第六節:太陽の宿命
闇が完全に消えた森は、まだ息をひそめたままだった。
アーヤは、ミラを抱き寄せたまましばらく動けずにいた。
「アーヤ、ミラの具合はどうだ……」
グレイの起こした火の灯りと温もりがあたりを包む。
アーヤは震える指先でミラの頬に触れた。指先の感触は、まだ冷たい。
ミラの呼吸はかすかに安定してきたが、まだ顔色は青白く、唇の色も戻らない。
「……温かさが、足りない……何かもっと温めるものが必要だわ」
アーヤは辺りを見回したが、夜の森の真ん中で、人肌を温めるようなものは見当たらない。
「ミラ、ちょっと待ってて。」
アーヤは自分が着ていた服を脱いで、やさしくミラを包んだ。
「ミラ……頑張って……」
アーヤの白い肌が月の灯りで輝く。
ミラのことを思うと、恥ずかしさなど気にしてはいられない。
アーヤの細身の体は、乳房を覆うもの以外があらわになっていた。
「アーヤ、その肩の紋章は……」
グレイは、目のやり場に困る中、アーヤの右肩に紋章が刻まれていることに気づいた。
「あっ、これは生まれた時からある痣です。痣にしては模様みたいになっているので、実は気に入ってます」
グレイはアーヤが痣という模様に見覚えがあった。
「アーヤ、もしかしたらその痣の形……昔からアルディナに伝わる太陽の紋章に似てるな……」
「太陽の紋章……?」
アーヤは驚いたような顔でグレイを見つめ、返す言葉がみつからない。
「あぁ、『太陽の神子は魔を封じる力が宿る』という伝説がある。もしかしておまえがその……」
アーヤはグレイの言葉を受けて、自分が伝説に関わるようなものだとは、まったく信じることができなかったが、何かが繋がったような感覚に襲われた。
「そういえば、昔、わたしのおじいちゃんが言ってた」
「何と言ってたんだ?」
「『太陽に仕えるものがアルディナを守る』んだって」
「!?」
グレイは驚いたような顔を見せた。
「何か関係あるのかしら」
「さっきの精霊のペンダント、そしてその紋章、もしかしたらアーヤ、お前は"封印の鍵"に関係があるのかもしれん……」
「そんな……」
アーヤは少し下を向いて黙り込んだ。
「……まぁ、この先を進めばわかることさ」
ミラはアーヤの施しにより、体の状態がよくなってきていた。
「よかった。顔色がよくなってきてる……」
「アーヤの気持ちが伝わったな……」
「ミラの強い意志が勝ったんです」
アーヤの胸の奥で、まだ熱が残るペンダントが微かな光とともに小さく脈打っている。
「リューネ……もう少し、もう少しだけ力をちょうだい」
ペンダントにぶらさがった緑色をした石を握りしめると、その温もりがゆるやかに広がった。
――すると、耳元でかすかな囁き声が響いた。
「……アーヤ……まだ、終わってないよ……」
その声は、確かにリューネのものだった。か細い響きの中に、微かな不安が混じっている。
「リューネ……? あなた、まだそこにいるの?……」
だが声はそれ以上続かず、ペンダントの鼓動もゆっくりと静まっていった。
風もなく、葉の擦れる音すらしない。雲一つない満月の夜は、その甘いようで神秘的な匂いだけが、濃く漂っている。
覚めやらぬ影の恐怖から一時、グレイは剣を地面に突き立て、荒さが治まらない息を吐きながら周囲を見渡す。
「ふぅーっ……まだ……残滓を感じるな」
その言葉通り、地面のあちこちに、墨を垂らしたような黒い染みが残っている。光の届かない場所では、染みがかすかに揺らぎ、消えきらない影が蠢いていた。
「それにしても、不気味な相手だったな。いったい何の化け物だったのか……」
夜明け前の森は、月と太陽がわずかに絡み合う、わずかな時間を祝福していた。
「夜が明ける……か……」
東の空が茜色になるころ、白く光る月が西に沈もうとしていた。
「ここから先、何が起こるかわからないな。用心しないと……」
「副長!きてください!」
アーヤが歯切れのよい声でグレイを呼んだ。
「どうした、アーヤ!」
「ほら、ミラが!」
「うっ、うぅ……」
ミラはまだ完全に目を開けてはいなかったが、呼吸は落ち着き、確実に肌色も戻ってきている。
「よかった……もう少しだな」
アーヤは彼女の手をそっと握り、ミラの心が安らげるようにやさしく微笑みかけた。
グレイは辺りを警戒しつつ、アーヤに視線を向けた。
「でも、気を抜けない。あの影は単なる幻影じゃない。何か強大な意志を感じる」
アーヤは無意識に胸元のペンダントを握りしめていた。
「こんなことが、これから先も起こるんでしょうか?」
「それはわからない……しかし、起こり得ることだ」
「誰が、何のために……」
「これも、封印の綻びに関係してるのかもしれん」
アーヤのペンダントにぶら下がる緑色の石が微かに輝き、指先にじんわりと温もりが広がる。
「リューネは、このペンダントに何を託したんだろう……これが森に眠る鍵?……」
その時、ペンダントからかすかな囁きが聞こえた。
「太陽の子、影を放つものはこの先にいるよ……」
「リューネ?……私に言ってるの?……太陽の子って?」
アーヤはもう驚かない。
「リューネ!行かないで!わかるように説明して!」
アーヤは返答を待ったが、リューネは答えてはくれなかった。
「アーヤ、やはりお前は……」
グレイのその言葉は、アーヤの心を揺さぶった。
下を向いて小さく頷き、この先に何があるのか、確かめるまでの決意を新たにした。
「副長。次はどこに向かえばいいのでしょうか? 私たちにできることを見つけなきゃ」
グレイは剣を握り締め、遠くに霞む山々を見つめる。
「そのペンダント。おそらく森に眠る鍵……そしてあの影……もし封印の綻びに関係するとしたら、古代の聖地に何かがあるのかもしれん」
グレイは東の方角を指さした。
「東に進んだところに港がある。海を越えた先、そこに聖地はある……」
そこは、古代アルディナの中心地だったママべント。いつの日からか聖地と呼ばれるようになった。
ミラがかすかに目を開け、弱々しく声を発した。
「……夢の中で……影が……呼んでいた……」
「ミラ!大丈夫?」
ミラの回復に安心するとともに、その言葉には新たな緊張が走った。
「行こう……聖地ママベントへ」
アーヤは何かに引きつけられるように力強く言った。
それからミラはみるみる回復した。そして太陽が昇る頃には、アーヤの付き添いでゆっくり歩けるようになっていた。
「アーヤ様、すみません、足手まといにになっちゃいました……」
「何言ってるの、よく頑張ったわ」
「あぁ、危なかった。あの影から抜け出せたのは本当に奇跡としか言いようがない」
「わたし、あまり記憶がないんです。足元から何が黒いものが登ってきて……そこから……」
「いいんだ。わかってる。でもとにかくよかった」
「こうして三人でまた話せてるのは、何よりじゃない?」
「アーヤ様、副長。ありがとうございます」
アーヤたちはルーナ・グローブを抜け、遠くに見えるママベントを目指して歩きだした。
グレイとアーヤは、ミラのペースに合わせながらゆっくりと進んだ。
「副長、その聖地ってどんな場所なの?」
アーヤが尋ねると、グレイは黒髪の乱れを気にしながら、少し考えてから答えた。
「ママベントは、かつて古代アルディナの中心地だった場所だ。太陽神を祀る神殿があり、多くの人々が集った。だが、長い時を経て文明は崩れ、今は遺跡だけが残っている」
「そして……」
グレイは声を低くし、慎重に言葉を続けた。
「その神殿には、太陽の神子が影を封じるために強力な封印を施したと伝わっている」
「太陽の神子……」
アーヤはペンダントを握りしめた。
「リューネが託したこのペンダント……その封印に何か関係があるのかな……」
「その封印が永遠じゃないとしたら、神殿で起こっていることや、ルーナ・グローブでのことが繋がってくる。徐々にその力が弱まっているのかもしれん」
「たしかに、ここ数日で色んなことが起っているような……」
「影の力が再び解き放たれれば、世界に大きな災厄をもたらす。俺たちはそれを止めなければならない」
空は徐々に明るくなり、太陽の光が先に見えるママベントの遺跡を柔らかく照らしていた。
「行こう、聖地の秘密を確かめ、災厄をとめるために」
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