第2話 母の本性大爆発

「……さて、今日も状況の整理をいたしましょうか。」


 私は机の上に広げた地図の上に、小さなピンを次々と打ち込みながら呟いた。

 あれから毎日のように、我が家は襲撃を受けている。

 今朝は城からの追っ手が三手に分かれてこちらへ向かっていた。

 予想どおりの動きだ。


「まったく……我が家に刺客を送るとは、命知らずにもほどがありますわ。」


 そのとき、周囲を囲むように羽音が鳴った。

 金の小蜂――〈見守ルンルン〉たちである。


「皆、ご苦労様。今日も一日、よろしくね。」


 ブゥン!(へい!姐さん!任せときな!)


 元気のいい返事と共に、ルンルンたちは一斉に飛び立った。

 机の上に静寂が戻ると同時に、水鏡が淡く光を放つ。


 そこに映るのは、息子と令嬢が過ごす温室の映像。

 ガラス越しの陽光が差し込み、薔薇の香りが満ちる中、二人は向かい合って紅茶をたしなんでいた。


(まあ……まあまあまあっ!この距離感!尊いですわ!ムスコたん、ガンバ!)


 私は両手を握りしめ、こっそり机の下で足をばたつかせる。


 興奮気味に水鏡を再度覗けば、令嬢を見たファザードが、ふと表情を曇らせた。


『……すみません。あの、少し休まれた方がよいかと。』


 ファザードがそっと立ち上がると、彼女は首を振った。


『お気遣いありがとうございます。大丈夫ですよ。』


 確かに。

 心なしか、無理して笑っているような……。


『いえ、無理をしてはなりません。』


 そう言うや否や、息子はひょい、と彼女を抱き上げた。


(む、ムスコたん?いつの間にそんな、流れるように……?)


『っ!? ファザード様!?』


『どうかなさいましたか?』


『……え? あ、あの……』


『父がいつも母にしているのですが……違いましたか?』


『え?あの……ありがとうございます……。』


 エリーゼ嬢は、真っ赤になってうつむいてしまった。

 ファザードを見れば、そんな令嬢を不思議そうに眺めている。


(ムスコたん~~~!?ちょっと待って!それ、あなたのお父様限定行動ですのよ!?それにしても。父が母にするのを参考にしてくれたの~!うれし~い!素敵~!かっこいい~!尊い~!)


 私は胸を押さえ、机の下で足をバタバタさせながら、どうにか声を殺して転げ回る。


「ルンルン!今の映像は──永久保存といたしますわ!!」


 ルンルンが羽を鳴らす。

 ブゥン!(へいへい、こりゃ永久保存モンだな!尊死フォルダ入りっと!)


 しばらくして、息子は令嬢をベッドに優しく降ろし、毛布をかけている。

 その慎重で不器用な動きに、母としての誇りと愛しさが入り混じる。


(ああ……あなたは本当に、あの人の子ですわね……。誠実で、真っ直ぐで、少し不器用で……尊すぎて母は息ができませんわぁ~!)


 しかし、その感動も束の間。

 執務机の端に赤い光が灯る。

 〈警告灯〉だ。


「……追っ手、来ましたわね」


 表情を一瞬で引き締め。

 優雅な所作のまま、手を振る。


「侯爵家に手を出すなど、命知らずにもほどがありますわ。」


「――迎撃なさい。ただし致命は避けて。」


 ブゥン!(あいよ、姐さん!今日も華麗にやってやらぁ!)


 ――数分後、屋敷の外では黒装束たちが泡を吹いて倒れていた。

 ルンルンの針に仕込んだ麻痺毒が、少々強かったらしい。


「……母は、強いのです。」


(刺客が三人だなんて、今回は少なすぎません?もしかして、バカ王子と妹、今度は十人単位で送り込むつもりとか!?……やめて!我が家が刺客で、満員御礼になってしまいますわぁぁっ!)


 そして予感は的中する。

 その後も、城から何度も送り込まれる刺客。

 そのたびに。


「また刺客ですか。――捕らえなさい。無駄な殺生は不要です。」


 私は冷徹に命じた。

 だが胸の奥では悲鳴をあげていた。


(もう、三桁行きそうな勢いですわよ!? 我が家は刺客でお腹いっぱいですわぁぁ! )


「――今夜も捕虜部屋が不足しますわね。寝具と食糧を今すぐ増やしなさい。経費は私の決裁で。」

 

「記録と尋問は順次、抜かりなく。皆様、よろしくて?」


 しかし、それに伴う収穫も多々あり。

 飴と鞭を微妙に使い分け、捕らえた刺客を計画的に懐柔し、証言を残していく。


「雇い主は……第二王子殿下と妹君、そして時々、ご両親と。」


「すべてを記録なさい。」


 ブゥン!(へいへい、証拠、完了っと!)


(ふふっ、これで刺客返し準備万端ですわ! 母は全力で、ムスコたんとお義娘候補を守りますのわよぉ~。)


 王城では、旦那様が虎視眈々と証拠集めにいそしんでいらっしゃる。 

 すべてがそろう日も、そう遠くはないはず。

 それまで、彼女には申し訳ないが、心を強く持っていて欲しいものである。



 夜。

 怯えて眠れぬ令嬢をルンルン越しに見かける度に、温かい飲み物を持って訪れた。

 いつも謝る彼女に。


「謝る必要などございません。あなたはとても誠実なお方です。私が責任を持って、必ず証明してみせますわ。」


(昔の私も、この年の頃は不器用でしたもの。誰かが手を差し伸べてくれるだけで、どれほど救われたことか……。)


 言葉をかける度、彼女は安心するのか、涙を流し始める。

 そして、いつも。


「ありがとうございます。」


 そう言って、微笑んでくれるのだ。

 だが今日は、それだけではない。


「こちらこそ。いつもメイドたちのお手伝いをしてくれてありがとう。」


「お、お世話になってばかりですので、せめてもと……。」


「貴女は伯爵令嬢なのに、家事全般がとても手慣れているのね。メイド長が『お手本にしたい』と申しておりましたわ。」


「家ではいつも、私がしていましたので……。」


「家事全般がこなせて、教養もあり、所作も美しく完璧。貴女はどこに行っても恥じることのない、素敵なご令嬢よ?胸を張りなさい。」


「あり……がとうご……ざいま……す。」


 震える声でそう言うと、ポロポロと大粒の涙をこぼした。

 そんな姿を、表情を変えずに見守るのも、最近難しくなってきている。


(私の表情筋、ファイトですわ!それにしても尊い~~~っ……!もう我が家の嫁でよろしいのではなくて?)



 七日間。

 私は刺客を退け、証拠を集め、令嬢を守り続けた。

 あとは旦那様と最終打ち合わせをし、最終決戦を残すのみとなった。


 そしてその夜。


「やれやれ、相変わらず我が家の外は、賑やかですね。」


 低く澄んだ声が、背後から響く。

 振り返ると、そこには麗しの――私の旦那様。


「お、お帰りなさいませ、旦那様……!」


「息子のことは、うちの影経由で聞きました。……私の真似をしているようですね。」


 そう言って、他人の前ではめったに崩さない表情を、いとも簡単にほころばせる。


「そ、それはっ!悪気はないんですの!純粋で、真面目で、ええと……。」


 旦那様は、ふっと微笑んだ。

 世の女性が、黄色い声を上げて気絶するという笑みを、私はいとも簡単に、しかも毎日見ることができる。


「――君が嬉しそうだったからでしょう。息子はよく見ています。」


 旦那様は、とてもうれしそうだった。


「~~~~っ!?///」


 私は耳まで真っ赤になる。


「やはり──私の妻は、誰より愛らしい。」


 そう言って、旦那様は私の額に唇を落とした。

 氷のように冷たいと周りに言われているその人の手も唇も、今日もとても温かい。


「……これからも、あの子の前でも、仲睦まじくしましょう。彼のいい手本になりますし。」


「……そ、そうですわね。」


(うううう、ムスコたんも将来、お嫁さんにこんなことをするのかしら?私以外の女性に?でも、お嫁さんだし……。でも、私のかわいいムスコたんだし……。)


 私の中で、尊死と母性が渦を巻く。


 そのとき窓辺で羽音が鳴る。


 ブゥン!(姐さん!若旦那、今夜もお姫様抱っこ中!)


「今日も我が家は平和ですわね。」


 (うちにはスパダリしかいないのかしら?)

 

 そんなことを考えていると。

 

「ふふ、では――私たちも、負けてはいられませんね。」


 旦那様が耳元でにこやかに、そして艶めいた甘い声で囁いた。


「え?」


 次の瞬間、私は旦那様に抱き上げられていた。


「旦那様っ!?///」


「君が一番、尊いですよ。」


 侯爵邸に、ルンルンたちの粋な歓声がこだまする。

 こうして、夜は静かに更けていった――。



翌朝、王都はざわめいた。

――明日の10時、宰相が、氷結の眼差しで玉座の前に立つ。

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