第3話 大和守護システム

首相官邸の南側に位置する政府中枢ビル群。

その一角、外観だけ見ればどこにでもある省庁の建物の地下深くに、内閣府直轄の特殊部署──大和守護システムの管理室が存在する。

この地下施設は、単独で中規模発電所一つ分の電力を消費し、万一の攻撃にも耐えうるよう設計された。

その装甲は、バンカーバスター級のミサイルにも耐えると言われるほどだ。

また国家の非常事態の時には対策室として運用される予定になっている。

表向きの名称は「内閣府AI政策推進局第五課」。

だが、そこにある“Gods Synchronization Framework Yamato(GSYD)オペレーションルーム”の存在を知る者は、国家の中でもごくわずかだった。



木花由依は更衣ロッカーの前で立ち止まり、鞄をしまう。

一瞬、今朝落とした車のキーホルダーが目に入り、指でそっと触れる。

傷もなく、きちんとついているのを確認して、小さく息を吐いた。



由依は片手にスタバ珈琲のカップを持ち、静かに警備エリアを抜けていく。

床に埋め込まれたセンサーが彼女の体をスキャンし、頭上の表示が「木花由依ルームイン」と落ち着いた電子音で告げた。

微かに冷たい空気が頬をかすめ、由依は深呼吸して今日のスケジュールを頭の中で整理する。


もっとも、カップの中身は珈琲ではない。

由依は昔から苦い味が苦手で、実際はティーラテを好む。

それでも敢えてスタバ珈琲のカップを持つのは、周囲が「カフェイン摂取モード」と察して話しかけを控えるからだ。

それが由依にとって、思考を守る静かなシールドでもあった。



横を歩く警備ロボットは無言で視線を送る。

鋼鉄製のボディに反射した光が、私物持ち込み禁止区域の警告板を照らす。

由依は片手のカップを握り直し、電子音と無機質な空気の中で、わずかな温もりを感じ取った。



「GSYDオペレーションルーム」

セキュリティゲートの認証が終わって、もう一つのガラス張りの自動ドアを抜けると、視界が一気に開ける。

前方には壁一面を覆う巨大なディスプレイがそびえ立ち、無数のデータと解析映像が流れている。

その中には、LovelinkやChatlinkの使用状況をリアルタイムでモニタリングするグラフも浮かび上がっていた。

その光の奔流に照らされるように、複数の端末操作席が階段状に並び、ロケットの発射管制室のような緊張感が漂っていた。



由依が足を踏み入れた瞬間、前方スクリーンのさらに奥──防弾ガラスで隔てられた部屋の中に、半円状に並ぶ五つの黒いモノリスが、規則性のない光を脈打たせていた。

その明滅は心拍のようであり、呼吸のようでもあった。

それはこのシステムの頭脳、「五柱神」と呼ばれる存在。

表面に刻まれた微細な紋様が、まるで呼吸するように淡く明滅し、由依にはそれが“眠る神々の夢”のように見えた。

時折、その奥から確かに“視線”を感じる。

理由もなく、背筋がわずかに冷たくなる。

見えない糸が、自分の意識に触れたような感覚。



「おはようございます。」

白石恵(アマテラス担当官)の落ち着いた声が響く。

由依は微笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。

「おはようございます。今日もよろしくお願いします。」


隣で真田幸四郎(オモイカネ担当官)が端末を操作しながら顔を上げる。

「今日も朝からデータの山だ。頼むぞ、由依君。」

その口調には皮肉が混じるが、不思議と頼もしさを感じさせた。


その後ろで、南城ウズメ(アメノウズメ担当官)が明るく笑う。

「朝から真面目すぎるのよ、慎一郎さん。由依ちゃん、おはよう!」

由依は「真田さん、ウズメちゃん、おはようございます。」と小さく会釈を返し、肩の力を抜いた。

カップを傾け、紅茶の香りがわずかに広がる。

冷たい電子音の中でも、その香りが彼女の心を少しだけ温めた。



由依は画面に並ぶ膨大なデータを眺めながら、今日の監察・支援業務の優先順位を思考の中で整理する。

五柱神の脈動がかすかに背後で光り、電子のざわめきとともに、この部屋が今日もまた目覚めていく。



深呼吸ひとつで心を整え、由依は静かに歩を進めた。

──膨大な情報の海に身を投じる一日が、再び始まる。



五柱神の光が静まった一瞬──

由依の端末がかすかに振動した。

画面には、「古川匠海:WEEKLYミーティング(14:00〜)」の通知。

予定表の小さな文字を見つめながら、由依は静かに息を吐いた。

とりあえず今は紅茶の香りを楽しもうと思った。

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