第3話 夜明け
風の音がやんでいた。
灰色の雲の切れ間から、淡い光が射し込んでくる。
夜の寒さで縮こまっていた身体に、かすかな温もりが戻ってきた。
八雲一世は目を開けた。
焚き火の残り火が、かろうじて赤く息をしている。
隣には、眠っていた少女――リアナの姿。
昨日よりも少しだけ血の気が戻っていた。
(……よかった。生きてる)
静かに息をつきながら、水をもう一口分だけ缶に注ぐ。
火花を散らして温めると、湯気がふわりと立ち上がった。
そのとき。
「……ん……」
かすかな声。
リアナが身じろぎして、ゆっくりと目を開けた。
光を探すように、焦点が合わない瞳が揺れる。
「……ここ……どこ……?」
「気がついたか。昨日、瓦礫の下にいたんだ。助けたのは俺。」
一世がそう言うと、リアナはしばらく彼の顔を見つめ、
やがて小さくうなずいた。
「……夢かと思った。」
「夢ならよかったけどな。」
一世は苦笑して、缶を差し出す。
「少しだけど、温かい水。飲める?」
リアナは恐る恐る手を伸ばし、両手で受け取った。
唇にあて、一口。
その瞬間、目を細めて、小さく息を漏らす。
「……あたたかい。」
「ちゃんと煮沸したやつだ。たぶん安全。」
リアナは不思議そうに一世を見た。
「……煮沸って、なに?」
「え?」
彼は一瞬言葉を失った。
どう説明したものかと頭を掻く。
「えっと……水を熱で煮て、汚れとか菌を殺す……みたいなやつ。」
「……魔法じゃないの?」
「魔法?」
一世が首をかしげると、リアナはわずかに困ったように眉を寄せた。
「昔は、清めの魔法で水を浄化してた。けど……もう、使える人がいないの。」
その言葉が、胸の奥に重く響いた。
「……魔法が、なくなったのか。」
リアナはこくりとうなずいた。
「空から星が落ちて……全部、壊れた。土地も、水も、魔法も。」
声は小さく、淡々としていた。
それが、どれほどの絶望を乗り越えた言葉かを一世はまだ知らなかった。
「……じゃあ、君はずっと一人で?」
リアナは小さく首を振った。
「家族がいた。でも、少しずつ、食べものがなくなって……。
最後は、私だけだった。」
言葉の途中で、リアナの喉が震えた。
それ以上、彼女は何も言わなかった。
一世は火の前で手を組む。
何も言葉が出てこない。
ただ、沈黙の中で、風が二人の間を抜けていった。
やがて、リアナが小さく呟いた。
「……どうして、助けたの?」
一世は少し笑って肩をすくめる。
「お人好しだから、かな。」
リアナが、目を瞬かせる。
「おひと……?」
「人を見ると放っておけない性格ってこと。」
「……ふしぎな人。」
「よく言われる。」
リアナの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
それを見て、一世は心の底から安堵した。
彼は立ち上がり、あたりを見渡す。
「食べ物と、ちゃんとした寝床を探そう。」
「……いくの?」
「もちろん。二人で行ったほうがいいだろ?」
リアナは少しだけ考えて、
やがて小さくうなずいた。
「……うん。」
一世は笑って、手を差し出す。
リアナは戸惑いながらも、その手を取った。
冷たい指先。けれど確かに、人の温もりがあった。
「行こう、リアナ。」
雲の切れ間から差し込む光が、二人の影を伸ばした。
滅びた世界の朝に、
初めて“誰かと歩く”足音が響いた。
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