第7話 覚悟の重さ

 「大和くーん? 起きてるー?」


 遠くで、姫野さんの声がする。

 ……もうちょっと寝ていたい。体が現実に戻るのを拒んでいる。


 【クライズオリジン:王都。武器屋の最奥に“隠し武器”あり】

 その文字列が、頭の奥で輝いた。


 「武器! 早く手に入れるぞ!」


 ガバッと起き上がる。だが次の瞬間――。


 「……あれ、俺の部屋?」


 見慣れた机、半分閉まったカーテン、飲みかけのコップ。

 蛍光灯の白い光がやけに冷たく見えた。


 現実世界に、戻ってきたんだ。


 「そ、そうだった。寝たら世界、入れ替わるんだった……」


 胸の中の熱が、スッと引いていく。

 テンション、駄々下がりだ。


 ベッドから起き上がり、軽くストレッチ。異世界のワクワクはまだ胸の奥に残っている。

 でも、今は現実。目の前には姫野さんが微笑んでいる。


 「おはよう、大和くん。今日もいい天気ね」

 「おはよう、姫野さん……」

 顔が自然と緩む。昨日までの異世界の興奮が少し冷めたけど、現実の朝の柔らかい空気も悪くない。


 簡単に朝食を済ませ、制服に着替える。

 鏡の前でネクタイを直しながら、頭の中で今日の予定を整理する。設定帳で見た内容がチラリと浮かぶ。


 「……まずは学校か」


 家を出て、姫野さんと一緒に登校する。

 道中、互いに軽い会話を交わすだけで、なぜか安心感が広がる。異世界での緊張とは全く違う感覚だ。


 そして教室に入ると、早速声をかけられる。


 「ねえ、西園寺くんだよね? ちょっといい?」


 隣の席の女子が、少し照れた様子でこちらを見る。

 俺は驚きつつも、心臓がちょっと早くなるのを感じた。


 「え、あ、はい」

 「私、同じクラスの愛野玲奈です。よかったら連絡先、交換しない?」


 初めて女子に声をかけられ、連絡先を交換する。

 心の中で「……現実世界でも、こんなことがあるんだ」と少し笑ってしまう。

 異世界の冒険もいいけれど、現実のちょっとした出来事も、なかなか悪くないなと思った。


 ――その時、教室の空気がざわつく。


 「今日は確認テストするぞー! 少し前まで受験生だった君たちなら、簡単に解けるよな!」


 ホームルームの時間になると、担任の女教師が威勢よくそう言った。

 男勝りでキリッとした口調。少し怖いくらいだ。


 教室のあちらこちらから、ため息や小さなブーイングが巻き起こる。

 俺も思わず背筋を伸ばした。


 ――しかし、テスト中でも脳の片隅、いや半分くらいは異世界のことが占めている。

 強くなるための道筋を見つけたのだから。


 そう考えていると、テスト中にも関わらず瞼が重くなってきた。

 視界がだんだん暗くなっていく。


 空気が変わった。

 春の教室、あの心地よさとは違う、別の心地よさ。


 「あれ、こっちの世界に来ている。テスト中なのに寝ちゃったのか!?」


 俺は木で作られたベッドの中にくるまっていた。


 ――テンションが一気に上がる。

 新しい武器、強くなれる!


 「おはよう! みんな!」

 「おぉ、おはよう……どうした? テンション高いな!」


 勢いよく部屋に飛び込み、全力で挨拶をした。

 龍雷は苦笑しながら首を傾げる。


 「響と冬香はまだ寝てるぞ?」

 「わかった!」


 ――いいんだ、今日はそれどころじゃない。


 昨夜、眠気を堪えて設定帳を読み返していたら――

 見つけてしまったんだ。

 強くなるための“鍵”を。


 自然と口元が緩む。


 【クライズオリジン:王都。武器屋の最奥に“隠し武器”あり】


 はぁあ! この設定を作っておいた俺、天才か!?

 物語が完結するまで、誰も手にしなかった伝説の武器……!


 その名も――


 【蜃気楼(ミラジェイラ)】


 胸の奥が熱くなる。

 もう、ワクワクが止まらない。


 少しして、響と冬香が起きてきた。


 三人で階下の食堂へ向かい、朝食をとる。


 「大和? どうしたの? なんかニコニコしてる」

 「昨日とは別人みたいー」


 二人の声が、どこか遠くに聞こえる。

 今、俺の頭の中は――“武器”のことでいっぱいだ!


 武器! 武器! 武器!


 「まぁ、いいか。食べ終わったら出発するぞ」

 龍雷がパンをかじりながら、いつもの調子で言った。


 宿を出ると、ざわめきが街中に広がっていた。

 何か騒ぎが起きているらしい。人々の怒号や悲鳴が混ざり合っている。


 俺たちは急いで現場の中心へ向かう。

 そこで見た光景に、思わず息をのんだ。


 「おい! 男が死んでいるぞ! ヒーラーは居ないのか!」

 「ヒーラーいても死体はどうにもできないぞ!」

 「おい! 人殺し! 逃げるな!」


 次々と飛び交う、罵倒と怒号。

 ――人の死体を見るのは初めてだ。

 こんなにも、重く、胸を締めつけるものなのか。

 先程まで浮かれていた自分を、殴ってやりたい気分になる。


 この世界は、一瞬の油断が命取りになる。

 そのことを、忘れてはいけない。


 「おい! 龍雷!」


 響が叫ぶ。龍雷は犯人を追いかけたらしい。

 その背中から伝わってくるものは、冷たく硬い覚悟だった。


 龍雷は驚異的な速度で男を追う。響と冬香が続くが、俺の脚では到底追いつけない。

 彼らは何度もこういう光景を見てきたのだ。最善の行動を迷わず選び、実行に移す。


 ――すげぇ。


 俺は人波をかき分け、できるだけ早く走った。路地を曲がると、追い詰められた男と対峙する龍雷たちの輪にたどり着いた。


 声をかけようとして、言葉がのどに詰まった。圧倒的な威圧感。冷凍庫に閉じ込められたように、空気が冷たい。


 「おい、何故殺した?」


 龍雷の声は低く、氷の刃のようだった。


 「こいつが、俺の女を奪いやがったんだ! 当然の報いだ!」


 男は足を引きずり、這うように逃げようとしている。血が滲んだ布が足首に巻かれていた。


 「響、捕縛頼む」

 「了解、【粘糸】!」


 響の掌から、蜘蛛の糸のような粘り気のある線が放たれた。響は倒した敵の能力をコピーする――今回の力は蜘蛛の魔物から得たものだ。


 糸は男の四肢を絡め取り、這い続ける力を奪う。男はもがき、やがて動かなくなった。


 「お前は衛兵に引き渡す。二度とこんなことをするな」


 龍雷の声に揺るぎはない。響も凛とした表情だ。

 冬香は、顔を強ばらせて俺の隣で立ちすくんでいる。


 その後、男は衛兵に引き渡され、俺たちは冒険者ギルドに向かうことになった。


 でも、足が重い。

 先ほどの冷たい空気を思い出すだけで、体がこわばる。

 ――まるで、龍雷とは別人のような冷たさだった。


 「大和! 今日は冒険者登録だな! 楽しみか?」


 龍雷がニコッと笑いながら話しかけてくる。

 その笑顔は、まさしくいつもの龍雷だった。


 「う、うん! 楽しみ!」


 響と冬香もテンションを取り戻したようで、普段の二人に戻っていた。


 気付けば、俺は口にしていた。

 「龍雷たちは、あの状況に慣れているのか?」


 「いいや、人が死ぬところは何度見ても慣れない」

 龍雷の声には、どこか低い響きがあった。


 「誰かの悲鳴を聞くたび、涙を見るたび、俺は――それらを全部なくしてやりたい、そう思う。だから、俺は強くなる」


 明らかに、覚悟の色が違う。

 響と冬香もきっと同じだろう。


 単純に、俺にはまだ覚悟が足りなかった。

 この世界で生き抜くための覚悟が。


 ――俺はまだ、どこかでこの世界を【創り物】だと思っていたのかもしれない。


 少しして、冒険者ギルドにたどり着く。

 その瞬間、俺は思わず足を止めた。


 冒険者ギルドに到着した瞬間、俺は思わず足を止めた。


 建物の外観だけでもすごい迫力だ。

 巨大な木材と石で作られた重厚な扉。扉の前に立つだけで、自然と背筋が伸びる。

 ──ここが、この世界の“冒険者”たちの中心地なのか。


 「すごい……」


 思わず漏れた声に、響が横で笑った。

 「ほら、やっと異世界に来たって実感湧くだろ?」

 冬香も目を輝かせて、うなずく。


 扉を押して中に入る。


 その瞬間、俺の視界に飛び込んできたのは、想像を超える活気だった。

 カウンターでは冒険者が次々と登録や報告をしている。

 商人が武器や防具を売りつつ値段交渉をしている。

 掲示板にはミッション依頼がずらりと貼られ、掲示板の前には真剣な表情の冒険者たちが群がっている。


 「わ……すげぇ……」


 息を呑む俺をよそに、龍雷が先に歩を進める。

 「さあ、大和、まずは登録だ。順番に行こう」


 ギルドの奥まで進むと、熱気がさらに増す。

 笑い声、怒鳴り声、取引の声――全てが渾然一体となって、巨大な生き物のように俺の周りを包み込む。


 俺は思わず肩をすくめた。

 ──こんな世界で、俺は本当に生き抜けるのか?

 でも、胸の奥にはあの【ミラジェイラ】のことを思い出す熱が残っている。


 大丈夫だ。まだ、やれる。


 

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