第07話「魔王軍よ、これが福利厚生だ」
宰相補佐官。
前例のないその役職に就任したケントに、魔王リリアから与えられた最初の勅命は、あまりにも漠然としたものだった。
「魔王軍全体を、よろしく頼む」
『よろしくって言われても……。具体的に何から手をつければいいんだよ』
ケントは、新たに与えられた執務室で、巨大な机を前に頭を抱えていた。
部屋の広さだけは、前世で働いていた会社の社長室よりも立派だったが、彼の心は晴れない。
だが、悩んでいても始まらないのが仕事というものだ。
ケントは「タスク管理」スキルを起動し、魔王軍全体が抱える問題点の洗い出しから始めることにした。
【魔王軍組織運営における課題リスト】
・【緊急】部署間の連携不足による業務非効率(縦割り組織の弊害)
・【重要】兵士の士気低下と離職率の高さ(劣悪な労働環境が原因)
・【要改善】成果に対する評価制度の欠如(モチベーション低下の要因)
・【提案】軍全体の予算配分の見直し
『うわっ、出るわ出るわ……。まるで問題点のデパートだな。これは、組織の根本からメスを入れないとダメなやつだ』
ケントはまず、最も根深い問題である「兵士の労働環境」の改善から着手することにした。
「成果を出すには、まず健全な労働環境から。これはビジネスの基本です」
彼は早速、魔王リリアに改革案を提出した。
その内容は、魔王軍の常識を根底から覆すものだった。
「まず、週休二日制を導入します」
ケントの言葉に、会議室に集められた各部隊の幹部たちは、一斉に「はあ?」という顔をした。
「何を言っているんだ、貴様は。我々は軍隊だぞ。休みなど、戦いが終わってからで十分だ」
古参の将軍の一人が、鼻で笑う。
「いえ。適度な休息は、長期的な戦闘能力の維持に不可欠です。それに、休日を設けることで兵士たちは自己投資や家族サービスに時間を使えます。結果として、組織への忠誠心も高まる。これは、我々にとって非常に有益な投資となります」
ケントは、空中にグラフを投影し、休息と生産性の相関関係について論理的に説明した。
幹部たちはキツネにつままれたような顔をしている。
「次に、有給休暇制度を導入します。兵士には年間十日の有給休暇を与え、好きな時に休める権利を保障します」
「なっ……! 兵士が好きな時に休むだと!? 軍の規律が乱れるわ!」
「問題ありません。事前に申請を出し、業務に支障が出ないよう調整するルールを設けますから。それに、故郷に帰りたかったり、子供の看病が必要だったり、個々の事情に対応することで、兵士の満足度は飛躍的に向上します」
ケントはさらに続けた。
「残業には、もちろん手当を支給します。危険な任務には、特別危険手当を。そして、能力や成果に応じた正当な評価制度を構築し、給与や昇進に反映させます」
「最後に、福利厚生の充実です。まずは、魔王城の食堂のメニューを改善しましょう。ゴードン将軍の軍で実績があるように、温かく栄養のある食事は士気に直結します」
週休二日制、有給休暇、残業手当、成果主義、福利厚生。
ケントが提案する改革案は、どれもこれも魔族たちにとっては異次元の概念だった。
当然、会議室は反対意見で紛糾した。
「そんな甘い制度を導入して、兵士たちが怠けるだけだ!」
「そもそも、そんなことをする予算はどこにある!」
しかし、ケントは冷静だった。
「ご安心ください。先日、私が倉庫管理を改善したことで予算にはかなりの余裕が生まれています。今回の改革に必要なコストは、そこから捻出すれば十分にお釣りが来ます。皆さんが『無駄』だと気づいていなかった部分を削減し、兵士たちのやる気に再投資するだけです。これを、経営用語で『選択と集中』と言います」
ケントは、事前に用意していた詳細な予算計画書と、改革による費用対効果のシミュレーション結果を提示した。
その完璧な資料と揺るぎない態度に、あれだけ騒いでいた幹部たちも次第に押し黙っていった。
最終的に、魔王リリアの「面白い。ケントの好きにやらせてみよ」という鶴の一声で、ケントの労働環境改善案は試験的に導入されることが決定した。
最初は、魔族たちも戸惑っていた。
「本当に休んでいいのか……?」
「有給休暇って、どうやって使うんだ?」
しかし、実際に制度が始まると、その効果は絶大だった。
休日を得た兵士たちは、家族と過ごしたり趣味に没頭したりと、思い思いの時間を過ごした。
リフレッシュして仕事に戻ってくるため、訓練の効率も格段に上がった。
食堂のメニューは劇的に改善され、毎日温かい食事が提供されるようになった。
兵士たちの間では「今日のランチは何だろうな」という会話が交わされるようになり、駐屯地の雰囲気は明るくなった。
能力のある者が正当に評価され昇進していく姿は、他の兵士たちのモチベーションを刺激した。
自分たちの生活が豊かになり、仕事への意欲が増していくのを実感した魔族たちは、いつしかこの改革を主導したケントのことを、畏敬の念を込めて「改革者様」と呼ぶようになっていた。
もちろん、ケント自身はそんな称号を望んでいるわけではなかった。
『俺も有給休暇が欲しい……。なんで制度を作った本人が、一番働いてるんだ……』
今日も執務室で、山積みの書類と格闘しながら、ケントは誰もいない部屋で一人、静かにつぶやくのだった。
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