8話:奪われた光 -- 静かな裏切り
「こっちに座れよ」
右奥のテーブル席に向かうと、凛也が手招きした。
ぼっとしている間に、凛也は椅子に腰をかけていた。
「陽翔さん、大丈夫ですか?」
心湖が心配そうな顔をして、覗き込んだ。
「見惚れただけだよ」
苦笑いしながら、適当に嘘をつき、凛也の隣に座る。
「お前の分も先に注文したけど、よかったか?」
「大丈夫だよ」
凛也の気遣いに、ありがたいと思った。
「これな」
凛也はメニューを開き、指した。
ブルーマウンテンとチョコケーキの写真だった。
「ベリータルトにしようと思ったけど、売り切れてしまってな」
記憶が読まれたように、的確でびっくりした。
「なんで……」
記憶を読まれたみたいで、思わず息をのんだ。
「お前が熱心に見ていたから、食いたいと思ったけど、違ったか」
驚かせないでよ。
「ううん、食べたい」
1つは、偶然にも頼みたかったものだった。
飲んだら、思い出すかもしれない。
「ならいいけど……」
凛也はメニューを閉じて、それがあった場所に入れた。
タイミングが悪く、腹が鳴った。
少しは我慢してくれよ。
「お兄ちゃん、ご飯も頼んであげたら」
雪柰が笑い、凛也に言った。
「払うのは俺なんだけど」
「お兄ちゃん、けちけちしないの。陽翔くん、カレーにする」
雪柰がメニューを渡そうとして、手を振った。
“おすすめ”のシールが貼ってあった、コクうまカレーだろう。
「メニュー見せなくても大丈夫だよ。カレーも頼んでいいか」
腹が膨れたら、我慢できるだろう。
「仕方ないな」
凛也はため息をつき、ベルを押した。
ちょうど心湖が隣にいるし、紙のことを訊こう。
ナプキンスタンドを手に取った。
アンケート用紙の横に置かれた入れ物から、ボールペンを取った。
スタンドを壁にして、その紙の裏にペンで書く。
『レモンティーの挟んだ紙のことで、話したい』
心湖が目を見開き、小さく頭を下げた。
心湖にボールペンを渡して、彼女はペンを持ち、紙に視線を落とした。
その瞬間、空菜がきてしまい、遮られた。
心湖はペンを走らせかけようとして、止めた。
「ご注文を聞いてもいいですか?」
「こくうまカレーを1つな」
凛也が注文を頼んだ。
心湖は困ったように小さく首を振り、紙を伏せる。
俺は心湖に首を振って、やめにした。
スタンドを元に戻して、紙を右手に持った。
「何してるんだよ」
凛也が俺の脇を小突き、言った。
見つかったと思い、肩が跳ねて、俺は見上げる。
「俺も混ぜろよ」
凛也は、からかうように肩を触れた。
「ななんでもないよ」
思わず、声が上ずった。
「怪しいな。ネックレスをつけてるし、本命がいるのか?」
凛也はネックレスを見ながら、にやにやした。
何の話かと思い、首をかしげる。
「こっそりでいいから教えろよ」
凛也が俺の肩に、自分の腕を回した。
かすかに銀鎖が擦れるような音がした。
ネックレスへ視線が落ちる。
窓の夕陽と溶け合うように、《アザレアコア》が淡く輝いた。
ゆらゆらと揺れ、淡い影のように窓へ伸びた。
空気が張りつめたような感覚に襲われた。
その光は一瞬で消え、正体はわからなかった。
「お兄ちゃん!」
雪柰がじろりと睨んだ。
「ハイハイ」
凛也は軽く笑って、俺の肩から手を離した。
もう一度見直すが、夕陽に映る自分の影だった。
気のせいだよな。
夕陽を眺めながら、ネックレスをそっと右手で握りしめた。
何か大切なことを忘れている気がした。
☆☆☆
食器が触れ合う音、会話に混じり合う笑い声。
それらの音は、闇に溶けるように遠のき、時間はあっという間に過ぎ去っていった。
「空いたお皿を片付けますね」
響が隣にやってきて、皿やカップを丁寧にトレイにまとめ、片付けていった。
腹が満たされたはずなのに、胸の奥がまだ静まりきっていなかった。
何も思い出せなかったことか。
それとも、紙を奪われたせいか。
「失礼します」
陽愛が立ち上がり、背筋を伸ばして、頭を下げた。
「ありがとうございます。お先に失礼します」
心湖が明るくお礼を言い、俺の顔を見た。
『店の裏で、待っています』
声に出さず、唇がそう告げた気がした。
その瞳にはためらいはなく、決意が宿っていた。
心湖の顔を見て、俺も胸の奥に静かに炎がともった。
「じゃあ、私も帰るね」
「雪柰、気をつけろよ」
「もう大丈夫だよ。……あ、忘れてた」
雪柰は、会計していた空菜に近づく。
「友達がライブに行けなくなっちゃって。もしよかったら、一緒に行きませんか?」
「ごめんね」
「いいんですよ。じゃあね」
雪柰は軽く手を振り、鈴が鳴った。その音が店内に溶けていった。
「凛也ありがとう。先に出るな」
凛也に小さく手を振りながら、店を出ていく。
「じゃあな」
凛也の声が、夜の静けさに吸い込まれていった。
街灯が歩道を照らし、涼風が頬を触れた。
待ち合わせをした店の裏口へ向かう。
灯りがほとんど届かず、ぼんやりと影が見えた。
闇の中でよく見えない。心湖だと思うが、確証できない。
明かりになるといえば、オーラだ。
銀の粒子を明かりにして、目を凝らすと、その影は心湖だった。
「待たせたな」
低くぐもる声と足音がした瞬間。
声をかけようとした言葉を飲みこみ、思わず下がる。
声を押し殺し、影を潜めた。
闇を割って現れたのは、未来で見た髭の男だった。
「……いいえ」
心湖の肩がわずかに震える。
助けてやりたい。何も思いつかない。
心湖を危険にさらすだけだ。
息を詰めて、様子を見守る。
「紙を誰かに渡したのか」
「……お渡ししました。陽愛を……殺さないでください」
心湖の瞳には、恐怖よりも覚悟が勝っていた。
「そうか。あいつがいなくなれば……」
笑い声に混ざって聞こえない。
「約束は守ってやるから、帰りな」
「……はい」
心湖が胸を撫で下ろし、男がゆっくりと去ろうとした。
ここで男を逃せば、翌日の事件を止められない。
戦えるわけではない。
俺の能力は、この世界に行くことしかできない。
周りを見ながら、知恵を振り絞る。
足元の小石とオーラを見て、『昔の俺』の記憶にあるものが一閃した。
オーラを足に流し、石を手元に方に蹴り上げる。
銀の光に包まれて、鉄のように硬くなる。
宙に浮いたそれを右手で受け止めた。
オーラは能力を発動させるためじゃない。
威力を上げたり、鉄にして盾に使ったりできることを思い出した。
男の頭にこれを当てれば、気絶させるはずだ。
背を向けているし、気がつかれる可能性は低い。
後は命中するか、どうかだ。
その瞬間、首もとで小さな音がした。
ネックレスが音もなく、外れた。
凛也が返してもらって、しっかりネックレスを結んだのに。
緩んでいるなら、気がつくはずだ。
反射的に右手が動き、銀の鎖を手の中に収めた。
石が手のひらから滑り落ちた。
金属のような音を立てて、響きわたった。
その音の中で、時間が静止したように、感じられた。
「誰だ!」
男が声を荒げた。
空気が凍りつき、影が覆うように、恐怖が襲いかかった。
身体ががくがくして、後ろに倒れかける。
オーラで右足を強くして、後ろに持っていき、なんとか踏ん張った。
「どこにいる!」
男が周りを見ながら、探している。
見つかっていないが、心湖に敵意が向くかもしれない。
守らないと、大変だ。
壁に向かって、石を蹴った。
音でごまかすためだが、男に当たってくれたら、足止めになる。
当たりどころが悪ければ、気絶させることができる。
「そこか」
反対方向に行ってくれて、助かった。
心湖に手で合図しながら、連れてくる。
何かが地面に落ちていた。
月明かりを反射して、小さなレターポーチが光った。
落とし物としては、新品のように綺麗だった。
とっさに、ポケットへ押し込みながら、隠れる場所を探す。
後ろに扉を見つけ、その中へ身を滑り込ませた。心湖がいるか、確認して閉めた。
完全に去ったか、聴力で確認する。
足音が1つもしないので、どこかにいったようだ。
ようやく、一安心する。
「……ありがとうございます」
心湖が震えながら、頭を下げる。
「いいよ。心湖はあいつに脅されているのか」
「……はい」
頭をあげながら、静かに答えた。
「陽翔さんに倒してもらおうと紙で渡して、あそこに呼びました……」
心湖は苦笑いしながら、答えた。
「そうだったのか……失敗してごめん」
自分の身が危ないのに、体を張った作戦だったが、失敗してしまった。
「いいんですよ。もしも陽翔さんが戦えない人だったら、危険に巻き込んでしまうところでした」
他人のことを考えるなんて、優しいなと思った。
これ以上は心湖に任せられない。
「俺に脅された件を任せてもらっていいか」
「でも……」
「俺を信じてほしい」
心湖は驚いたように、目を見開く。
「……わかりました。陽翔さんにお任せします」
こちらに近づく足音がして、話すのをやめた。
「心湖、隠れそうか」
心湖は首を振って、足を見た。
足に怪我したのかもしれない。祈るようにして、待った。
懐中電灯を向けられて、目を細めた先にいたのは、響だった。
「何もしません。声を出さずにいてください」
俺たちを見ながら、響が静かにいった。
「響くん、倉庫の扉をしまっていた?」
奥の方から、空菜の声がした。
「空菜様、問題ありませんよ」
「なら、よかった」
「空菜様は、先に帰ってください」
「そうさせてもらうね」
空菜の声は聞こえなくなり、不安が薄れた。
「貴方たちは、どうしてここにいるんでしょうか」
「心湖が足を怪我してしまって……」
これ以上、思いつかなかった。
「……見せてもらっていいですか」
「……はい」
響は心湖から許可をもらい、足を見る。
「応急処置して、私が車で連れて帰りますよ。貴方はどうしますか」
「俺はいいですよ」
「……わかりました。陽翔様、1つ確認させてもらっていいですか」
響は俺に近づく。
「ネックレスを貸してくれませんか」
「渡せないので、見せるなら」
「それでもいいです」
俺はネックレスの銀鎖を持ち、響に見せた。
響は目を閉じて、ネックレスに向けて手を伸ばした。
ネックレスに青色のオーラが包み、勝手に動いた。
彼が能力者だと気がついておらず、驚いた。
「私のオーラ以外、何か見えますか。例えば宝石の方に……」
《アザレアコア》を見ると、永琉のオーラを感じなかった。
宝石の中心に花が消えていた。
時計の針が止まった気がした。
本当に偽物だ。
誰が入れ替えたんだ。
よく思い出すと、引っ掛かる人物が1人だけいる。
凛也だ。
喫茶店で俺の肩に回した時に、銀鎖が擦れるような音で盗られたのかもしれない。
彼が本当に奪ったのか。
ぶっきらぼうだけど、優しかった。
あれが、嘘だと思いたくない。
その刹那、偽物のネックレスが揺れた。
行き先を示すように、扉の方向に向いた。
もしかして、《アザレアコア》を持った犯人のところに連れていくのか。
その先に待つものが、罠だとわかる。
《アザレアコア》は大切な物だから、取り返したい。
『大事にしてね』
永琉の笑顔と、レオと出会ったことを脳裏をよぎった。
記憶がない俺に初めてできた、宝物だ。大切な友達だ。
声が聞こえなくなって、ようやく気がついた。
だから、立ち止まれない。
「待ってください。それは……」
響の言葉を無視して、外に出ると、ネックレスがまっすぐに揺れた。
雲隠れした月の下、暗い先からレオたちが呼んでいる気がした。
その光を掴むように、夜の町を駆け出した。
★★★
古びたビルにたどり着いた。
並び立つ建物の狭間で、闇が深く口を開けている。
その奥には、細い通路が見えた。
湿った鉄と埃の匂いが、鼻を刺した。
『はる……』
永琉の声が、耳の奥で揺れた。
「永琉、レオ……待ってろ」
俺は息を整え、胸の奥に静かな熱が灯した。
光を奪う闇へと足を踏み入れた。
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