第11話 【理由】(11) 〜エピヌス暦1131年2月〜

理由(11) 〜エピヌス暦1131年2月〜



 テーブルに散乱した人差し指ほど大きさの彫刻の中から、黒檀でできた馬の頭の形をしたものを瑛璃の白い指が摘み上げる。

「それは『騎士』の駒だ」


 手に取った駒をしげしげと見つめる彼女に、イリアスが微笑みかける。

「──興味があるようだな。説明しよう」


 イリアスにより、手際良く市松模様のボードの両端に白い駒と黒い駒が並べられた。




「レクスベラムは、この盤上に並べた駒を指揮して、敵の王を追い詰める、小さな王国同士の戦いのようなものだ」

 男性らしい節の大きな長い人差し指が、縦横8マスずつの、計64マスの盤をなぞる。


「白と黒、それぞれ16個の駒がある。

 駒の種類は『王』・『女王』・『城砦』・『射手』・『騎士』・『歩兵』の6種類」


(左から、王、女王、城砦、射手、騎士、歩兵)


 行儀良く整列した黒檀製の黒い駒と黄楊つげ製の黄白色の駒を見ながら、瑛璃が感嘆の声を上げる。

「なるほど、駒の形は名前によるのね。これは矢尻っぽいから『射手』?」

「その通り」


「種類によって、駒の数も違うのね」

「『王』と『女王』は1個ずつ。『城砦』・『射手』・『騎士』は2個ずつ。『歩兵』だけ8個もある」


 昼間彼女が学んでいる礼儀作法などの淑女教育よりも、この駒同士の戦いの方に興味を持ったようで、その瞳は好奇心で輝いている。


「これが『王』ね。上に王冠が付いているし、一番大きくて立派だもの」

「ああ、そうだ。この『王』こそが、ゲームの勝敗を決める一番重要な駒だ」


「勝敗を決めるってことは、一番強いの?」

 瑛璃の質問にイリアスが横に首を振る。

「『王』が強いかというと、そうでもない。縦・横・斜めに1マスしか動かせないから攻撃力は低く、逃げ足も遅い。敵に取られたら負けてしまうという点で、『王』は存在そのものが重要だ」


「ふうん」

「大切なのは、相手の『王』を追い詰めつつ、自分の『王』を守ることだ。他の駒が相手に取られても『王』さえ逃げ続ければ、決着がつかず引き分けになることはあっても、負けにはならない」

 瑛璃はイリアスの説明に相槌を打った。


「じゃあ、『女王』は?」

 王の駒の次に大きい女王の駒を取った瑛璃の手を包むように、自らの手を添えたイリアスが片目を瞑って見せる。

「強さでいうと、『女王』が一番強い」


「──『女王』が、一番強いの?」

 意外だったのか、鸚鵡おうむ返しする。


 イリアスは頷きながら言う。

「他の駒が進行方向を遮らない限り、縦・横・斜めに好きなだけ動ける。盤上の中心に置けば最大27マス分を支配できるし、駒数が減った終盤では『女王』単独で相手の『王』を追い詰めることができる。攻守ともに最強だ」

「面白そう」

 俄然興味が増したのか、瑛璃が身を乗り出してきた。


君の祖国アガルタもそうだが、この大陸のほとんどの国々では、歴史書を紐解いてみても、女性の君主は存在した記録がない。現ノルヴィスク君主の『氷の女帝』こと、エイダ・ヒルデガルドくらいだろう。

 女性の君主が珍しいから意外に思うかもしれないが、案外女性の方が肝が据わっていて国を統治するのに向いていると思うんだが」


 その言葉に口許を綻ばせた瑛璃に、今度はイリアスが質問を投げかける。

「──君は氾慈ハンジ王の長子だが、王位継承の話はなかったのか?」

 イリアスが知る限りでは、アガルタ王国最後の王・氾慈には瑛璃の下に妹と弟がいた。


「弟が生まれたこともあって、王位継承の話なんて私のところへはなかったわ。

 もし弟がいなかったとしても、国内有数の部族から選ばれた男と結婚させられて、次期国王となる男の子を産むまで子作りさせられたと思うし、もし男の子を産めなかったら、七部族会で選ばれた男が次期王に選ばれたでしょうね」


 瑛璃の補足によると、アガルタには、国内最大の部族であるシェン族を中心に、大きな勢力を持つ7つの部族の族長で構成される「七部族会」というものがあるとのことだった。国の重要な決定をする際に設置される、王の補佐をする機関のようだ。


 淡々と説明し終えた瑛璃が、ふと複雑な表情をしている隣の男に気付き、彼の顔を覗き込む。


「──仕方ないのよ。アガルタは多民族国家で、うちの部族…シェン族の男系の族長が代々アガルタ国王を世襲してきた。国王に次ぐ権力は七部族会が持っていて、国王不在となった場合は彼らの議決で全ては決まる。彼らも全員男だもの」


 その言葉に、イリアスは口を噤んだ。

 彼女の言い方には、過去に自分が君主になる道を考えたことがあり、ただ女に生まれたから仕方なく諦めたような、そんな響きがあったからだ。


 二の句が継げないイリアスに、自嘲気味に瑛璃が言う。

「──まあ、王位継承も何も、国自体がなくなっちゃったからもう関係ないわね」


 書斎に満ちる空気は重く淀み、暖炉の炎が薪を爆ぜさせる乾いた音だけが響いている。

 そのわずかな沈黙を吹き払うように、瑛璃はいつもより少し明るい声を発した。

「ねえ、これは?」


 イリアスは膝に肘を預けて前かがみに頬杖をついていたが、レクスベラムの説明の続きを促されて、反射的に体を起こす。


 瑛璃が次に手にしていたのは、塔のような形をした駒だった。

「それは『城砦』だ。この駒は他の駒が行手を阻まない限り、縦横まっすぐ遠くまで動ける。守備の要であり、攻撃の主力であり、盤上を制圧する力を持っている」


 そして、盤上から矢尻の形をした駒を拾い上げ、瑛璃の空いている方の手に持たせる。


「その『城砦』と少し似ているのが『射手』だ。

 『城砦』が上下左右なら、『射手』は斜め方向にどこまでも真っすぐ進める。途中に駒があると止まるが、道が開いていれば長い斜めのラインで遠くまで攻撃できる」

 射手の説明が終わると、瑛璃が2種類の駒を盤面の元の位置に戻す。


「じゃあ、『騎士』は?」

 まるで人形遊びをする少女のように、瑛璃はその馬の形をした駒にテーブルの上を走らせた。

 イリアスは自分の前までその駒が来ると、彼女の手を掴む。


「この駒の動きは特殊だ。『騎士』以外の駒は、進路に他の駒があったらそこまでしか進めない。だが、『騎士』は横2マス縦1マスか、縦2マス横1マスに動かせて他の駒を飛び越えられる。奇襲や騙し討ちができる、近接戦に強い駒だ」




                   つづく










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