第18話 《魔女の庭》③

「うぉわあああああッ!」


 急に人が現れて驚いたアカリは、ベンチからひっくり返った。


「すまない、驚かせてしまったね」


 アカリは差し伸べられた手を取り、立ち上がる。そして、そのひんやりとした触感に驚いた。


 不思議な人だ。麗人と言っても、かなり中性的な印象がある。姿も声も、男女どちらかと問われれば迷ってしまうが、おそらく女性。それにしても、目が離せない美しさがあった。神秘的というか、超然的というか、自分とはかけ離れた存在に感じてしまう。どこからどう見ても人間なのに。


「少し話さないか?」


「え? ……ああ、はい」


 アカリは促されるまま、再びベンチに座った。


「君、レースに参加するんだろう?」


「そうですけど……なんで知ってるんですか?」


 アカリは警戒し、思わず身を引いてしまう。怪しい人だったらどうしよう。それとも、本場の魔女はこういうものなのだろうか。


「私がレース関係者だからだよ」


「そうだったんですね」


 納得はしつつ、まだ警戒は解かない。


「あの……何と呼べば?」


 素性を知るためにもと思ったが、返ってきた答えにアカリは困惑するばかりだった。


「名前なんか忘れたよ。だから、単なる『お姉さん』と呼んでくれ。お兄さん、でもいいよ」


「ちょっとどっちなんだろうって思って、『女の人だよな?』って結論付けたのに……」


 困惑するアカリを、謎の麗人はニコニコと楽しげに見ていた。そして性別について、それ以上話す素振りもない。不思議で怪しい人だ。


「君はアカリ、だね?」


「なんで知ってるんですか……」


 今度こそアカリは思いっきり身を引く。それこそ、今すぐに走って逃げられるほどに。


「さっき、ご婦人にそう呼ばれていただろう」


「そうだった」


 警戒しすぎて恥ずかしい姿を晒してしまった。顔が熱い。


「君は、どうしてレースに参加しようと?」


「初めは思いっきり飛びたかっただけなんですけど、いつの間にか、仲間とか落ちこぼれのみんなのためにも飛べたらなあって」


「ああ、確かに……ステラ・ウィッチは決まってルセト・ユスティ魔法学院の優秀な魔女がなるからね。それも今回が百回目。そんな中で君が勝てば、元気づけられる者も多いだろう」


 お姉さんは納得したように、うんうんと頷く。だが、突然言葉が鋭くなった。


「でも、勝てると思っているのかい? 未だ輝けるルセト・ユスティの魔女たちでなく、魔法界の衰退を象徴するような君が?」


 お姉さんは、アカリの目を覗き込んだ。


「ホウキレースに勝つのは、最も優秀な魔女だ。魔法に秀で、知識もあり、人の上に立つ器も持っているような、ね」


 追い詰めるように。


 アカリは、ほとんど睨むような目つきで見返した。


「それでも、勝ちます」


 しばらく間があり、お姉さんは笑った。


「ははは、ごめんごめん。ちょっと驚かせただけだよ」


 だが、目が笑っていない。


「お姉さん、性格悪いよー……」


 なんで意地悪されているのかと思ったそのとき――


「それで、なんでドラゴンの鱗なんて持ってるの?」


 ゾッとするような冷たい声に、針金を差し込まれたように背筋が固まった。


 それこそ、なんでそんなこと知っているのか、だ。レース関係者だからとか関係ない。


 だがアカリは臆さずに、ポケットからドラゴンの鱗を取り出した。


「用事があって《嵐の山》に行ったとき、見つけたんです。卵の殻の上に、ひとつだけ。それで、寂しそうな感じがしたから、それなら一緒に飛ぼうかなって」


 それを聞いてお姉さんは、初めて目の色を変えた。驚いたように目を見張り、それから気が抜けたように遠くを見た。視線の先には、夜空に輝く星々があった。


「力があると思って、持ち去ったわけじゃないんだね?」


「はい……っていうか、これ本当にドラゴンの鱗だったんですね」


「きっと、あそこに封印されているドラゴンの……子供の鱗だ」


 指さす先には、神殿のような建物があった。


「子供……」


 ドラゴンは、封印されている一体以外滅んでいる。これが子ドラゴンのものだとすると、元の持ち主はもう……。


 胸を締め付けるような苦しさを覚えていると、お姉さんは話題をホウキレースに戻した。


「ステラ・ウィッチの意味は知ってる?」


 お姉さんは指先から小さな光の玉を出し、それを空中でくるくると飛ばす。まるでホウキで飛び回っている魔女のようだ。


「導きの象徴みたいな魔女……でしたっけ?」


「そう。星の光は、魔女にとって導きの象徴。元々は、ドラゴン退治の魔女を導きの星光と重ねてステラ・ウィッチと呼んだ。今ではそれにあやかって、《竜狩り伝説》になぞらえたレースの勝者をステラ・ウィッチと呼ぶ。魔法界、ひいては世界を導くような魔女になってほしいと、ドラゴンの逆鱗を与えてね」


 最後の言葉に、アカリは引っかかった。


「逆鱗を……与えて? 封印のために、代表して逆鱗を剥ぐだけなんじゃ?」


 ドラゴンの逆鱗は、弱点を守るもの。それを剥ぐことによって、封印を続けられる状態にするのかと思っていた。そもそも逆鱗自体を与えるのが目的というのは、知らなかった。でもレース関係者が言うのなら、そうなんだろう。


「君の持っているものは枯れているが、ドラゴンの鱗には力があるのは知っているだろう? 特に逆鱗は絶大な力を持っている」


 ドラゴンは鱗の一枚から鳴き声まで、魔法の力が宿っている。フレア曰く、鱗の一枚でさえ持っていると命を狙われるレベルだと。絶大な力が宿った逆鱗を持っていれば……。


「もしかして……だから、ステラ・ウィッチになった魔女はものすごい活躍を……?」


 同室の子に教えられた、ステラ・ウィッチの活躍。魔獣の大群を討伐したり、隕石を消し飛ばしたり。元々優秀だった魔女に、ドラゴンの逆鱗の力が合わさってのことなのかもしれない。


「ドラゴンの逆鱗に相応しい魔女を、ホウキレースで見つけようとしてるんですね」


「ホウキレースを始めた魔法界は、衰退の兆しがある魔法界をどうにかしようと思っていたね。まあ衰退が著しくなって、魔女の威厳を保とうっていう下心も混じり始めたようだけど」


 エレノアのことを思い出す。彼女は、魔法界を背負って飛んでいると言っていた。魔女の威厳を保つ。だからこそ、全力で飛んで苦しいはずなのに、涼しい顔を作っていたのかもしれない。


「君はレースに勝って得た力を、何に使いたい?」


 そう言われて、すぐには答えられなかった。


「今の時点で飛ぶのは十分楽しいし……誰かのため……って言っても、わたし首を突っ込みすぎて嫌がられちゃうこと多いし……」


「ふふ、そこは節度だね。美点にもなり得るよ」


 飛ぶだけで誰かを救えるならそれに越したことはないが、力を得てまでしたいこと……。そもそも力を得たとしても、魔法が下手なので力を活かせない。かといって、落ちこぼれを代表してエリート魔女に勝てば、元気づけられる魔女は多い。そして、思いっきり飛びたいから、負けるつもりはない。


 アカリはドラゴンの鱗を握りしめ、答えた。


「レースには勝ちたいけど……逆鱗、いらないかも」


 それを聞いて、お姉さんは微笑むだけだった。


「でもなんで、わたしにその話を?」


 そもそも、レースに勝てば力が得られるとは知らなかった。レースのことを知っているフレアもノイも、逆鱗を剥ぐのは封印を続けるためだと言っていた。一部の者しか知らないことを、なぜ自分に教えてくれたのだろうか。


 その答えは、あっさりしたものだった。


「助けてくれたからね」


 それだけ。猫にじゃれつかれていた彼女を助けたから。


「動物に好かれるのは嫌いじゃないが、最期くらい自由に飛びたかったんだ」


「最期……?」


 聞き間違いかと思ったが、お姉さんの声からは、消え入りそうな儚さを感じた。


 お姉さんは立ち上がり、こちらを見つめてきた。


「アカリ、君には期待しているよ。レースに勝つことじゃなくて、ステラ・ウィッチになることをね」


 レースに勝つこと。ステラ・ウィッチになること。同じことでは? そう思っていると、お姉さんはこう続けた。


「だってのは、君のようなパッとしない魔女だったんだから」


「……え?」


 その言葉の意味を聞こうとしたときには、お姉さんの姿はもうなかった。

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