第10話「SWOT分析で見る勇者パーティーの現状」

「て、転職だと……? ふざけるな!」


 我に返ったアランが、怒りに声を震わせる。

 聖剣の切っ先が、再びケントに向けられた。


「俺たちを、金で買収するつもりか! 勇者の誇りを、侮辱するな!」

「いえいえ、とんでもない。これは買収などではなく、正当な評価に基づくスカウト、ヘッドハンティングです」


 ケントは全く悪びれる様子もなく、涼しい顔で答えた。


「あなたの持つ戦闘スキル、リーダーシップ、そしてその輝かしい実績は、ビジネスの世界では『コア・コンピタンス』と呼ばれ、非常に価値の高いものです。しかし、現在所属しているアークライト王国という組織は、あなたのその価値を正しく評価できていない。これは、あなた個人にとっても、組織にとっても、大きな機会損失です」

「こあ……こんぴたんす……?」


 アランは、またしてもケントの言葉を理解できず、眉をひそめる。

 ケントは、そんな彼らの反応を気にも留めず、空中に新たな図表を投影した。

 それは、四つの象限に区切られた、見慣れない図だった。


「これは『SWOT分析』というフレームワークです。あなたたちのパーティーの現状を、客観的に分析してみましょう」


 ケントは指で図の一角を示した。


「まず、『強み(Strength)』。言うまでもなく、皆さん個々の高い戦闘能力とチームワークです。これは、他のどんな組織にも負けない強力な武器です」


 次に、隣の象限を指す。


「次に、『弱み(Weakness)』。これは、慢性的なリソース不足です。資金、装備、そして休息。これらが常に不足しているため、皆さんの『強み』を最大限に活かしきれていない状態です」


 アランの仲間たちが、ごくりと息をのんだ。

 まさに、自分たちが抱えている問題そのものだったからだ。


「そして、『機会(Opportunity)』。これが、我が魔王軍への転職です。潤沢なリソースと正当な評価制度がある環境に移ることで、皆さんは本来の能力を十二分に発揮できます。さらなる自己成長も期待できるでしょう」


 最後に、ケントは残った象限を力強く指し示した。


「最後に、『脅威(Threat)』。これは、現状維持のリスクです。今のブラックな労働環境に身を置き続ければ、いずれ心身ともに燃え尽きてしまうでしょう。最悪の場合、任務中に命を落とすことになりかねません。これは、皆さんにとって最大のリスクです」


 ケントは、淡々と、しかし力強く語りかける。


「客観的に見て、現状維持にメリットはありますか? 勇者の誇り? それは、十分な報酬と安全な労働環境が保障されて、初めて守られるものではないでしょうか」

「ぐっ……」


 アランは言葉に詰まった。

 正論だった。あまりにも的確で、反論のしようがない。

 彼の心は、誇りと現実の間で激しく揺れ動いていた。

 そんなアランの葛藤を見透かすように、ケントはパーティーの仲間たちに向かって、優しい声で語りかけた。


「聖女リナさん。我が軍には、最新の医療設備と豊富な薬草があります。あなたの回復魔法の研究も、軍が全面的にバックアップします。もう、魔力切れを心配する必要はありません」

「えっ……」


 リナの目が、かすかに揺れる。


「魔法使いカイルさん。我が軍の魔導図書館には、古代の失われた魔法に関する文献も数多く所蔵されています。あなたの探求心を満足させる環境がここにはあります。もちろん、最高級の杖も支給しますよ」

「ほ、本当か……?」


 カイルが、思わず身を乗り出した。


「斥候のドレイクさん。あなたには、最新の隠密装備と詳細な地図を提供します。危険な単独任務には、必ずバックアップ部隊をつけます。あなたの命を、無駄に危険に晒すことはありません」

「……」


 ドレイクは黙ったままだったが、その固く握られた拳が、わずかに震えていた。

 仲間たちの動揺が、アランにも痛いほど伝わってくる。

 彼らは、決して金や物に目がくらんだわけではない。

 自分たちの仕事や研究が正当に評価され、安全が保障される環境。

 それは、彼らがずっと心のどこかで望んでいたものだった。


「どうです? 我が魔王軍は、従業員のキャリアプランとワークライフバランスを非常に重視しています。皆さんにとっても、悪い話ではないはずです」


 ケントは、完璧な営業スマイルを浮かべた。

 アランは、聖剣を握りしめたままうなだれた。

 もはや、戦う気力は残っていなかった。

 目の前の敵は、剣ではなく、言葉で、論理で、自分たちの心を内側から崩壊させていく。

 こんな戦い方、今まで一度も経験したことがなかった。


 玉座でその様子を眺めていた魔王リリアは、クスクスと笑いをこらえきれない様子だった。


「面白い……。実に面白いぞ、ケント。勇者すらもヘッドハンティングするとはな」


 この異質な宰相補佐官は、戦争のルールそのものを変えようとしている。

 力と力がぶつかり合うだけの退屈な世界を、もっと面白いものに変えようとしている。

 リリアは、これから何が起こるのか、楽しみで仕方がなかった。

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