声で、明るく笑った。責めてこなかった。

 

『わたしが教えるから。不安にならないで』

「永琉……ありがとう」

 《アザレアコア》が雪色に光り、胸の奥がみるみるほど温かくなる。

 どこまで大丈夫な気がした。

 

『敵のねじろで堂々と話すな!』

 レオが割り込み、重たく叫んだ。

警戒して、振り返るが誰もいない。

 

 後ろから、首筋に冷たい金属が触れた。

 先ほどまで、人の気配を全く感じ取れなかった。

 全身ががくがく震えた。

「おい、誰と話している」

 低くて、影にこもる声がした。


 《アザレアコア》にすがりつき、ゆっくりと振り返る。

 結希翔が銃を構えていた。

 その瞳は、雪のように冷たく感じられた。


☆☆☆


「……仲間だ」

 素直に答えたら、少しは警戒を解いてくれるかもしれない。

 危機を生んだのは、自分自身だ。責任くらいは取らないといけない。

 

「ネックレスの宝石に宿る、黒色のオーラの持ち主のことか。どこにいる」

「教えられない」

 永琉やレオに大切な友達で、巻き込むわけにはいかない。

 2人に危険が及ぶなら、結希翔に刃を向けでも守る。

 

「そうか。お前は何のために……」

「結希翔、やめてやれ!」

 凛也が会話に割り込み、俺を庇うように前に立った。

 

「これ以上、聞いてやるな」

 結希翔は銃を向けたまま、静かに告げた。

「お前は、仮面をつけた相手を真似している人形だ」

 

 違う。

 俺は視界が真っ赤になるほどの高ぶった。

 記憶を失う前の俺の知識を借りている。

 演じているわけではない。

 懐中時計の白いローブを助けるために、強くなりたいだけだ。

 

「……っ!!」

我を忘れて、結希翔に拳を振り抜いた。

 結希翔は軽くかわされ、俺は床に叩きつけられるように転倒した。

 

 その上から、冷たい金属の銃口を向けられた。

 引き金にかけられた指が動く。弾丸の音が響いたーー。

 

「やめろ!」

 疾風のように速く回転した。

 凛也のヨーヨーが、結希翔の銃を弾き飛ばした。

 

「陽翔はあいつと似ているだけで、あいつとは違うんだ」

 凛也は俺の前に立ち、結希翔に静かに言い放った。

「お前の感情を陽翔に押しつけるな」

 

(……凛也)

 胸のつかえが少し取れた。救われたような気がした。

 

 結希翔は、静かに見つめた。

 氷の刃のような冷たさの奧で、すがるように揺れている。

 その瞳が、なぜかどこか悲しげに感じた。

 

 結希翔は無言のまま銃を拾った。

 後ずさるようにして、部屋を出ていった。

 

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