第06話「魔王様へのプレゼンテーション」

 魔王城の玉座の間。

 天井は高く、壁には魔王軍の歴史を描いたであろう巨大なタペストリーが掛けられている。

 磨き上げられた黒曜石の床が、魔法の燭台の光を反射して厳かな雰囲気を醸し出していた。

 その中央、巨大な玉座に魔王リリアが腰かけている。

 銀髪の少女の姿だが、その身から放たれる魔力と威圧感は、この場の誰をもひれ伏させるに十分だった。

 玉座の前には四天王が控え、そしてそのさらに前で、ケントは生まれて初めてというくらい、床に額をこすりつけていた。


『なんでこうなった!? 俺はただ、職場の環境改善をしていただけなのに、どうして最終ボスの前にいるんだよ!』


 ケントの心臓は、前世で重要なプレゼンの前に感じた緊張感の比ではなかった。

 下手をすれば、文字通り首が飛ぶ。


「面を上げよ、インプ」


 少女の声が、静まり返った玉座の間に響いた。

 ケントは恐る恐る顔を上げる。

 そこにいたのは、噂に聞いていた通りの可憐な少女だった。

 だが、その真紅の瞳は、まるで魂の奥底まで見透かすかのように、鋭くケントを射抜いていた。


『うわ、魔眼ってやつか……。魂が擦り切れてるとか、バレてないだろうな……』


 リリアは興味深そうにケントを観察し、やがてその唇を開いた。


「貴様がケントか。面白いことをしているそうだな。ゴードンの軍を立て直したという、その『知識』とやらを、この私に説明してみせよ」


 試されている。ケントは直感した。

 ここで下手な答えをすれば、待っているのは死だ。

 彼は覚悟を決めた。

 幸い、プレゼンテーションは前世で嫌というほど経験している。

 相手がクライアントの役員から、世界の絶対者である魔王に変わっただけだ。

 ……いや、全然違うが、やるしかない。


「はっ。それでは、僭越ながらご説明させていただきます」


 ケントは立ち上がると、まず一つ深呼吸をした。

 そして、おもむろに人差し指を宙に掲げた。


「まず、私がゴードン将軍の軍で行ったのは、大きく分けて三つ。『サプライチェーンの最適化』、『労働環境の改善による士気の向上』、そして『品質管理の徹底』です」


 ケントがそう言うと、彼の指先から魔力が溢れ、空中に光の図形が描き出された。

 それは、複雑に絡み合った線で結ばれた、ゴードン軍の古い補給路の図だった。


「以前の補給路は、このように多くの無駄な中継地点を経由しており、それが物資の遅延と品質劣化の原因となっていました。これを、このように……」


 ケントが指を動かすと、光の線が整理され、駐屯地と補給元を結ぶシンプルで最短のルート図に変わった。

 玉座の間がざわめく。魔法を使って説明を行う者など、これまで誰もいなかったからだ。

 リリアは、その紅い瞳を興味深そうに細めている。


「次に、労働環境の改善です。兵士といえども、心身ともに健康でなければ最高のパフォーマンスは発揮できません。そこで、食事の栄養バランスを見直し、十分な休息が取れるようシフトを再編成しました」


 空中に、今度は円グラフが現れる。

 改善前と改善後の兵士の負傷率や病欠率が、一目でわかるように示されていた。

 その劇的な変化に、ゴードン以外の四天王たちも目を見張った。


「最後に、品質管理。武器や防具は、兵士の命を守る重要な資産です。定期的なメンテナンスを義務付け、常に最高の状態で使用できるシステムを構築しました。これにより、戦闘中の装備破損による損耗は、ほぼゼロになりました」


 ケントは、よどみなく説明を続ける。

 その内容は、軍事にとどまらず、組織論、経済学、果ては心理学にまで及んでいた。

 それは、この世界の誰もが聞いたことのない、全く新しい戦争の形だった。

 プレゼンを終えたケントが頭を下げると、玉座の間はしばし沈黙に包まれた。

 四天王たちも、あまりに異質な理論に言葉を失っている。

 やがて、沈黙を破ったのは、魔王リリアだった。


 パチ、パチ、パチ……。


 乾いた拍手の音が響き渡る。


「素晴らしい! 実に、実に面白いぞ、ケント!」


 リリアは玉座から立ち上がると、楽しそうに笑っていた。

 その顔は、絶対者のものではなく、新しいおもちゃを見つけた無邪気な少女のようだった。


「貴様の言うことは、半分も理解できん。だが、それが結果を出していることは事実。力や魔法だけが、戦の全てではないということか。気に入ったぞ、ケント!」


 リリアはケントの目の前まで歩み寄ると、その小さなインプの顎に指をかけた。


「貴様、ただのインプではないな。その魂、ひどく擦り切れておる。だが、それでもなお、喜びもなく淡々と『改善』と『効率化』を追い求めている。実に異質だ。貴様、何者だ?」

「……ただの、ケントにございます」


 ケントは冷や汗を流しながら答えるのが精一杯だった。

 リリアは満足げにうなずくと、玉座に戻り、高らかに宣言した。


「全軍に告ぐ! 本日より、このケントを、我が直属の『宰相補佐官』に任命する! 彼の権限は、四天王に準ずるものとせよ!」

「「「なっ!?」」」


 四天王たちが驚愕の声を上げる。

 一介のインプを、魔王軍の最高幹部に任命するなど、常軌を逸している。

 しかし、魔王の決定は絶対だ。


「ケントよ。ゴードンの軍でやったことを、この魔王軍全体で行え。この国を、この世界を、貴様の好きなように『改善』してみせよ」


 それは、ケントにとって、とてつもない大抜擢だった。

 そして同時に、彼のスローライフ計画に、完全な終止符を打つ宣告でもあった。


『宰相補佐官って何だよ!? そんな役職、聞いたことないぞ! ていうか、俺の休みは!? 俺の平穏な生活はどこに行ったんだー!』


 ケントの悲痛な心の叫びは、誰の耳にも届くことはなかった。

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