第2話 声の主



瓦礫の上を、八雲一世は駆け抜けた。

乾いた風が砂を巻き上げ、視界をぼやかす。

喉の奥が痛い。

それでも足を止めなかった。


「……誰か、いるのか!」


声は届かない。

代わりに聞こえるのは、崩れかけた建物のきしむ音だけ。

けれど――確かに聞こえた。

あの“助けて”という声は幻じゃない。


瓦礫の隙間で、何かが微かに動いた。

目を凝らすと、灰色の手が見えた。


「……!」


彼は駆け寄り、石をどかす。

土埃が舞い上がり、咳き込む。

手の甲に擦り傷ができても構わなかった。


崩れた壁の下に、少女がいた。

砂と埃にまみれ、痩せこけた身体。

薄い布が破れて肌がのぞいている。

それでも――微かに息をしていた。


「おい、大丈夫か!」


反応はない。

それでも胸の上下を確かめて、安堵の息を漏らす。


「……生きてる」


瓦礫の影に少女を引きずり出し、背中を支える。

その体は軽すぎて、まるで空気のようだった。


掌をかざすと、ぱち、と火花が弾けた。

すぐ近くの地面に小さな炎が灯る。

その明かりで、少女の顔が浮かび上がる。


頬はこけ、唇が乾いてひび割れていた。

まぶたの下に、かすかに命の光が残っている。


「……待ってろ、今水を――」


缶の中に残っていたぬるい水を持ってくる。

慎重に少しずつ、少女の唇に垂らす。

唇が震え、微かに喉が動いた。


「飲めるか……?」


わずかに顎が動いた。

彼女はほんの少しだけ、水を飲み込んだ。


それだけで、一世の心が跳ねた。


「……よかった……」


もう一口、ゆっくりと。

今度は自分の手を濡らして、唇に触れさせる。

少女の息がかすかに整っていくのが分かる。


彼は拾った布を敷き、その上に少女を寝かせた。

焚き火の火を強め、風避けに瓦礫を積む。


「……こんな世界でも、人がいるんだな」


ぽつりと呟いた声に、かすかな返事が返ってきた。


「……あなた、だれ……?」


少女の目が、ゆっくりと開く。

灰色の空を映したような瞳が、一世を見上げていた。


「俺は八雲一世。……たぶん、異世界から来た。」


少女はまばたきをした。

そして、小さく息を漏らした。


「……へんな人。」


その一言に、一世は思わず笑ってしまった。


「だろ? 俺もそう思う。」


少しの沈黙。

少女の視線が炎の方に移る。

ゆらゆらと揺れる光を、じっと見つめていた。


「……あたたかい。」


「そうだな。……名前、聞いてもいいか?」


少女は迷うように唇を動かし、

やがて、かすかな声で言った。


「……リアナ。」


「リアナ、か。」


一世はその名を、確かめるように口にした。

やさしく、どこか儚い響きだった。


「いい名前だな。リアナ。」


リアナは、少しだけ口の端を上げた。

笑ったのか、そう見えただけなのか――判別できないほど小さな仕草。


一世は焚き火のそばに腰を下ろした。

燃える音と、二人の呼吸だけが響く。


「……もう、大丈夫だ。ここには火もあるし、水もある。」


リアナはその声に、ゆっくりと目を閉じた。

疲れ切った顔に、ようやく穏やかな表情が戻る。


その寝顔を見つめながら、一世は空を仰いだ。

灰色の雲の隙間に、星がひとつだけ瞬いている。


「……俺は、独りじゃなかったんだな。」


その呟きは風に溶け、夜に消えていった。


そして焚き火の赤が、滅びの地に初めて“人の温もり”を取り戻していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る