学園生存日誌:永遠に続くダンジョで君と二人【読切版】

渋谷直樹

第1話 チエとアキナ

 ​────メキ.....バキ....


 ​嫌な音がした。


 ​「チエ!!」


 ​心臓がぎゅっとせり上がる。

 ​絶叫と共に吐き出された酸素が遠くに家出をしたまま帰ってこなかった。

 ​目の前の親友に慌てて駆け寄る。


 その足がぐにゅりと僅かに沈む。

 湿った土。

 ​じっとりと体にまとわりついてくる湿気と湿地帯特有の生臭い泥の香り。

 ​錆の匂い。


 ​短く切り揃えられこの薄靄の漂うぼやけた光を薄っすらと反射する艶のある黒髪。

 能面のようなつるりとした顔に浮かぶ脂汗。


 ​まるで前衛芸術家がアトリエで着ているエプロンのように学園支給のダンジョン探検服に飛び散る水玉模様。

 赤黒く変色し痛々しい染みとなった水玉模様。


 ​その模様を描いたブラシとなった腕は、ありえない方向に折れ曲がり、割れた骨の先端が皮膚を突き破って、まるでタコ足配線のように絡み合った青やら緑やらの色をした神経と共に、陶器のような白い顔を覗かせていた。


 ​「....アキナ、骨が飛び出してしまいました。すごく痛いです」


 ​もう片方の腕を脇にはさみながら止血をして、チラリと折れた腕を一瞥すると、まるで他人事みたいに、チエは言った。


 ​その声はこの湿地帯エリアの湿った空気と、なんという名前なのかもわからない生物たちの「ボー」だとか「ムー...ムー....」だとかのざわめきに遮られて、すぐに掻き消えてしまった。


 ​ぷしゅぷしゅと白い腕を伝って滴り落ちる朱と白のコントラストを描いた血の音だけが、やけに生々しく響いていた。


 ​「バカ!無茶すんなっていつも言ってんじゃん!」


 ​湿地帯。

 その生物に噛まれて、引き千切られて、折られて。

 止血、麻酔、それに感染症対策も。

 ​頭の中に矢継ぎ早に手段と手順が浮かぶのが鬱陶しい。

 口々に早く早くと喚き立てて頭の中で渋滞する。


 ​いつもこうだ。


 ​無茶すんなって言ってんのに「これが最適です」なんていって大怪我をする。

 それなのに、何ともないような顔で、他人事みたいな顔でケロッとしている。

 ​止血帯を巻き傷口を消毒し、壊れかけのおもちゃのようにぶらりとぶら下がった、チエの白くて細い腕に治癒の術をかける。

 ​ぶちゅり...肉と肉が合わさる不快な音がした。


 ほんの薄皮一枚の応急処置。

 取り敢えずくっつけて覆っただけの応急処置。

 ​それでも、何とか繋げることはできた。

 授業でやっておいてよかった。

 そう思った。


 ​「いい?動かしちゃ駄目だからね?取り敢えずくっつけただけで、仮止めみたいな状態だから。無茶するとまた取れるよ?」


 ​「ええ、勿論です。アキナは凄いですね」


 ​いつもの能面のような、つるりとした顔。

 何を考えているんだかよくわからない顔。

 白く細い腕をさすりながら、僅かにほころんでいるように見える顔。

 私にしか見せない顔。


 ​「....はいはい、今日はもうこのまま野営するよ?いいね?」


 ​いつもこうだ。

 ずるいよ。


 ​少し戻った先にあった背の高い木の下。

 水場から離れた比較的乾いた地面。

 ​フレームだけの簡素なコンロにお湯に溶かした携帯食。

 カチャカチャとささやかな音を立てる食器。


 ​遠くで草やら木やらが仄かに囁き、まるでこの場所を現実から離すかのようにモクモクと紫色の煙を吐きながら、薄靄と入り混じる虫除け。


 ​まるでこの世界にチエと私だけしか存在しないかのような錯覚。

 広大なダンジョンの中にある小さな小さな世界。

 ​二人きりの静かな世界。


 ​◇◇◇


 ​薄青い光を微かに放ちながら幾つも聳え立つ黒曜石の掲示板の光が天井に小さなガラス細工のような輪っかを描く。

 その光が周囲を取り巻く生徒たちの金属やら革の金具やらにも反射してパチパチと華やかで、生命の煌めきと儚さを一緒に映し出しているような光景を作っていた。


 ​ダンジョン学園エントランスホールの学内掲示板の前には人がごった返し、めいめい目的のものがないかを探すため、まるで墓標かモニュメントのように聳え立つ黒曜石の掲示板に手をかざし、浮かび上がる文面を次々と眺めてはめくっていく。


 ​パーティメンバー募集やらバイトの求人募集やら、果ては実験体の募集やら。

 募集の主は同じく高等部の学生に、大学課程の生徒、学園正規教員のイカれた偉人たちなどなど。

 街や国がすっぽりと一つ収まってしまうような広大な学園に、本当にどれだけの人がいるのだろうと思えるほど、所狭しと並んだ募集の記事。


 ​エントランスホールではこれから探検に出掛ける者、それが終わって新鮮な地上の空気とどこまでも続く青空を堪能しようと心待ちにしている者。

 命からがら帰還してパーティメンバーと抱き合い咽び泣く者。

 ​大小様々な感情やら人間模様が繰り広げられている。

 ​そうやって泣いたり笑ったりしている人たちを羨ましそうにチラリと眺めながら、この掲示板の前に集まる群衆と同じように、記事をめくり続ける少女がいた。


 ​明るい栗色の髪に日焼けをしたような小麦色の肌。

 他の女子生徒たちよりも頭一つ高い長身。

 大小のピアスが耳を彩りスッと伸びた鼻筋と意思を感じさせるようなキリリとした目も相まって華やかな印象だ。


 ​一つめくっては次へ行き、また一つめくっては次へ行く。

 つまらなさそうに目的もなくショッピングモールをぷらぷらと歩いている時のような、何か運命めいた偶然でも求めてさまよっているような。


 ​「ねぇ〜、アキナ〜、まだパーティ決まってないんだったらさぁ、うちらと一緒に組もうよ~」


 ​退屈そうに記事をめくっていたアキナの手が止まった。

 人懐っこそうな笑顔を浮かべた、まるで小動物のような雰囲気の女生徒が記事をめくるアキナの手を握り、肩にあごを乗せねだるように声をかけた。


 ​「....リコか、嫌だよ。だってあんたのパーティ寝取っただのなんだのってこの前ごたついてたばっかじゃん」


 ​にべもなく断りながらほんのり赤くぷにぷにとしたリコの頬をぞんざいに手の平で押しのけ、肩に乗せられた顎をぐいっと外へ押し出す。


 ​「えぇ〜、いやあ....それはさぁ....だってぇ一緒に探検してたらさぁ、なんかそういう雰囲気になる時ってあるじゃぁん」


 ​「とにかくパス。そういう面倒なの嫌だから」


 ​「えぇ〜、いいじゃぁん。治癒術使える子が抜けちゃってマジでヤバいんだってぇ」


 ​「あのねぇその原因になったのあんたでしょ?そろそろいい加減にしとかないといつか本当に痛い目に遭うよ?年度末のラストチャンスダイブなんてやりたくないでしょ?」


 ​ラストチャンスダイブ。


 年度末になって単位が足りない者たちが最後の一発逆転の望みをかけて身の丈に合わない階層まで潜り、命がけで成果と引き換えに単位を得る。

 命の奔流が迸りそして散っていく。


 ​今までは学園恒例の年度末のお祭りとしてこの時期に出る出店や探検用品の特価セールで買い漁ったりして無邪気に楽しんでいたが、後期課程に進級した今となっては下手をすれば今度は自分が死出の道を盛大に送り出される側になるかもしれない。


 ​無事に帰還した人をちょっと見てみようと思ってリコと一緒に見物に行ったことがあるが酷いものだった。

 腕がないとか大怪我をしたとかならまだマシだ。

 この時期は治療狂のキキ先生が上機嫌で24時間休みなくフル稼働しているのだから。


 ​最悪だったのは正規教員がこっそり渡した無認可の現象器や薬剤の影響で体が良く分からない生物と同化していたり、ただただ治癒術を吐き出すだけの物体になっていたり。

 人間の形をとどめていない人たちだった。


 ​自動で進級のできる3年間の前期課程と違いダンジョンの深淵に惹かれその先へ進むと決めた者たちが立つこの後期課程では、単位が足りないのならば何かで補わなければならない。

 それが、時には自分の命と引き換えになることだって珍しいことではない。


 ​そうやって釘を刺され一緒に見たあの凄惨な帰還者たちを思い出したのか、それまでアキナに甘ったるい声で勧誘の声をかけていたリコは「あぁ〜」とか「うぅ〜」とか言いながら、どうやってもアキナの勧誘が無理だと悟りがっくりと肩を落としてしまった。


 ​手癖の悪い子なんだがどうにも憎ない愛嬌のある顔にみるみる悲しみの色が浮かび、どんぐりのような大きな瞳がうるうると潤んでいく。


 ​探検において治癒術を使えるものがいるかいないかその精度がどの程度かによって探検の成功と安全は全く違うものになる。

 それはリコだって重々承知している。

 だからこそこうやってアキナに声をかけているのだ。


 ​甘え上手で自分のレベルよりもちょっとだけ高いパーティに入って単位を稼いで要領よく立ち回る。

 そんな彼女がラストチャンスダイブなんて行ったらどうなるか。

 ​それをわかったうえで断っているのだからどうにも妙な罪悪感めいたものがニョキニョキと顔を出してくる。


 ​「はいはい、座学だったら手伝ってあげるから、パーティは他をあたりなね?」


 ​そうやってグズるリコを宥めているとこの掲示板前の群衆をちょこちょこと掻き分ける探検用リュックが目に止まった。


 ​掲示板の薄青い光を反射する艶のある黒髪。

 ボブカット...いや、自分で切ったみたいなおかっぱのようなどこか浮いた雰囲気。

 ​幾つも記事を表示させて物凄い勢いでめくり手を止める。

 そして受諾の項目を押す。


 ​周りがああでもないこうでもないと迷ったり話し合ったりして選ぶこと自体を楽しんでいるような中で、最初から目的のものが決まっているかのような手際の良さ。

 ​他とは違う子だと思った。


 ​「....あの子はやめときなって。前に組んだことあるけどマジでイカれてるよ」


 ​この学園においてイカれてるなんてのは普通のことだ。

 特に自分から志望して後期課程に進むような連中なんて普通の基準からしたら十分にイカれてる。

 ​そんな人間ですらイカれてるなんて評価するあの子。


 ​「トウヤ先生のダンジョン生物の生態観察の時に組んだんだけどドリースネークに自分から飲み込まれて消化されるまでの時間を観察したんだよ!?単位は取れたけどさぁ....おえ....思い出したくないわ。だからあいつマジでイカれてるって」


 ​さっきまで甘ったるい声で話していた人物とは同じだと思えない嫌悪感を滲ませた低い声。


 ​「....確か、転校生なんだっけ?南方の」


 ​「らしいね。何か変な時期に転校してきてすぐヤバい奴認定されて今はボッチで潜ってるらしいよ?あいつはマジでヤバいからアキナやめなって。うちらと一緒に組も?ね?」


 ​「....うん、課題は手伝ってあげるからまた今度ね」


 ​懇願するように腕を掴むリコを引き離し探検用リュックに足が生えたような小柄な女の子に声を掛ける。


 ​「バイト?何か目当ての依頼でも決まってたの?」


 ​「.......はい。中層手前の地形調査です」


 ​少し間をおいて淡々と聞かれたことのみを答えた。


 ​誰ですかでも何ですか、でもなく。


 ただ聞かれたから答えた。


 そんな感じだ。


 ​「一人で?」


 ​「はい、一人です」


 ​「大丈夫なの?」


 ​「はい、大丈夫です」


 ​「中層手前でも一人で潜るのは危険じゃない?この前ダンジョンシフトがあったばかりだし」


 ​「問題ありません。以前も似たようなことはしたことがあります」


 ​まるで機械のような返事。


 ​「.....履修表見ていい?」


 ​「はい、どうぞ」


 ​胸元にペンダントのようにぶら下げた校章が刻印された端末に手を触れる。


 ​探索術、サバイバル術、深層生物学、中級現象器取扱講座、ダンジョン栄養学etc....


 ​沢山受けている。


 しかし、そのどれもが個人で完結しているような、誰かと組むことをまるで想定しているものではないような、自分が生存するために必要な技術を学ぶため。


 ​そういう思考が読み取れる履修内容。


 ​「すご....第三種構成体取扱士持ってんじゃん」


 ​「使えるものは増やしたいので」


 ​「でも現象術系の履修はしてないんだね」


 ​「はい、生まれつき現象素が少ないみたいです。そのせいで現象器の起動くらいしかできません。あればもっと楽に潜れるのですが、残念です」


 ​「え?」


 ​現象素、それは誰でも持っているものでありこの社会で生きていく上で必須ともいえるもの。


 その現象素を使って自然では起きないような事象を発生させる現象術。

 それをより低リスクかつ簡単に発揮できるようにするための現象器。

 ​ダンジョンに潜るのならばそのどれかが欠けるだけで死の危険性は飛躍的に増加する。

 てっきり何か高レベルの術でも持っていてそれで何とかしているのかと思っていた。


 ​「....って、ローンの金額すごいことになってんじゃん!!」


 ​通常ならば校章を介した生徒情報には閲覧範囲に制限をかけるのが当たり前だ。

 誰だって見られたくない部分はある。

 それだというのにこの子はその制限をかけていないせいでSPT(サンクションポイントトークン)の残高まで閲覧可能になっていた。


 ​「はい、レンタルした現象器を何度か破損や紛失をしてしまったので。しかし、そうしなければ死んでいました」


 ​危うい。

 危うい子だと思った。

 誰かがついていないといつの間にか誰にも知られずに死んでしまう。

 そんな子だと思った。


 ​「....ねぇ、一緒にパーティを組まない?」


 ​「何故ですか?」


 ​「私もお金は必要だし....それに、治癒術を使えるから今までよりも荷物は少なくできるよ?」


 ​「かしこまりました。よろしくお願いします。私の名前はチエです。あなたは?」


 ​「アキナ。よろしくね」


 ​差し出された手を握る。

 制服から伸びる白くて細い腕。

 小さくて柔らかくて、温かい手。

 ​そして、これから何度も治すことになる手を握った。

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