第4話 憎しみの矛先

 王宮庭園の『聖樹』の花が咲いた。

 王国は喜びに沸き、エレオノーラは絶望した。クラウディオとフィオレンティーナの婚約は解消されていない。


 クラウディオは水の伯爵として『聖樹』に水の加護を与える最後の役目を果たして、夜に屋敷に戻り———フィオレンティーナに殺される。


 エレオノーラはじっとしていることができずにベルナルディの屋敷の庭園に来た。

 クラウディオには『二度と来るな』と言われたものの、庭師しか通れない扉の鍵は持っていたし、幼い頃から屋敷をお互いに行き来した仲だ。忍び込むのも隠れるのも簡単だった。


 庭園を管理するための鋏や土や肥料などが置かれた管理小屋の中で息を潜める。

 クラウディオがここに来るまで、まだ少し時間があるはずだ。


 ディアマンテ王宮恋物語でクラウディオの生命を奪ったのは植物の毒と言われていた。

 おそらく、屋敷の庭園にあったオリアンダー。エレオノーラが前世で住んでいた国ではキョウチクトウと呼ばれていた植物だ。細長い葉で、白やピンクの美しい花を咲かせる。


 とても丈夫な植物だから、前世でも公園や個人宅の庭によく植えられていた。だがこの植物は、葉も花も枝も、植えられた土にすら猛毒を有する非常に危険な植物だ。その毒は人や動物を死に至らしめる。クラウディオは何らかの方法で、このオリアンダーの毒を摂取させられてしまった。


 ベルナルディ家の庭園にこのオリアンダーがたくさん植えられているのを知った時、エレオノーラはゾッとした。そして一本も残さず、土ごと捨てさせた。


 オリアンダーが使えなければ、フィオレンティーナは別の策を用意するだろう。


(でも、さっきからするこの匂いは何……?)

 肥料でも土でも無い、鼻をつく異様なにおいが小屋の中に漂っている。


「……あぁら。思ったより早く来たのね」

 ゾッとするほど低い女性の声が耳元で生まれ、エレオノーラはバッと振り返った。

 そこにいたのは、宵闇に紛れるような濃い色のドレスを着た美しい女性。


「ふふっ……聞いたのよ。クラウディオ様のお屋敷に出入りする庭師の女がいるとね」

「もしかして、フィオレンティーナ様……?」

 女性は微笑むだけだ。


「クラウディオ様は、私を見てくれない。本当はこの庭園のオリアンダーを使って自然に……周りに疑われない方法でクラウディオ様に復讐をしようと思っていたの。でも潜り込ませた使用人に聞いてみたら、オリアンダーは全て庭師の女に捨てられたと言うじゃないの」


 誰に聞かせるでもなく、独り言のように呟く女性。

「許せなかった。庭師の分際でクラウディオ様の時間を誰より奪うその女が。婚約者の私ですら忙しさを理由に相手にされないのに」

「え……」


「だから、消そうと思ったのよ」

 フィオレンティーナはマッチを取り出すと迷わず火をつけた。

「待っ……」

 その細い手から床へと火のついたマッチ棒が落ちていくのが、エレオノーラには酷くゆっくりに見えた。


「ふふふふふっ、あーはっはっはっは!!!」

 狂ったように笑い、フィオレンティーナは踊るように小屋の扉から出ていく。

 マッチ棒の火は床に撒かれていた油に引火し、瞬く間に小屋中に燃え広がりエレオノーラを取り囲んだ。


(これはまずい)

「けほっ……どこか、火がないところは……」

 前世の知識で煙を吸わないように体勢を低くするが、それでも火の熱さからは逃げられない。


 煙が充満して前が見えないせいで、方向感覚も分からなくなってくる。

(どうしてこんなことに)

 熱さと息苦しさでクラクラする中で、エレオノーラの頭に最後に別れた時のクラウディオの姿が浮かんだ。


 喧嘩別れだった。二度と来るなという彼の言葉に従っていれば、エレオノーラがこうして火に巻かれることもなかったはずだ。


(どうして。クラウディオ)

 何故彼は女性関係を断つことができなかったのだろう。

 そういえば、クラウディオの女性関係が派手になった理由があったはずだ。

(確か)


———「好きだった幼馴染の女の子に」


 エレオノーラは前世で読んだその一文を今さら思い出して愕然とした。

「……クラウディオ」

 エレオノーラは朦朧として、床に倒れ込んだ。

(貴方が死んだのは私のせい?)

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