第25話 兆候

 低い振動が、靴底を伝ってくる。

 最初は風かと思った。

 だが、地の底が“うなっている”のだと気づいた瞬間、背筋に冷たいものが走る。


 坑道の奥は、いつもより熱い。

 空気が濃く、息を吸うたびに金属の味がした。

 視察に来ていた技師たちが、手にした器具の針を見て顔を強張らせている。


「……おかしいな。いつもと違う。数値が落ち着かない」


「地熱が不規則に跳ねています。周期が読めません」


 誰もが声を潜めていた。

 音が響かないこの国では、焦りや恐怖すら伝わらない。

 だから、静かに──けれど確実に、この場にいる者たちの間に恐れが広がっていく。


 坑道の奥で、蒸気のような白煙が立ち上る。

 小さな音だ。だが、その“違和感”は歴然だった。


「どうしましょう、ダラン様」


 問いかけられた声が、揺れる灯りの中で震える。

 ダランは一度、目を閉じた。


 確証はない。

 だが、“いつもとは違う”。

 それだけで、もう十分だった。


「……最終の判断は王に仰ぐ。だが──」


 静かに、しかし揺るぎない声で告げる。


「何もなければ、それでいい。

 だがもし、何かが起きたら……そのときはもう遅い。」


 その場にいた全員が息を呑む。

 ダランは振り返り、側近の名を呼んだ。


「すぐに避難を始めろ。

 シェルターの鍵を開けて、各層の民に声をかけろ。

 一人でも多く、地下最深部へ──いいな」


「……しかし、まだ兆候の段階では……」


「“兆し”があるうちに動け。

 この国は、音でも光でも伝達ができん。

 動くのが遅れれば、それだけ命が失われる。

 ──伝令を走らせろ!」


 声が坑道に反響する。

 地鳴りがそれを飲み込むように、奥でごう、と低く鳴った。


 兵たちは散り、技師たちは器具を抱えて駆け出した。

 それぞれが別の道を通り、別の通路で“声を伝える”。

 この国の伝達とは、そういうものだ。

 一つずつ扉を叩き、手を取り、顔を見て言葉を渡すしかない。


 見上げれば、導光鉱石がゆらめいている。

 いつもより赤みを帯びた光だった。


(……まるで、血だな)


 そう思った瞬間、脳裏に浮かんだのは──彼の顔だった。

 さっきまで、ほんの数分前まで、自分の腕の中にいた“妻”の。

 薄闇の中で笑う、あの光。


(……ソレル。お前を返したくない…)


 心の中でそう呟く。

 もしこの震えが本物なら、すぐにでも迎えを寄越さなければならない。

 だが同時に──彼を巻き込みたくはなかった。


「……俺の判断が、正しければいいが」


 小さく吐き出した言葉が、石壁に吸い込まれていく。

 地の底の鼓動が、また一つ、深く響いた。

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