第1話 滅びの地にて“火花から灯へ”



灰色の空が、いつまでも続いていた。

どこを見ても、生き物の影ひとつない。

瓦礫と砂と、焦げついた大地――世界は音を失ったようだった。


八雲一世は、ひび割れた地面の上で立ち尽くしていた。

掌を見つめる。

さっき確かに、そこに小さな火花が弾けた。

それが、唯一の“現実”だった。


「……本当に、火が出たんだな」


信じがたい。

けれど、あの瞬間の熱だけは、間違いなく感じた。


神クレティスの声が脳裏をかすめる。

――お前の優しさが、この世界の最後の火種になる。


冗談じゃない。

それでも、一世は息を吐いた。

「……火種でも、なんでもいい。とりあえず、生きよう。」


乾いた風が頬を打つ。

唇が切れて血の味がした。

喉は焼けるように渇いている。


――そうだ、水。


サバイバル本の最初のページが、頭に浮かんだ。


『まずは水を探せ。水がなければ三日と生きられない。』


「先生、了解しました……」


独りごちて笑う。

その笑いがひどく乾いていた。


瓦礫の向こうに、黒ずんだ舗装路が見えた。

そこへ足を向ける。

踏みしめるたび、靴底が砂を噛む。

その音だけが、この世界の“生きている”証のようだった。


しばらく歩くと、崩れた建物の影に何かが光った。

近づくと、瓦礫の隙間に、わずかな水の反射。


「……あった……!」


しゃがみ込み、手を伸ばす。

指先が冷たい感触に触れた。

だが、鼻をつく生臭さ。

灰色に濁った水は、そのままでは飲めそうもない。


一世は本をめくった。

“濁った水は濾過せよ。布と砂と炭で簡易フィルターを作る。”


「……砂と炭、ね。よし……」


焦げた木片を拾い、袖を裂いて布を作る。

拾った缶の中に砂と炭を重ね、即席の濾過装置をこしらえた。

水を通すと、灰色が少しだけ淡くなった。


「悪くない……けど、まだ不安だな」


冷たい風が吹き抜ける。

体が震えた。

喉の奥が熱い。


「……火で、煮沸……」


一世は手を伸ばした。

掌に意識を集める。

心の中で、火を思い浮かべた。


ぱちっ。


小さな火花が散る。

もう一度、強く願う。


――ぱち、ぱち。


小さな炎が、指先に生まれた。


「……出た!」


拾った缶を火の上に乗せる。

水面がかすかに震え、やがて湯気を立て始めた。

金属の焦げる匂いと一緒に、希望の香りがした。


少し冷めた頃、缶を傾けて一口。


熱い。

そして、苦くて、鉄っぽくて――それでも、涙が出た。


「……うまい……」


命が、喉を通って体に戻ってくる感覚。

生きるって、たぶんこういうことだ。


『よくやった、一世。』


風の音に混じって、クレティスの声がした。


「……ありがと。神様。」


空を見上げる。

灰色の雲の隙間から、わずかに光が差していた。


ほんの一滴の水と、ひとつの炎。

それだけで、世界は少しだけやさしく見えた。


「……次は、寝床でも探すか。」


本を抱えて立ち上がる。

そのとき――。


かすかな声が、風に混じった。


「……たす……けて……」


一世は息をのむ。

耳を澄ませる。

今のは、確かに人の声だった。


「……誰か、いるのか?」


声はもう一度。

遠く、崩れた建物の方から。


一世の心臓が跳ねた。

誰もいないと思っていたこの世界に、“他の人”がいる。


火花が指先で弾ける。

その小さな光が、夜明け前の星のように瞬いた。


「……待ってろ、今行く。」


瓦礫を蹴って、一世は走り出した。

風が砂を巻き上げる。

その足跡は、荒れ果てた世界に小さな線を描いた。

 それが、八雲一世と――

この世界に残された最初の希望との出会いだった。

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