第09話「勇者よ、その働き方はおかしい」
数々の困難を乗り越え、アラン率いる勇者パーティーは、ついに魔王城の最深部、玉座の間にたどり着いた。
「来たか、人間の勇者よ」
玉座に座る魔王リリアが、退屈そうに彼らを見下ろす。
その隣には、宰相補佐官であるケントが、なぜか少し疲れた顔で立っていた。
「魔王! そして、お前が魔王軍を操る悪の軍師か! 今日、ここでお前たちの悪行も終わりだ!」
アランが聖剣を抜き、その切っ先をケントに向ける。
仲間たちもそれぞれ武器を構え、戦闘態勢に入った。
玉座の間には、一触即発の緊張が走る。
しかし、ケントは剣を抜かなかった。
それどころか、彼は困ったように眉をひそめている。
『うわあ、来たよ勇者一行。見た感じ、かなり疲弊してるな……。目の下にクマができてるし、装備もところどころ傷んでる。これは、典型的なブラック企業の社員の顔だ……』
元中間管理職の目で相手を見てしまうのは、もはや彼の性だった。
アランたちの姿は、ケントにはどうしても正義の英雄ではなく、過酷な労働環境に苦しむ同業者にしか見えなかった。
「お待ちください、勇者アランさん」
ケントは、争う意思がないことを示すように両手を軽く上げてみせた。
「悪の軍師とは心外ですね。俺はただ、この組織のコンプライアンスを徹底し、従業員満足度の向上に努めてきただけです」
「こんぷらいあんす……? じゅうぎょういんまんぞくど……?」
アランは、聞いたこともない言葉に一瞬戸惑いの表情を浮かべた。
「何を言っている! 貴様らが力をつけたせいで、どれだけの人々が苦しんでいると思っているんだ!」
「お言葉ですが、我々はここ数ヶ月、人間側に一度も侵攻しておりません。むしろ、防衛に徹しているはずですが。それよりも……」
ケントは懐から一枚の羊皮紙を取り出した。
それは、彼が諜報部に命じて集めさせた、勇者パーティーの活動記録と、王国からの待遇に関する詳細な資料だった。
「勇者アランさん。あなたの現在の年収、その輝かしい功績と業務内容に見合っていないと思いませんか?」
「なっ!?」
アランは絶句した。
年収。そんな生々しい言葉が、魔王軍の幹部から飛び出すとは夢にも思わなかったからだ。
ケントは構わず続けた。
「あなたのパーティーは、過去一年間で三百日以上、危険な任務に従事しています。にもかかわらず、王国から支払われている報酬は王宮騎士団の平均以下。これは、どう考えても不当な評価です」
「そ、それは、人々を守るための崇高な使命だから……」
「使命感の搾取ですね」
ケントは、アランの言葉をバッサリと切り捨てた。
「危険手当もなければ、装備の支給も遅延気味。回復薬などの消耗品も、自腹で購入することが多いと聞いています。これは明らかに、使用者であるアークライト王国による、皆さんに対する契約不履行です。これは労働基準法違反ですよ」
「ろうどうきじゅんほう……?」
またしても知らない言葉が出てきて、アランは混乱する。
ケントの言葉は、アランだけでなく彼の仲間たちの心にも突き刺さっていた。
パーティーの聖女リナは、常に回復魔法を使い続け、その魔力は枯渇寸前だった。
魔法使いのカイルは、新しい杖を買う金もなく、古い杖を修理しながら使っている。
斥候のドレイクは、危険な偵察任務で何度も命を落としかけたが、それに見合う報酬は一度もなかった。
彼らは、自分たちの待遇がおかしいと薄々感じてはいた。
だが、それを口にすることは「勇者の仲間としてふさわしくない」と、自分たちで封じ込めてきたのだ。
その誰もが言えなかった不満を、目の前の敵であるはずのインプが、的確に、そして論理的に指摘している。
「あなたたちは、搾取されているんです。その崇高な使命感に付け込まれて、不当な労働を強いられているにすぎない」
ケントの静かな声が、玉座の間に響く。
アランは激しく反発した。
「黙れ! 魔族の口車に乗るものか! 俺たちは、王国と人々を守るために戦っているんだ!」
しかし、その声には以前のような力強さがなかった。
彼の心は、ケントの言葉によって激しく揺さぶられていた。
そんな彼に、ケントはとどめの一言を放った。
「でしたら、転職はいかがでしょう?」
「……は?」
アランも、リナも、カイルも、ドレイクも、そして玉座で面白そうに成り行きを見守っていた魔王リリアでさえ、その言葉の意味が理解できず、固まった。
ケントは、まるで優秀なヘッドハンターのような笑みを浮かべて、こう続けた。
「我が魔王軍に転職しませんか? 前職の給与と実績を最大限考慮した上で、それを上回る待遇をお約束します。もちろん、成果に応じたボーナス、最新装備の支給、そして完全週休二日制も保障しますよ」
前代未聞の、敵への転職の勧め。
聖剣を握りしめたまま、勇者アランは呆然と立ち尽くすしかなかった。
彼の頭の中では、「転職」「ボーナス」「週休二日制」という、甘美な響きを持つ未知の言葉が、ぐるぐると渦巻いていた。
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