1章 青空に羽ばたけ前半

4話:鏡の中と、記憶の海の狭間で

 静寂に満ちていて、物音がひとつもしなかった。

 鼓動は確かにするが、レオたちの声が消えていた。

 別の世界なんだろう。

 

 肌に微かな温もりを感じた。

 俺は驚き、意識を呼び起こした。

 全体が鏡張りになっていて、俺は逆さまに落ちていた。

 けれど、鏡を映す水面では、俺が上へと登っている。

 

 頬に触れたのは銀の粒子だった。

 ゆっくりと《サファイア》の色へと変わる。

 光の中に、海が閉じ込められたように煌めいた。

 周りには銀のオーラが宿り、《サファイア》と線のように結び合う。

 その瞬間、青の宝石が、全身鏡の中にあった魂だと直感した。

 

 海のような輝きが、俺の瞳に流れ込み、光が静かに溶け合った。

 その瞬間、映像が映し出される。

 

 画面の中には、花柄に飾られたカフェに、少女が立っていた。

 その髪は夜空を溶かしたように艶めき、まっすぐだった。

 淡々とした表情が、冷たそうに感じられた。

 店員から茶色の袋を受け取り、少女は扉を押して出た。


 これは、俺の能力なのか。

 別の世界に行く以外は、思い出せなかった。

 

「動物パフェが残りわずかです。まだ食べたことがない方は、ぜひお越しください」 

 後ろから、元気一杯な男の声がした。

 

 そこは、天井が吹き抜けていた。

 少女が上を振り仰ぎ、俺にもそれが見えた。

 共鳴するように、視界が重なっていた。

 

 画面から機械的な音がして、人が出入りする音がした。

 彼女の目に映っていないものは、俺にも見えない。

 まるで、ひとつになったようだった。

 

 少女は紙袋を肩のトートバッグに入れた。

 レターポーチを確かめ、バッグを閉じて歩き出す。

 

 落ち着いた照明と、アロマの香りがする通路を通っていく。

「――バニラ&チョコの『臆病な君よ勇気出せ』でした。本日のライブより――」

 安売りを宣伝するアナウンスが流れた。

 

 少女は眠たげに細めた瞳を開けて、14歳くらいの少女を凝視した。

明美あけみ、ここで待っているね。ゆっくり、グッズを選んでね」

 小柄な子は休憩用のベンチに座り、スマホを耳に当てていた。

 

心湖ここ

 長髪の少女の声が弾んでいた。

 冷たいと思ったことを、すぐに訂正した。

 彼女にも感情がしっかりあるんだ。

 

 心湖は電話をしていて、その声に気がつかなかった。

 目に見えない壁が存在しているように感じられた。

 

 心湖の足元にチラシが落ちる。

 お婆さんが腰を曲げて、拾おうとする。

「お婆さん、これどうぞです」

 心湖は通話を切った瞬間、それを渡した。

「まあ、かわいいお嬢さん。ありがとうね」

 お婆さんは、若くなったように無邪気に微笑んだ。

 

「心湖、危ない!」

 長髪の少女が叫んだ。

 

『危ない』

 その理由に気がつくと、俺も心湖に叫んでいた。

 これは映像だ。

 聞こえないのはわかっているけど、気がついて欲しかった。

 

 時間が早く感じられた。

 痩せ細った男が、お婆さんを突き飛ばし、殺傷力のある刃を振り上げた。

 

(助けないと)

 焦ったような少女の心の声が、頭の中に響いた。

 

 少女の瞳は、深い海を慈しむような《サファイア》に変化し、光を放ちはじめた。

 あの魂と同じで、その瞳は少女のものだった。

 一瞬で心湖の前に立ち、瞬間移動をしていた。

 

 凶器を持つ男の手を目掛けて、長髪の少女が蹴る。

 

『駄目だ。逃げろ!』

 胸騒ぎがして、長髪の少女に向かって叫んでいた。

 胸の中が熱くなって、視界が曇った。

 これは理屈じゃない。

 彼女を失いたくないと、心から思った。


 少女の蹴りが、男にかわされた。

 その予感が的中してしまった。

 

 男の瞳が青い結晶のように輝き、動きが予測不能だった。

 間髪を入れずに、刃が少女の胸を深くえぐった。

 パリンと、何かが割れた音がした。

 

陽愛ひな! しっかりして!」

 心湖は少女ーー陽愛を抱きしめて、泣きわめく。

  陽愛の胸から血が溢れて、ワンピースを真っ赤に汚した。

 

『この野郎!』

 頭に血が上り、ひげを生やした男を睨んだ。

 男の青い眼が、胸の奥につつらを突き立てられたように冷たかった。

 つつらは塩のように白く、再結晶して分解できない。

 終わらない痛みに、身体が固まってしまった。

 

「……心湖ここ……」

 陽愛が過呼吸を繰り返し、静かに息を引き取った。

 映像は静かに遠ざかり、闇に呑まれていく。

 

 俺の呼吸と鼓動だけが響き、他は静かだった。

 陽愛の鼓動が感じられないのに。

 とくん、とくんーー聞こえる気がした。

 

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