7話:閉じた記憶 --もう1人の俺--

 エンジン音を低く唸り、車は車道へ滑り出した。

 

 レモンティーに挟まった紙を、調べる覚悟をした。

 永琉たちに話すか迷ったが、やめた。

 皆がいる前でネックレスが揺れたら、余計な詮索をさせる。

 永琉たちもそれを察してか、何も話してこなかった。

 

 暇なので、夕景ゆうけいを眺めた。

 茜色に染まる世界を眺めていると、頭の奥で、あの映像がよみがえった。

 髭の男が刃物で、陽愛の胸を貫いたことを。

 俺は、あの事件を止められるだろうか。

 

 夕陽が、緋色の髪を美しく輝かせた。

 まるで、俺を象徴するように。

 

 これは、いい機会かもしれない。

 永琉たちを頼りすぎているところがあった。

 今のように、1人で前に進まなければいけない時がくる。

 白いローブとの約束を果たすために、強くならなければいけない。

 臆病な変えるために、『僕』ではなく、『俺』を使っている。

 誰かがローブの人に言った “約束の言葉”を心の奥で繰り返す。

 俺は『誰か』を思い浮かべ、声にしていた。

 

 ただ思い浮かべるだけじゃなく、強くなるために深める。

 『昔の俺』の記憶を借りながら、この紙の意味を探ろう。

 あの紙が本当に心湖の物なのか、確認から始めた。

 

 心湖は左奥に座り、英語の教科書を膝の上に開き、下を向いていた。

 話しかけられないので、筆跡で推測するしかない。

 

 陽愛が隣に腰をかけて、単語帳をめくっている。

 小声で読み上げて、心湖はそれに付き合っている様子だった。

 テストのために、暗記でもしているのか。

 

 凛也が振り返りながら、「陽愛、読み方が違うぞ」と言った。

 

「どこが違うの?」

 陽愛は読むのをやめて、首を傾げた。

「私にもわからなかったので、教えてくれませんか?」

 心湖はシャーペンと教科書を持ち、耳を澄ませた。

 

「それ貸してもらっていいか」

 凛也の言葉に陽愛は頷いて、単語帳を渡した。

 凛也はぺらぺらとめくって、「見つけた」と、陽愛に見えやすいように指を差した。

「“imitate” だ。ちなみに“真似る”って意味だ」

 慣れた様子で、すらすらと発音する。

 オウム返しするように、陽愛は発音した。

「せいかーい」

 凛也はパチパチと拍手する。

 

 その発音を心湖が教科書に記録した。

 だが、車が曲がって、その筆跡が見えづらかった。

 

 止めるわけにはいかないので、その単語を知識から引っ張り出す。

「陽愛、心湖。imitateって名詞? それとも動詞?」

 

「……動詞」

「名詞、でしょうか!?」

 最初に答えた陽愛の『動詞』が正確だ。

 後に言った心湖が外れだ。

「答えは動詞だ。心湖も、覚えた方がいいよ」

「陽翔さん、ありがとうございます。覚え直す機会になりました」

 心湖は嬉しそうに笑って、教科書の端に小さく書き込んだ。

 その瞬間、文字がはっきりと捉えた。

 

『陽愛を助けてください』の筆跡は、間違えなく心湖のものだった。

 最後の『こ……』は、誰が書いたかわかるために、後ろに名前を入れた。

 

 喉が渇き、つばを飲み込んだ。

 何のために挟んだ。

 心湖は、何を伝えようとしている。

 心湖の顔を横目で見ながら、思考した。

 

「勉強熱心なのはいいけど、『夜空』に着いたよ」

 駐車場を探しながら、雪柰が言った。

 

「……店って、どこにあるんだ?」

 思考をやめて、周りを見る。

 パーキングエリアなので、車しかない。

 

「この1つ角を曲がったところにあるぜ。あそこに止められないから、ここに止めてるんだ」

 駐車場に停まり、凛也は扉を開けながら返答する。

 

「道が狭いからですか?」

「いや、この時間帯は人が多いから止めにくいだ」

 心湖の問いに、凛也が回答する。

「私たちは常連だから、わかるんだよ」

 雪柰はわかりやすく付け加えた。

 なるほどと頷き、俺は車から降りる。

 

 凛也たちについていくと、『夜空』の看板が見えた。

 建物は黒白で、木の香りが漂った。

 鼻の奥に入ると、頭に何か映る。

 

 茶色の髪に制服姿をした人は、背中を向けて立っていた。

 茜色に溶けるような影が、俺と同じ背格好で、店の扉を開けて入っていった。

 

「おい、大丈夫か」

 肩を揺らされて、我に返った。

 凛也が興味なさそうに、俺を見ていた。

「みんな入ったぜ」

 周りを見ると、俺と凛也しかいなかった。

 

「ごめん、大丈夫だ」

 凛也を心配させないように、微笑んだ。

 あれはなんだった。顔が見えなくて誰かわからなかった。

 同じ姿で気味が悪い。

 

「ならいいけど。ったく、雪柰が声をかければいいのに」

 凛也は頭の後ろに手を組み、不満を漏らす。

「顔拭いておけよ。あいつらに見つかったら、追及させるぜ」

 ぶっきらぼうに言いながら、ティッシュを放り投げ、彼は店に入った。

 

 それを受け取って、ため息をつく。

 相変わらず、不親切な人だ。

 だけど、その背中に感謝した。

 ぶっきらぼう声の中にわずかな気遣いを滲ませていて、根は優しい人だと感じた。

 

 ティッシュを取り、顔の周りを丁寧に拭く。

 それが濡れていて、凝視すると雫だった。

 思い出した時に、涙をこぼしただろうか。

 

 凛也が扉の方から、こちらを見ていた。

 無理やり心を切り替えて、涙をそれで拭く。

 深呼吸して、歩き出す。

 

 黒い扉を手にかけ、ゆっくり押し開いた。

 扉に取り付けられた鈴が鳴り響く。

 

 胸の奥はずっと熱かった。

 その熱の正体を、俺には捉えることができなかった。


 ★★★★


「いらっしゃいませ」

 30代くらいの女の店員が頭を下げて、挨拶あいさつした。

 紺の制服には、オーニソガラムの星の花を宝石のように散りばめている。

 その制服が電灯に淡く反射して、店の名前『夜空』によく似合っていた。

 

「わりぃな、空菜。こいつがなかなか入らなくて」

 凛也が軽く肩を叩いた。


「凛也くんが珍しいな。待ってあげるなんて」

 空菜と呼ばれた店員は、柔らかく笑った。

「こいつをおいて席についたら、あいつに怒られるよ」

「雪柰ちゃんのためじゃなくて、その子が気に入ったじゃない」

「そんなわけないだろ」

 笑いあう凛也の姿は、ただの常連には見えなかった。空菜と友達のようだった。


「ありがとうございました」

 話していたのに、空菜は2人の女に気がつき、頭を下げた。

 見た目は癖毛のボサボサような髪だが、仕事ができそうな人だな。

 

「ねえ、あの人格好よくない?」

 1人の女が凛也を見る。

「そうだね」

 小声で話しながら、帰っていく。

 無視されたみたいで、胸に小さな棘が刺さった。


 空菜と話す凛也を、改めて見た。

 凛々しい顔に、黒を基調としたロック調の服。頭にはサングラス。

 その姿が照明の光を受けて、自然に視線を集めていた。

 彼の立ち姿は、一枚の“絵になる”と思った。

 こんな奴が隣にいたら、俺なんて霞むよな。

 

「空菜の仕事の邪魔したら、響が睨まれるし、席に向かおうぜ」

 凛也は背中を叩き、声をかけた。

 彼に見られていたことを追及されなくて、安心した。

「そうだね。凛也くん席わかる?」

「覚えたから、平気だ」

 凛也は軽く手を振り、右奥のテーブル席に進んでいく。

「陽翔くんも格好いいよ。楽しんでね」

 空菜はさりげなく褒めて、手を振り、仕事に戻っていく。

 凛也が俺の名前を話しただろう。

 仕事ができるだけじゃなくて、人のことをよく見てるな。

 空菜に感心しながら、席に向かう。

 

「食後のブルーマウンテンとベリータルトでございます」

 横を通った、制服姿の青年は俺に礼した。

 邪魔にならないように、長い髪を後ろにまとめている。

 黒と白に塗られたテーブルにカップとケーキを置く。

「ありがとうね。響くん」

「ケーキだ。はやく食べよう」

 お婆さんの隣の女の子が喜ぶ。

 青年は穏やかに笑いながら、頭を下げる。

 丸みのある眼鏡を直し、去っていく。


 湯気と焼きたてのクリームの香りがふんわりと漂い、俺の方へ流れてきた。


 鼻腔びこうに触れた瞬間、胸の奥が熱くなった。

 この香りを知っている気がした。

 

 漂った香りが、記憶の底の扉を開けた。

 目の奥に光が射し込み、世界が反転した錯覚に襲われる。

 香りも、音も、すべて遠のく。

 闇の中に沈んでいく。

 まぶたを開けると、鏡のような世界が広がっていた。

 

『いつものブルーマウンテンとベリータルトだよ』

 どこからか声がして、鏡に跳ね返り、耳の奥に響いた。

 鏡面には、“もうひとつの喫茶店『夜空』”が映った。


 右奥のカウンターが黒白に塗られていて、置かれた2種類。

 ベリータルトとブルーマウンテン。

 甘さと苦味の香りが、過去と現在を繋いだ線を溶かした。

 

 耳の奥で、笑う声が響いた。

 少年が腰をかけて、空菜に笑っていた。

 喫茶店にきた時に見た、背格好が同じだった人だった。

 

 顔が見えた、俺と瓜二つだった。

 旭南あさひみなみ高校の制服。

 髪の色が違う。

 だけど、笑い声も、笑う姿もーー俺だと思ってしまった。

 

『すごいよな。あいつにも食わせてやりたいよ』

 その声が耳の奥に響き、理解した。

 いや、こいつは“俺”だ。

 髪の色が違っても、確かに俺自身だ。

 

『俺がお前を助けてやる。だから、どうでもいいなんて、二度と言うな!』

 白いローブの人と約束した言葉が鏡に映された人も、同じだった。

 これは過去の記憶なんだ。

ここに来たことがあったから、『思い出』によみがえった。

 どうして忘れてしまっただろう。

 胸が痛み、涙が溢れた。

 

『ねぇ陽翔君!』

 永琉の声に、白い花が舞い落ちるような音が耳の奥で弾けた。

 現実に引き戻されると、胸の辺りで、《アザレアコア》が揺れた。


『無理そうなら代わろうか。《アザレアコア》に陽翔君の力を共鳴させたら、入れ替われるよ』

 鈴のような声と揺らす音は、心の中を癒した。

 

『いや、俺にやらせてくれ』

 永琉に頼れば楽になるかもしれない。

 できるだけ頼らずに、自分の足で前に進みたい。

涙を袖で拭き、心を整理した。


『無理しないでね』

『ありがとうな』

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