第七節:港町ヨートナシ

 「クンクン……いい匂いがしてきたニャ」


 「おっと!エリスじゃないか」


 「おぉーー!久しぶりだニャ。元気だったかニャ?」


 「お前こそ!相変わらずフラフラしてんなぁ」


 「おやじに言われなくないニャ。それにフラフラって……食いもんさがしてんだよ!」


 「はっはっはっ!やっぱネコだわ!」


 「ネコって言うな!全ての獣族を敵に回すぞ!」

 

 「すまんすまん、お前見てるとつい……な……まぁ、せいぜい美味いもん探しな。ほい!これ、持ってけ!」


 「ったく!人間はこれだからよ!サンキューな!」

 

 「じゃあまたな!」


 腹をすかせた白毛のネコ……いや獣族は、いつもと変わらない感じでヨートナシの町を闊歩している。


 彼の名はエリス。

 赤茶色の斑が印象的な両耳、先っぽだけが赤茶の長い尻尾、そして片目ずつ色の違う目は街の喧騒とは違う世界を映している。


 夕暮れの町は、ほどよい暖かさと橙色の光に包まれていた。

 石畳の上を行き交う人々の足音と馬車の転がりがリズムを刻み、屋台からは香ばしい焼き魚の匂いが漂う。


 「おっ!これだこれ!この匂い!」


 「はいっ!いらっしゃーーーい!美味しい魚焼けてるよーー!ヨートナシ自慢の海鮮料理、いかがですかぁーーー!」


 「ニャ!きたきたきた!」


 エリスはその声に即座に反応した。


 「よう!今日の調子はどうだい?いい魚入ってるかニャ?」


 彼はヒョイっと屋台の魚を覗き込み、鼻をひくひくと動かしながら香りを確かめた。

 

 「なんだ、エリスか。今日は見ての通り大漁よ!」


 「いい匂いだ……ニャ……(一匹いただくとするか)……」


 「おやじ。アレ見てみろよ」


 「ん?どこだ?」


 「アレだよ!ア…レ…!」


 「ん?なんだよ?どれだよ?」


 白毛は店屋のおやじの注意を引きつけながら、目の前の魚をサッと加えて走り出した。


 「あっ!コラーーーーー!エリス!待てぇーーー!」

 

 魚を盗られた店屋のおやじは、大声で叫びながら右手を振り上げた。


 「おやじ!小せぇこと言うなよ!一匹もらってくぜ!こんど払うからな!」


 そう言い放つと、エリスは俊敏な身のこなしであっという間に見えなくなってしまった。


 「くっそーエリスのやつ!」


 エリスは細い路地の裏に入り…盗ってきた魚を貪っていた。


 「うまくいったニャ。(ムシャ…ムシャ…)……この魚は、ちょっと骨っぽいニャ…」


 腹を満たした白毛は、その満腹な腹を擦りながら、背後……街の入り口付近から感じるほんのわずかな空気を察知した。


 「ん?……これは……いよいよきたかニャ……」


 彼の長い尾がほんのわずかに揺れ、深呼吸をひとつ。路地の影に身を潜め、白毛はやがてやってくる者たちを静かに待ち構えるのだった。


*****


 西の空が茜色から群青色へと移り変わるころ、アーヤたちはヨートナシの街門をくぐった。


 「すっかり遅くなったわ」


 「あぁ、ようやく着いたな」


 「お腹空いたぁ〜」


 「ここは港街だからな。海鮮がうまいぞ」


 「お魚かぁ〜なんでもいいから早く食べた〜い」


 「よかったわ。ミラが元気になって。一時はどうなるかと思ったわ」


 「まだ本調子じゃないんだからな。ムリして食べすぎるなよ」


 グレイがちらっと彼女の横顔を盗み見て、歩幅を緩める。


 「さぁ、今日の宿を探しましょ……」


 アーヤの声はかすかに掠れ、背負った荷物とルーナ・グローブでの出来事がそのまま重さとなって言葉に滲んでいた。

 

 「今日はもう宿を決めて休むぞ。情報収集は明日でも遅くない」


 ヨートナシの街は、旅人を拒む空気はなく、代わりににぎやかな町の雑踏と温かな灯りが彼らを迎える。


 思いのほか賑やな街は、石畳の上を行き交う人々、魚介や香草の香りが入り混じる屋台、道端で酒を片手に歌を唄う若者たちで賑わっていた。


 アーヤは鼻をくすぐる匂いに思わず足を止めた。


 「……おいしそう。そういえば、ルーナ・グローブを出てから、ろくなものを食べてないわ」


 「とっとと宿を決めて、うまいものでも食べよう」


 冷静なグレイでも、さすがに空腹には勝てないようだ。

 

 アーヤたちが街の中心地で見つけた一軒の宿の入り口をくぐろうとしたとき、視界の端で何かがスッと横切った。


 細長い尻尾の先……赤茶色に染まった毛が、夕暮れの光をかすかに反射する。


 「ん?……今何か…」


 アーヤが振り向いた時には、もう姿はなかった。


 (……気のせい、かな?)


 「ほら、行くぞ」


 「あっ、はい!」


 グレイに促され、アーヤはミラに付き添い、宿の入り口をくぐった。


 すっかり暗くなったヨートナシは、港町らしいオレンジの明かりと潮の香りが心地よい。


 そしてその夜、アーヤは部屋の窓の向こうに、アルディナの自宅に置いてきた家族のことを思っていた。


 (みんな無事かな……フィリア…ユリオ…レオン…ちゃんとやれてるかしら……)


 愛する家族の安堵を願いながら、ゆっくりと深い眠りに着くのだった。


 翌朝、アーヤとグレイは、この次の目的地ママベントに向かう手段を探りに街へ出た。


 「副長、おはようございます」


 「あぁ、おはよう。ミラはどうしてる?」


 「部屋で休んでます」


 「そうだな、それがいい。少し休養させて回復を待とう。……よし、じゃあ行くぞ」


 「はい」


 雲ひとつない快晴、海鳥たちが陽気な歌を唄っている港は、朝早くから活気に満ちていた。

 

 キラキラとした水面に浮かぶ蒸気船が、時を知らせる汽笛を鳴らす。


 「朝捕れだよーー!おっ!そこのお兄さん!新鮮な魚はどうかね?ホタテやアワビもあるよ!」


 「このタコ、まだ生きてるわ。動いてる」

 

 「エビだってカニだってあるぞ。なんたってここは港街だからな」


 潮風と魚の匂いが混ざる市場には、網にかかったばかりの魚介や香草、旅人向けの珍しい果物で賑わっている。


 市場を抜けた先にたくさんの船が並ぶ埠頭があった。


 ここヨートナシは、アルディナ王国のあちこちに航路を持つ、旅の拠点でもあった。


 「ええっと……ママベント……ママベント……っと」


 「航路がありすぎて、よくわからんな」


 「副長!これじゃないですかね?」


 「どれ?……おっ、これだ!」


 「ママベント行きって書いてますよ」


 アーヤとグレイは、多数の航路が記されている案内板から、ママベント行きの時刻表を見つけた。


 「んーーーママベント行きの船……やっぱり一日に一本だけか」


 「一日一本しかないなんて……」


 「まぁ、仕方ないか。いまではただ遺跡がある古い都市。とりあえずその一本にのらないとな」


 「出航日も天候次第だって。これじゃ計画通りには進まないわね」


 グレイは船の予定が書かれた掲示板を睨み、腕組みをして眉を寄せた。


 アーヤもアルディナの地図を丁寧に折り畳み、軽くため息をつく。


 「何か他にママベントに行く方法はないのかしら」


 「人を運ぶ船以外にも、何か他の船があるかもしれん。街に出て情報を探ってみるか」


 「はい。何か掴めるかもしれませんね」

 

 まだ体力が戻らないミラを、一人宿に残してきた二人は、情報を集めるために街を回っていた。


 「こんな果物まであるのね?」


 「港町はあちこちから荷物が集まってくるからな。珍しいものも多いさ」

 

 カラフルな果物が並ぶ店の前を通りかかったとき、すれ違いざま、視界の端になにやら白いものがひらりと揺れた。


 「……!?」


 赤茶色の斑のある耳、そして長い尾の先が朝日を反射する。


 「……昨日の……気のせいなんかじゃないわ」


 アーヤの何者かに付きまとわれているとの疑いが確信に変わった。


 「何かあったのか?」


 グレイが低い声で尋ねた。


 「昨日宿に着いた頃から、何か白いものがチラつくんです。何か私たちを監視してるみたいだわ」


 二人が恐る恐る路地を覗くと、そこにいたのは大胆にフィッシュバーガーをかじる白毛の獣族だった。


 「うミャ!うミャ!このフィッシュバーガー最高ニャ!」


 色の違う左右の目が、アーヤたちを横目で見ている


 「なんだ、お前は?……獣族か?」


 「あなたね!昨日から私たちのことつけまわしてたのは!」


 「まぁまぁ、そう急かすなよ。ハンバーガーが不味くなっちまうニャ」


 帰ってきた言葉に、アーヤは目を瞬かせる。


 「いったいなんなの!」


 アーヤは少しイライラしながら言った。


 「あ〜〜うまかったぁ〜〜。…それで、えぇっと……お前ら……船に乗りたいのか?」


 エリスは長い尻尾をぷるぷる震わせて言った。


 「ママベントに行きたいんだろう。手を貸してやってもいいニャ」

 

 「あなた、なぜそれを……」


 アーヤが言いかけたところで、エリスは金色の右目を細めて笑った。

 蒼い左目が瞬間的にキラッと光り、何かを察したかのように頷く。


 「なぜ私たちがママベントに行きたいのかわかったのかしら?」


 「オレはな、未来が見えるんだニャ。お前たちがくるのもわかってた」


 エリスは、獣族の中でも珍しい「未来視」の目を持っていた。

 左の蒼い目は、かすかな未来の気配を捉え、右の金色の目は、今この瞬間の微細な動きを捉えていた。


 「珍しいネコだ。オレはグレイ。アルディナ神殿で騎士団の副長している。お前、名前は?」


 「まずな、ネコっていうな!オレはエリス。ここから西に行ったところにあるリアケーアに住む獣族だ」


 「そうか、あの山の中腹にある獣族の街といわれている……」


 港の喧騒の向こうで、カモメの鳴き声がひときわ高く響いた。


 「それで、エリス。どうやってオレたちをママベントに運ぶんだ?」


 「まぁ、任せなよ。その代わり、ひとつ頼みたいことがある」


 「頼みたいこと?」


 アーヤとグレイは目を合わせる。

 そして、エリスのその提案がただの偶然の出会いではないことを直感するのだった。


*****


 その日の夕方、再びおちあった二人と一匹?は、港の片隅にある古びた倉庫の影に身を寄せていた。


 「船の手配はできてるニャ」


 エリスは尻尾をゆらりと揺らした。


 「それで?オレたちは何をすればいいんだ?」


 グレイは警戒を隠さない体勢で聞いた。


 「別に危ない仕事じゃない……とは言わないが……ただ、ある“荷物”を運んでほしいだけニャ」


 その金色の右目は冗談ではない光を宿している。


 「もしかして……その荷物って!」


 後ろからの声に反応したアーヤとグレイは、咄嗟に振り返り、そこに立つ人物を見ておどろいた。


 それは……宿で休んでいるはずのミラだった。


 「……ミラ!?…なんでここに?」


 「ごめん……部屋にじっとしていられなくて」


 エリスの青氷色の左目がきらりと光り、鋭い視線がアーヤの背後に向けられる。

 

 「わたしたちをつけてきたの?」


 「ごめんなさい。でも……わたし……何か役に立ちたくて……」

 

 ミラの頬はまだ少し青白く、ムリを承知で足を運んだのが見てわかる。

 そしてその手には小さな布袋が握られていた。


 「ふん!」


 エリスは、片手で顔を洗いながらミラを見てニヤリと笑った。


 「おや?それは……オレが頼みたい荷物にそっくりだニャ」


 穏やかな波の音、吹き抜ける風のささやき、あたりを包みこむ港の喧騒、港町が織り成すハーモニーが、三人と一匹の時間を止める。


 「まさか、あなた、ミラがここに来ることを……」


 「ニャ、ニャ!」


 この出会いは偶然ではない……昨日からの白いものは、運命に導かれたようにすべてがこの瞬間に繋がっていたのだった。


――未来視


 エリスの青氷色の左目が光を帯び、これから起こるであろう運命の旅を映し出していた。


 エリスとの約束から二日後、港町ヨートナシの朝は、これまでとは違う雰囲気を帯びている。


 「いよいよ出発だな」

 

 「ホントに信じていいのかしら」


 アーヤは背中に背負った荷物を何度か調整しながら、雨が落ちる海の向こうを見つめている。


 「ここまできたんだから、彼を信じましょうよ」


 ミラの体調はまだ完全ではないが、思いのほか回復が進んだ。


 「そうだな。吉と出るか、凶と出るか。これも運命かもな」


 「じゃ、行きましょうか」

 

 「出発!」


 三人は、エリスとの合流地点に向け、宿を後にする。


 空は重く鈍い鉛色に覆われ、時折静かな雨粒が石畳を濡らしていた。雨に濡れた屋根からは雫がぽたりぽたりと落ち、湿った空気が肌を冷たく包んだ。


 「待たせたな」

  

 「さすが、神殿の方々は時間どうりニャ」

 

 赤茶色の斑耳をピクピク揺らしながら、少し嫌味気味に言った。


 「……準備はいいか?」


 グレイが低い声で確認した。

 彼の瞳は今日も冷静で、今の彼らの状況を的確に見据えている。


 「雨音が、逆に隠れ蓑になるかもしれないニャ。見張りの目をかいくぐらなきゃならないからニャ」


 エリスの声にはわずかな緊張と期待が入り混じっていた。


 「船はどこだ?」


 「あそこニャ」


 「貨物船か」


 「あぁ、ママベントまで荷物を運んでる。ちょっとした知り合いがいてな」


 エリスがどうやって船を手配したのかは定かではないが、こうやって三人揃って乗船できるのはありがたい。


 「荷物は持ってるニャ?」


 「これよ」


 アーヤは自分の荷物の中にある布袋を見せた。


 「まだ中身は見てないわ」


 「あぁ、見ないほうが身のためニャ」


 アーヤは布袋の中が気になりながらも、大きく深呼吸をして、自分に気合いを入れた。


 「よし、行こう」


 「行きましょう」


 三人は静かに動き出し、雨で滑りやすくなった石畳を慎重に進んだ。エリスも三人と少し距離をとりながら続いた。


 「この先にある南桟橋ニャ。足元が滑りやすいから気をつけるニャ」


 狭い路地を抜け、船が停泊する港の南桟橋へと向かう。


 足音は雨にかき消され、バサバサと落ちる水の音だけが彼女らを覆う。


 「ここから先は、警戒を強めよう」


 グレイが声を潜めて言った。


 「何かあったらすぐ知らせろ」


 「何も起こりませんように……もうあんな目に会うのはゴメンだわ……」

 

 「大丈夫よ、ミラ。ぜったいに守るから」


 アーヤは、ヨートナシに着いてから、大切なものを守るという決意が強くなっていた。


 「先を見てくるニャ」


 エリスは軽く尾を振り、軽快に走っていく。


 「俊敏だな。獣族の力は測りしれん」


 「よし、大丈夫ニャ」


 エリスの青氷色の左目は、これから起こることをまだ予感していなかった。


 「ここから昇るニャ」


 「よし」


 「すべるから気をつけて」


 「もう後には戻れませんね」


 それぞれの思いを胸に乗船する。


 雨の日でもカンカンと乾いた音が響くタラップを登ると、間もなく蒸気船の汽笛が鳴った。

 ママベントに向かって出航する合図だった。


 冷たい雨の中で、エリスを含めた四人の新たな絆は、静かに深まり始めていた。

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