曼珠沙華の舗道にて
三角海域
曼珠沙華の舗道にて
アスファルトが濡れている。
夏の終わりの雨が、灰色のアスファルトに鈍い光を滲ませ、僕の視界を歪ませていた。
右には水田が広がり、稲穂はまだ青々としていた 。左の土手では雑草が生い茂っている。
その境界線に、彼岸花が咲き連なっていた。濃く、それでいて氷のように冷たい赤色をしている。
「彼岸花って、
三年前の九月。栗栖彩は僕の隣を歩きながらそう言った。
自分の未来を予見しているかのような諦念と、美しい絶望が彼女の黒い瞳には宿っていた。
彼女はいつも窓の外を見つめていた。僕が彼女の名を呼ぶと、彼女が微笑む。その笑顔はとても美しく、それと同時になぜか強烈な拒絶を感じもした。
栗栖彩。「彩」という字は色彩の豊かさを表すはずなのに、彼女は透明なガラスのように世界の色を通すだけで、自らは決して染まろうとしなかった。
彼女が消えたのは、彼岸花が散る直前だった。
いや、「消えた」という表現は正確ではない。彼女は自らの意志で、この世界という舞台から退場したのだ。
「私たちは、同じ世界では咲けないの」
それが彼女の最後の言葉だった。画面に浮かび上がったその一文は、今も僕のスマートフォンの中に墓碑銘のように刻まれている。
彼女は、孤独な花として散ることを選んだのだ。
残された僕は、毎年この季節になると存在しない彼女という「花」を探してしまっている。それは完成されることのない悲劇であり、同時に、完成されているがゆえに美しい悲劇でもあった。
橋の下をくぐる。鉄骨の影が一瞬世界を暗闇に変え、通過するトラックの轟音が僕の観念的な思考を現実に引き戻す。
橋脚の手前で、僕は立ち止まった。
彼岸花が揺れている。いや、揺れているのは花ではなく、僕の視界なのかもしれない。
彼女はもうどこにもいない。だが、この花を見つめることによって、彼女は僕の内部で永遠に咲き続けるのだ。
僕は舗道に膝をついた。目の前の真紅の花弁に、指先をそっと伸ばす。触れた瞬間、花弁の柔らかさと、その下に隠された毒の存在を同時に感じた。彼岸花の球根には毒がある。美しいものほど危険で、危険なものほど美しい。
「彩。今年も、君に会いに来た」
僕の呟きは誰にも届かず、風に溶けて消えていくだけだ。
目の前の花が、雨に濡れたまま、鮮やかに燃えている。
曼珠沙華の舗道にて 三角海域 @sankakukaiiki
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