第14話 戦争

 【ダイストール】――

 それは【クライズオリジン】の隣に位置する強国。

 三大ダンジョンの支配権を巡り、ついに牙を剥いた。


 敵は十万の騎士を率い、規律と軍略で固められた鉄の軍勢。

 対するこちらは、国王の方針とダンジョンの影響で、主力のほとんどが冒険者だ。

 鍛え抜かれた兵士ではなく、己の力と誇りを信じる者たち。


 ――人数比、わずか一万対十万。


 風が吹くたび、空気が張りつめる。

 戦う前から、すでに“絶望”という言葉が漂っていた。


 「行くぞ!」


 師匠の声が轟いた瞬間、全員の足元が震えた気がした。

 その一声で、張りつめていた空気が一変する。

 恐怖ではなく、闘志へと。


 城壁の外へ出ると、もう目と鼻の先まで敵軍が迫っていた。

 見渡す限りの鉄の海。

 甲冑がぶつかり合う音が、遠雷のように響く。


 幸い、ここは平地だ。住民への被害は少ない。

 ――俺たちが、潰れない限りは。


 「蒼炎刀」


 龍雷が青い炎をまとわせる。

 その刃が抜かれた瞬間、空気が一段熱を帯びた。


 師匠もいつもの木剣ではない。

 剣聖の血を継ぐ者のみが扱える聖剣を手にしている。

 その刀身が陽光を反射し、戦場の中心に一本の光の柱を生み出していた。


 「【ミラジェイラ・ブレード】――行くぞ、ミラ」

 『おう! 暴れるしかないな!』


 ミラの声が頭の中で弾ける。

 金属音の中に混ざる、唯一の“生”の響きだった。


 「【顕現・グリフォンの翼】!」


 響の背から、巨大な翼が広がる。

 白銀の羽が風を切るたび、砂塵が舞い上がる。

 間近で見るその姿に、思わず息を呑んだ。


 サラと冬香は後方から支援するようだ。


 ――この仲間たちとなら、きっと。


 両軍、互いに正面から駆け出した。

 大地を蹴る音が重なり、空気が震える。


 先手を打ったのは――俺たち。

 いや、龍雷だ。


 「【蒼炎刀・壱・青蓮刃せいれんじん】!」


 彼が叫ぶと同時に、刀が蒼く燃え上がる。

 次の瞬間、刀身から放たれた炎が花弁のように舞い、空中で咲き誇った。


 美しく――だが、その花は容赦なく敵陣を呑み込む。


 ドォォォン――!!


 爆音と熱風が広がり、敵軍が次々と吹き飛んだ。

 その光景を、誰もが言葉を失って見つめていた。


 「俺たちも続くぞー!」

 「「おおーー!!」」


 「【剣聖の型・二の剣・白光ノ虎びゃっこうのとら】!」


 師匠の声が轟く。

 光を纏った剣が閃光のごとく敵陣を切り裂き、その軌跡から白い虎が顕現する。

 咆哮と共に、無数の兵が吹き飛んだ。


 ――これが、現代最強の剣士、剣聖ダビル。


 息を呑んだその瞬間、俺の前にも敵兵が迫ってきた。


 俺だって、あの最強に稽古をつけてもらったんだ。

 なら、怯むな。


 「【焔牙流・焔影えんえい】!」


 陽炎のように揺らめく刀身。

 分身のように錯覚させる斬撃が走る。


 鎧が裂け、肉が切れ、骨が砕ける――。


 その音が、やけに鮮明に耳に残った。

 目の前の兵士が崩れ落ち、地面を赤く染めていく。


 ……俺が、殺した。


 喉がひゅっと詰まり、呼吸が浅くなる。

 震える手から、ミラが滑り落ちそうになる。


 「大和ーー!!」


 響の声が、戦場の喧噪を突き破った。


 「気持ちは分かるが、後にしろ! 今は――俺たちの国を守るんだ!」


 その言葉が胸を打つ。

 迷いが、炎に焼かれて消えていく。


 そうだ。

 この国を。

 大切な人を。

 そして――運命をねじ曲げるために、俺はここに立っているんだ。


 『仲間に恵まれてるな』

 「そうだな」


 そう言い聞かせるように、俺は感情の一部を切り捨て、敵を斬り続けた。


 「おい! 敵が抜けたぞ!」


 誰かの叫びが耳に飛び込む。視線を向けると、味方の何人かが倒れており、敵兵が後方を駆け抜けて――サラたちの支援陣へ向かっていた。


 「おい! 待て!」

 「母さんに手を出すなー!!」


 師匠と龍雷の声が割れ、二人は鬼の形相で突進しようとする。

 だが、二人も既に消耗しきっており、前の敵を押しのけられない。援護に回れないもどかしさが胸を締めつける。


 「ミラ、行くぞ!」

 『ああ! 急げ!』


 俺は全力で駆けた。死体を蹴散らし、飛び石のように戦場を渡り歩く。

 風は血の匂いを運び、鎧の金属音と遠吠えのような叫びが入り混じる。

 だが、その中で鮮明なのは――サラに向かう一本の矢だけだった。


 敵の一隊が、既に矢を番え、狙いを定めている。

 物語なら、あの矢は確実に彼女の心臓を貫くだろう。

 俺はそれを、どうしても止めなければならなかった。


 あと少しだ。――そこで、矢が放たれた。

 時間がゆっくりとスローモーションになったように感じる。


 音も匂いも遠ざかり、矢の軌道とミラを握る手の感触だけが世界を占めた。

 心臓が耳に近づくほどに速く打つ。


 「ミラ、届けー!」


 ミラの剣先を最大限に伸ばし、矢に触れさせる。

 金属が金属を擦るかすかな音――それだけが聞こえた。

 剣先は矢の側面を掠めただけだった。


 グサッ――。


 鮮烈な音。次の瞬間、世界の中心が崩れ落ちるように、俺の視界に広がったのは――サラの胴を貫く矢と、その先端から滴る赤。


 「あぁ、あぁ、うわぁあああ!!」


 誰かの断末魔が空気を裂く。俺の中の何かが、音と一緒に粉々に砕け散った。


 ――矢は、確かにサラを貫いていた。


 あと一歩、あと一ミリ、届かなかった。


 ものすごく冷たい何かと、燃えるように熱い感情が、同時に体の中へ流れ込んでくる。

 それらが腹の奥でぐちゃぐちゃに混ざって、吐き気がした。


 怖くて、龍雷たちの方に目を向けられない。

 ただ、風が通り抜ける音と、遠くで誰かが剣を落とす音だけが響いていた。


 「かぁ、さん、?」


 後ろから、掠れた声が聞こえた。

 その声に引きずられるように振り返る。


 そこには――数え切れないほどの敵の屍が転がっていた。

 焼け焦げた地面。黒煙。血の匂い。

 その中心に、龍雷が立っていた。


 全身は返り血で真っ赤に染まり、息も荒い。

 だが、瞳だけが異様なほど静かで、冷たかった。

 その中にあるのは怒りでも涙でもなく――ただ、絶望。


 龍雷がどれほど母を愛していたのか、俺は知っている。

 知っているからこそ、胸の奥を誰かに握り潰されるように痛んだ。


 視界が、真っ暗になっていく。

 なんだ、この感情……。

 俺は――救えなかった。


 何が、“運命を変える”だよ。

 何も変えられなかったじゃないか。


 胸の奥が焼けるように熱く、それでいて氷のように冷たい。

 自分の中で、感情が暴れている。


 その時――


 [感情の昂りを感知。ミラジェイラは【冷氣】【熱氣】を獲得しました。]


 頭の中に、そんな声が響いた。


 「……なんだ、それ?」


 呟くと同時に、ミラの刀身が淡く赤と青に揺らめく。

 炎と氷――相反する二つの力が、同時に共鳴していた。


 『……大和の感情の昂りによって、力が解放されるのか』


 ミラの声にも、驚きと戸惑いが混じっていた。

 彼女自身、想定外の出来事らしい。


 俺の感情が、力になる?

 そんな馬鹿な――。


 でも、確かに感じる。

 今、ミラが俺と同じように“怒り”と“悲しみ”を燃やしていることを。


 「あいつらを、許さない」


 その声は自分でも驚くほど低く、そして鋭かった。

 言葉が放たれると同時に、ミラの刀身が真っ赤と蒼に震え、空気が裂けるような音を立てた。


 身体の奥から熱が沸き上がり、同時に冷たい刃のような感触が背筋を走る。

 まるで、心の中の二つの感情が具現化したかのようだった。


 ミラの刀身に、決意と狂気の混じった光が宿る。

 『覚悟を決めろ、大和』——ミラの声はほとんど囁きだったが、確かな命令の響きがあった。

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