第5話 二人の過去とこれから

「エル!!!」

 よく知る声で呼ばれたエレオノーラは、ぼやけた視界の中で声が聞こえてきた方を見た。


 炎の中からキラキラ輝くヴェールのような物をまとった人影が現れる。ヴェールは炎を弾く水精霊の力だ。

「……ラ、ゥディオ……」

 喉まで焼けるように痛い。


「エル、死ぬな!!」

 駆け寄ってきたクラウディオはエレオノーラを片腕で抱きかかえながら、もう片方の腕で炎に手を翳す。

 すぐに水精霊が集まり、襲いかかってくる炎の前に水の壁を作ってくれる。

 途端に熱さが和らいだ。


 しかし炎は既に小屋の梁や天井を舐めるように燃やし始めていた。このままでは小屋が崩れてしまう。

「炎の勢いが強いな。エル、少し息を止めてろよ」

 早口で言われ、エレオノーラが慌てて息を止めると。


 ゴォオォオォ!!


 という音と共に、クラウディオとエレオノーラを中心に水の渦が発生した。

(水の……竜巻!)

 触れる全ての物を根こそぎ薙ぎ倒し押し流すような威力の、圧倒的で暴力的な水の流れ。


 ぎゅっと、クラウディオがエレオノーラの身体を強く抱きしめていてくれる。

(炎が———水に飲み込まれていく)


 やがて水が消えた時、周囲には黒々と焼け焦げた小屋の残骸が水に濡れ、月の光を反射していた。


「もう少しだったのに!!」

 金切り声をあげたのは、小屋が焼け落ちる様子を近くで見ていたクラウディオの婚約者、フィオレンティーナだ。


「フィオレンティーナ……水の伯爵の最愛の者に手を出したことを後悔してもらおうか」

 怒りに染まったクラウディオのその声を、エレオノーラは驚きではなく、『やはり』と言う気持ちで聞いていた。


 フィオレンティーナは悔しげな顔で逃げるように立ち去る。

(あの人もまた、傷つけられた人には違いないのに)

 エレオノーラは苦い気持ちになる。


 ディアマンテ王宮恋物語の中で、アリーチェと恋仲になる直前のクラウディオは彼女に懺悔をするのだ。


———「好きだった幼馴染の女の子に、手ひどく振られたんだ」

———「以来、彼女のことを必死で忘れようとして……沢山の女性を傷つけた」


 水の竜巻が止んでもエレオノーラはクラウディオの胸に顔を埋め続ける。

 身体がぐったりしてもいたが、そうしなければ真っ赤になった顔を見られてしまいそうだったからだ。


「エル。こっちを見ろ」

「……」

 クラウディオはため息をつく。

「こっち見ないと色んな場所にキスをする」

 言われて、焦ってクラウディオの顔を見る。


 クラウディオはホッとした表情を浮かべた。

「火傷してないか? 怪我は?」

「大丈夫……」

「さっき王宮から帰ってきたら、フィオレンティーナがお前を殺してやったと叫んでて……寿命が縮んだ」

「クラウディオ」

「うん?」

「ごめん」


 クラウディオは一瞬言葉に詰まった様子だったが、気まずそうに微笑んだ。

「あー……今、俺また振られた?」

「え」

「違うの?」

(あの時は、ただ殺されてほしくない気持ちでいっぱいだったけど)

 エレオノーラは申し訳ない気持ちになる。

「クラウディオのお付き合いは、確かに私が口を出して良い話じゃなかった。思い出したの」


 先を言おうとしたエレオノーラの唇を、クラウディオがウィンクをしながらそっと人差し指で押さえる。

「俺がエルを好きだったこと?」

 コクリ、とエレオノーラが頷くと、クラウディオは頭をかいた。


「格好つかないことに」と前置きして、彼は言葉を選ぶように視線をさ迷わせた。

「今でも忘れようとしても忘れられないんだ、エル。どんな美女と出会って恋をしてみても……エル以上には想えない」


 幼い頃の会話をすっかり忘れて、クラウディオの女性関係に口出しをしてしまったのは無神経だったとエレオノーラは反省した。


 何年も昔のことだ。エレオノーラの現世の記憶。

———「大人になったら、僕と結婚してくれる?」

———「私、風の侯爵様が好きなの。クラウディオじゃない」


エレオノーラは転生後、記憶が無くても風の侯爵に何となく惹かれていた。クラウディオがどんな覚悟で告白したかも想像できず、幼いエレオノーラは無邪気に答えた。



「今もエルの一番は俺じゃない?」

 クラウディオは寂しげな瞳でエレオノーラを見た。

 エレオノーラはクラウディオを抱きしめた。

 背の高いクラウディオの、ちょうど心臓の位置にエレオノーラの耳が当たる。


(……生きてる)

 彼の少し速い鼓動が聞こえてくるのが涙が出るほど嬉しかった。

(クラウディオの暗殺を回避できた)

 ほう、と長く安堵の息を吐く。


「エル。俺これ以上くっついてると風の侯爵にエルを渡したくなくなる」

「クラウディオが良い。誰にも渡さないで」

 クラウディオが息を呑む気配がしたが、それがエレオノーラの答えだった。


 現世において、エレオノーラにとってクラウディオの存在は無視できないほど大きくなっていた。特別だった。

 彼が殺される運命が見えた時、胸を引き裂かれるような痛みで涙が止まらなくなるほど。


 クラウディオを見上げると、潤んだ瞳で頬を撫でられた。

 その手を握ってまっすぐ彼の目を見て言う。

「私は誰のところにも行かない。だからクラウディオも、私以外の誰のところにも行かないで」

「待ってこれ夢かも。だってあのエルが。ねえ大丈夫? 俺本当に離さないよ? エルをずっとここに置くよ?」

「庭師として?」

「庭師兼恋人兼夫人として」

「ちょっと欲張りすぎじゃない?」


 ククッと笑う水の伯爵クラウディオ。彼は飾らない、素直な心を好む。

「クラウディオ、好き」

 クラウディオの胸に額を当てて、ため息をつくようにエレオノーラが言うと。

「俺も、世界で一番エルが好き!」


 クラウディオはエレオノーラを抱きしめ、「幸せすぎて死んじゃいそうだ」と狂おしそうに呟いた。

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