第十一節:アサズーシバの宿

港からすぐ、市場の通りはカラフルな色や匂いが五感を揺さぶる。そのすべてが濃密だった。


 「アーヤ様、見てください!この布!すごく手触りがいいです!」


 「えっ!どれどれ?」


 ミラは露店に並んだ布地を軽く指でなぞり、キラキラと目を輝かせた。

 染め上げられた深い青や緋色ひいろの布が風に揺れ、日差しを受けて美しい光沢を放つ。


 「しかも安ーーい!」


 「ホントね。いい生地だわ」


 女子のたちの会話にグレイは聞こえないふりをした。


 「旅人さん、特別に安くしておくよ」


 店主の老婆が笑みを見せ、ミラは思わず財布の紐を緩めた。


 あの船上の戦いが嘘のように思える。


 陽に焼けた商人たちが声を張り上げ、色鮮やかな食料が輝きを放つ。

 いろんな料理のいい香りが、まだ空腹ではないにもかかわらず、食欲をかきたてる。


 そのすぐ隣の店に、グレイが真剣な眼差しを向けた。

 頑丈そうな盾や切れ味の良さそうな剣がズラッと並ぶ武具屋だった。


 「この剣、刃渡りは短いが、鍛えは悪くないな」


 「さすが、お目が高いですね。この剣は……」


 店主と何やら金属の成分や鍛冶法について議論を始め、周囲の買い物客が興味深げに耳を傾けていた。


 足元の石畳には、多く鳥たちが、そこにあるものを求めて忙しそうに何かを探している。


 「これは……霧草?」


 乾いた薬草やガラス瓶の並ぶ屋台に釘付けになっているエリス。


 「よくご存じですね、それはこの先の畑で採れる霧草」


 「本物を見るのは初めてだニャ」


 「はい。なかなか出回るものではないので」


 「ひとつもらっとくニャ」


 「取り扱いには十分気をつけてください。なにしろ、この薬草は人の命も落としかねない……」


 「わかったニャ」


 エリスは薬草屋の男と熱心にやりとりをし、小瓶に入った薬草を買った。瓶を光に透かしては小刻みに頷いている。


 「コレと、コレと、コレッ。とりあえずこれだけください」


 アーヤは食料品を扱う露店で塩漬けの魚やパン、干した果物を選びながら、ふと背筋に冷たい感覚を覚えた。 


 (…‥見られてる?)


 「やっばり……誰かいるわ……」


 小さく呟いて振り返った。


 視線の出所を探すため、群衆の向こうに目をやると、オリーブ色のコートにフードを深くかぶった人物の姿が一瞬見えた。


 その目が確かに自分を捉えていたように思えたが、次の瞬間には人波に紛れて消えてしまった。


 「アーヤ様ぁ、こっち手伝ってください!」


 ミラの声で我に返る。


 「はい、お待たせ。」


 「1,200レピンだよ」


 「はいコレ、ちょうどね」


 「まいどあり!」


 アーヤは店のおばさんから袋を受け取ると、ミラの方へ向かった。

  

 ミラとアーヤは一通り買い物を終え、グレイたちと合流しようと歩いていた。


 すると、通りの端から小さな子どもが走ってきた。


 擦り切れた服に素足。人混みを器用にすり抜け、アーヤたちの間に割り込む。

 そして、ミラの腰袋に手を伸ばしかけた。


 「こらっ!」


 怒鳴り声と共に、その子の手首を掴んだのは、先ほどのフードの人物だった。


 子どもは目を見開き、もがくが、その人物は一言も発さず、軽く突き放すようにして逃がした。


 その動作には奇妙な優しさがあった。


 アーヤが礼を言おうと顔を向けたときには、もうその姿は群衆の奥へと消えていた。


 …なぜあの人は私たちを見ていたのだろう。


 「あーびっくりした!」

 

 「大丈夫、ミラ?」


 「はい。大丈夫です。なんだったのかな……」


 アーヤは気持ちがはっきりしないまま、グレイとエリスに合流した。


 「どうかしたか、アーヤ?」


 エリスが小瓶を手に首を傾げる。


 「ううん……なんでもない。ただ……少し、気になることがあって」


 全員の買い物が終わった頃、各々の袋は食料や薬草、布地、武具の部品などでいっぱいになっていた。


 港の賑わいは相変わらずだが、アーヤの胸には、あの視線の感触だけが重く残っていた。


買い物を終えた四人は、それぞれの荷物を肩に掛け、賑やかな市場に別れを告げて、ゆっくりと歩き出した。


 「ちょっと買いすぎたかニャ」


 「でも、あれだけ見せられると手が出ちゃいますよ」


 「まだ先もあるしね。買えるとこで買っとかないと……」

 

 空は厚い鉛色の雲に覆われ、潮風が運ぶ塩の匂いとともに、遠くから雷鳴が時折響く。


 「……にぎやかな港だったな」


 グレイが声を潜めて言った。


 「もっとここにいたかったけど……仕方ないかな……」


 ミラは名残惜しそうに通りの屋台を振り返る。


 エリスは鋭い目で周囲を警戒しつつ、買った薬草をそっと鞄にしまった。


 「さあ、次の目的地へ。聖地に向かう道は長いし気を抜けない。またいつあのような襲撃に合うかわからないからな」


 「そうね、気をつけましょ。」


 グレイは市場でのひとときを、完全にかき消す勢いで、気合をいれた。


 アーヤは足元の石畳を見つめながら、胸の中のざわつきを抑えた。紅い月の男、リューネ、イアン、それぞれの言葉がまだ耳に残っている。


 (みんな……運命……って……)


 そして港で見かけたフードの人物。

 

 「あのフードの人……気になるわ」  


 アーヤは決意を固めるとともに、深まる謎を整理しつつ歩き続けた。


 「ここママベントには、やはり何か特別なものを感じるわ。私たちの知らない何か……ただの思い過ごしじゃない気がする」


 グレイは黙って頷き、少し離れた路地をちらりと見やった。


 「何かが動いているのは確かだ。だが、私たちの進む道はこれからだ。」


 四人は港の外れにある街道へと足を向ける。やがて古びた街の喧騒が遠ざかり、北から吹き付ける冷たい風が強まる。


 「雲行きが怪しくなってきたわね」


 「とりあえず宿につくまで持ってくれればいいが……」

 

 「急ぎましょ。次の宿までまだ少しあるわ」

 

 「さあ、行こう。まだ見ぬ未来へ」


 エリスが意気揚々と前を歩き出すと、ミラもその後ろを軽やかに追いかける。


 (待っててね……フィリア、ユリオ)


 道中、アーヤは家族のことを思い浮かべる。

 レオンに託してきた子供たち二人。

 遠く離れていても守りたい者たちの存在が、彼女に静かな力を与えていた。


 グレイは周囲の警戒を怠らず、意識は常に剣の柄に置き、アーヤの隣で静かに歩を進めた。


 蒸気船の煙と港の喧騒が遠ざかる中、彼らの旅は新たな一歩を刻み始めていた。


 その先に待つのは、過酷な試練と、希望の光が交錯する聖地。


 風が彼らの行く手を押しもどし、曇天の広がる方へと突き進んでいく。


アーヤたちは夕暮れに染まる街道を歩き続けていた。


 「みてください、あの空。燃えてますね」


 「キレイね。ずっとこんな景色が見れたらいいのに……」


 ミラとアーヤは茜色に染まる西の空を見て、息を切らしながら幸せを共有した。


 風は草の香りとともに、ひんやりとした冷気を帯びていた。


 「おい、急ぐぞ。日が暮れる前に街に入るんだ」


 「そんなこと言ったって、ずいぶんと歩きっぱなしニャ」


 「真っ暗になってその辺で野宿ってことになってもいいのか?……あっ、獣族は別にそれでもいいのか……」


 「それは酷いニャ……」


 「はっはっはっ、冗談だ。早くついてこいっ!」


 グレイとエリスは、船上の見えない敵と戦ってから、お互いの理解が深まっていた。

 

 石畳の道を踏みしめる足音だけが静かに響く。港の活気から離れたこの道は、やがて住宅や小さな商店が立ち並ぶ、落ち着いた街並みへと続いている。 


 道は曲がりくねりながら小さな広場へと出た。


 そこでアーヤたちは、ぽつりぽつりと灯る街灯と、夕暮れの空を見上げる。


 空はオレンジ色から徐々に紺碧に変わり、星がひとつ、またひとつと瞬き始めていた。


 北から迫る黒い雲は、何かを待ち構えているかのように広がっているが、こちらを直撃するにはまだ時間がかかりそうだ。


 「よし、街に入ったぞ。早速で悪いが宿を探すぞ」 

 

 「みて、あれ!あそこに看板があるわ」 


 アーヤが指さした先には、木製の、いかにも外れそうに取り付けられた「旅人歓迎」と書いた宿屋の看板があった。

 かすれた文字と擦り切れた絵柄が時の流れを物語っている。


 「大丈夫かなぁ……」


 「かなり古そうだニャ」


 「もう時間もない。とりあえずあたってみよう」


 宿の前には小さな石畳の広場があり、そこには暖かな灯りがともっていた。

 窓から漏れる橙色の光が、冷えた空気の中でひときわ優しく感じられた。


 「アーヤ、悪いがミラといっしょに見てきてくれないか?」


 「俺とエリスは、宿屋の外で念の為周囲を見張ることにする」


 「わかりました。ミラ、行きましょ」


 夕陽が建物の壁に長い影を落とし、窓の向こうからは家族の笑い声や夕食の準備を知らせる音が漏れ聞こえた。


 「エリス、気を抜くな。まだ油断はできない」


 「言われなくてもわかってるニャ。でも、早くおいしいもの食べたいニャ……」


 グレイの鋭い視線は、周囲の動きを細かく捉え、その腕はいつでも剣の柄に触れられるようにしている。


 遠くで犬の遠吠えが聞こえる。


 そんな温かな空気の一方で、路地の暗がりには見知らぬ影がちらりと見え隠れし、遠くからは静かな視線が彼らを追っているようだった。

 

 アーヤが宿屋の入り口の扉を押し開けると、古い木の香りと暖炉の火の温もりが迎えた。


 (ーーカランカランーー)


 「あのう、すみません」


 「はい、いらっしゃい。アサズーシバは初めてかね?」


 店主の老婆がにこやかに笑い、アーヤをやさしく見つめた。


 「ここは錆びれた街だけど、居心地はいいと思うよ。何名様?」


 「四人なんですが、部屋を貸していただけますか?」


 「全員いっしょでいいのかい?」


 「あっ!そ、それは……」


 アーヤが少し躊躇したところでミラが間髪入れずに答えた。


 「部屋は二つでお願いします」


 「はいはい、わかったよ。ちょうど二部屋空いてるよ」


 「よかった。おばあさんありがとう」


 アーヤはミラのハッキリとした性格に脱帽した。


 「それじゃあ、副長たちを呼んでこなくちゃ」


 アーヤは外にいるグレイとエリスを呼び込み、四人はこの宿屋で一夜を過ごすことになった。


 宿屋のロビーでは、旅人や地元の人々の穏やかな話し声が心地よく響く。


 「この前さぁ、うちの女房ったら勝手におれっちの手ぬぐい捨てやがって……」


 「昨日のアレ、見た?なかなかよかったんじゃない?」


 「だから、ダメだって言ってるだろ!何度言わせるんだ!」


 多くの人が、どこからやってきたかわからない四人をチラチラ気にしながら、それぞれの会話を楽しんでいるようだった。


 アーヤは深く息を吸い込み、心の中で小さくつぶやいた。


 (ここでしばらく休める……)


 「長旅ご苦労さま。ここでゆっくり休んでいきなさい」


 店主はアーヤとグレイに部屋の鍵を渡すと、部屋までの案内を始めた。


 木が軋む音のなる廊下を進み、螺旋の階段を登ったあたりにある部屋にたどり着く。


 「こことここだよ」


 店主は部屋の入り口で止まった。


 部屋のドアは、どこか懐かしい木の香りがする。


 グレイとアーヤはほぼ同時に鍵穴に鍵を刺してドアを開けた。

 

 「それじゃ、また後ほど」


 「あぁ、荷物を置いたら四人で飯でも食おう」


 そういって四人はそれぞれの部屋に入った。


 「思ってたより広い部屋ね。ベッドも二つあるし。ゆっくり眠れそうだわ」


 「アーヤ様と二人なんて、なんか不思議です」


 「そうね。神殿にいるときは、こんなこと想像もしなかったわね」


 アーヤは窓の外の暗闇を見つめながら、まだ終わらぬ旅の不安と期待が入り混じった気持ちを整理していた。


 (…明日はきっと、新しい発見がある…)


 その言葉が胸の奥で静かに響くのだった。 


部屋に荷物を置いた四人は、再び広間に集合した。


 木の香りと暖炉の火のぬくもりが、長旅の疲れを少しずつ溶かしていく。


 「そろったな」


 「やっとおいしいものにたどり着けるぅ」


 「ミラはいつも食い物の話しをしてるニャ」


 「食堂……食堂……っと……あった、こっちね」


 アーヤに促され、四人は匂いに誘われるように広間の奥にある食堂に向かった。


 「はぁ……いい匂いニャ」


 「魚かな?エリスの好物ね」 


 ミラは鼻をクンクンしながら、嬉しそうに笑った。


 「できればフィッシュバーガーいただきたいニャ」

 

 「はっ、はっ、はっ……それはムリっぽいな」


 食卓には地元の焼き魚や手作りパン、温かなスープが並んでいる。


 残念ながらフィッシュバーガーは並んでいない。


 アーヤは深く息をついて口を開いた。


 「いただきます」


 それぞれの料理が、口に運ばれるたび、少しずつ緊張がほぐれていく。


 「そういえば……」


 アーヤが切った魚の肉をフォークで口に運びながら、思い出したように話し出す。


 「……ねえ、さっきここに来る途中、変な人を見かけなかった?」


 アーヤがぽつりと口を開くと、グレイとエリスが同時に顔を上げて言った。


 「変な人?」


 「そう、フードを深くかぶった……港でも見かけの」


 「そういえば、オレもフードをかぶったヤツが子供を助けてたのを見かけたな」


 ミラも食べかけのパンを皿に置き、眉をひそめて話しだした。


 「小さい子を?……」


 「あぁ。追いかけられてる子供を匿ってたような感じかな」


 アーヤとミラがお互いを見る。


 「そいつがどうかしたのか?」


 「えぇ、ちょっと気になってて……港でミラの荷物が子供に持っていかれそうになって……それがフードの人が捕まえて逃したの」


 その時、隣の席にいた老夫婦が、何気なく話している声が耳に入った。


 「最近、港や街道で変わった人を見かけるらしいね。子供を助けることもあるんだとか」


 「善い人なのか悪い人なのか……誰も分からんらしいよ」


 アーヤたちは顔を見合わせ、無言でうなずいた。


 「なるほど……つまり、あの人物は善意の行動をすることもあるけど、正体はまだ謎ってことね」


 アーヤの声は低く、心の中で情報を整理するように響いた。


 「オレが見かけたのが、その人物かどうかはわからんが……」


 グレイはナイフとフォークを置き、真剣な目でアーヤを見つめた。


 「もしかしたら、また現れるかもしれないニャ。注意が必要かもニャ」


 「そうだな。念の為用心しとこう」


 食事の間、話題は自然と地元の噂や旅の情報に移る。


 「そういえば、この街には昔からキツネがでるって話があるらしい」


 宿屋の常連らしい若い商人たちが耳打ちするように話しだした。


 「ほう……」


 「キツネって、ただの動物だろ?」


 「いや、それが、ただのキツネじゃないんだ」


 「ただのキツネじゃないって、タヌキにでも似てるのか?」


 商人たちはジョッキを片手に高笑いして、その会話を楽しんでいる。


 「いや、どうやら人の姿になってるらしいんだ」

 

 「へぇーー獣族かぁ。なんでキツネってわかるんだよ?」


 一人の商人は、少し間をおいて応えた。


 「……尻尾だよ。尻尾がキツネ」


 「マジか!誰かみたのか!?」


 「いや、オレも聞いた話だからなんともいえないが、ちょっと興味あるよな」

 

 「あぁ、いたら見てみたいもんだ。キツネの獣族は珍しいからな」


 アーヤはそのキツネ話しに興味を惹かれつつ、サラダを口に運んだ。


 (ふーーん、キツネねぇ……エリスっぽいのかな)


 アーヤはその話しを軽く記憶しながら、フォークとナイフを置き、グラスに注がれた水を飲み干した。


 「ごちそうさま。美味しかったわ」


 エリスのフィッシュバーガーへの名残りとともに、四人は食堂を後にした。


 食事を終え、四人は広間の暖炉の前でくつろいだ。


 「明日はここから北へ進む」


 「少し険しくなるわね」


 「あぁ、聖地に行くにはここから山あいを抜けなきゃならない」


 「準備を怠ったらたどり着けないわ」


 「あんまり想像したくないニャ」


 「とりあえず今日はゆっくり休んどこっと」


 窓の外では夜の帳が下り、星々が瞬き始めている。


 「まだ旅は続く……でも、ここで少し情報を得られたのは助かった」


 アーヤは小さくつぶやき、心の奥でフードの人物の姿を思い浮かべた。


 (次に会ったら……ちゃんと見極めなきゃ…)


 宿屋での夜は、いっときの休息を四人に与え、次の旅への心構えをするには十分な時間だった。

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