第6話 【理由】(6) 〜エピヌス暦1131年2月〜

 扉の向こうから姿を現したのは、ドアの上枠ぐらいの高さの大きな男だった。

 訓練をしていたところを呼ばれて抜け出してきたのか、板金鎧プレートアーマーから出た首から上にうっすらと汗が浮いている。


 30代半ばくらいの、がっしりとした体躯の男は、部屋にいるのがイリアスだけだと思っていたようで、椅子に座って目を伏せている若い女の後ろ姿を見つけて目を細める。


 そして、足元に落ちている一枚の紙に気付き、彼…ゼイン・カーライルはそれを拾い上げた。

「これは、手配書ですか?」


「駄目!」


 つい先程まで生意気な態度を取っていた女が、頬を染めて慌てて立ち上がる。その弾みで座っていた椅子が倒れ、派手な音を立てて床に転がった。


 小さく短い悲鳴と共にバランスを崩した彼女が膝をつき、そのまま床に座り込む。


 手にした紙切れを咄嗟に離し、ゼインが慌てて彼女の元に駆け寄る。


 「いや」

 助け起こそうとする男から顔を背けた彼女の顔は赤く染まっていた。


 その表情は明らかにこれまでとは違う。気の強そうな眼差しは消え、その表情からは明らかな動揺が見て取れる。


 ゼインはつい今し方手から零れ落ちた紙に目を落とすと、目を見開き、息を呑んだ。

 そして、そのまま手配書から彼女の横顔に視線を移す。


「見ないで……」

 消え入りそうな小さな声で、彼女が呟く。


「失礼」

 男物の単衣チュニック1枚だけの姿など、下着姿も同然だ。

 目のやり場に困ったゼインが、慌てて目を伏せる。


 執務室の部屋の壁に背を預けて、静かに2人の様子を観察していたイリアスは、おもむろに上着を脱ぎながら彼女の元へ寄り、その肩に上着をそっと掛ける。


「君にこの女性を知っているか尋ねようと思っていたが、答えを聞くまでもないようだ」

 イリアスはそう言うと、表情を緩めた。


「ゼイン・カーライル連隊長、君が昔アガルタの捕虜になって何年も抑留されていたという話を耳にしたことがあってね。それで、もしかしたら彼女の顔くらいは見たことがあるんじゃないかと思ったんだ」


「正確に言うと、捕虜として抑留されていたのは、半年ほどの期間です」

 両膝立ちになった彼女の横に、ゼインがひざまずく。


「その後、色々あって、私はアガルタ王・氾慈はんじ様の恩赦により捕虜の身から転じて、瑛璃様の護衛として仕えました」


 王女──瑛璃はアガルタ語でゼインに囁く。それに対し、ゼインが困ったような顔でアガルタ語で返すと、瑛璃は目を丸くしてイリアスを見た。 

「アガルタ語がわかるの?」


「『バシュク』という単語は俗語スラングか? いい意味ではないな。正確な意味はわからないが、文脈からして、カーライル連隊長に言ってたのは『あの変態野郎から私を助けて』といったところか?」


 アガルタ語ならばれまいと思ってゼインに伝えた内容が筒抜けだったことを知り、瑛璃が顔を顰める。


「軍師として起用される前は外交の仕事をしていたから、一応4ヶ国語は話せるんだ」

 にこやかに言いつつも、目は笑っていない。


「君のことはまだ信用できないが、カーライル連隊長の実直さには信頼を置いている。彼が君のことをアガルタの元王女だと言うなら信じよう」


「王女様、またお目にかかれて光栄です」

「──もう王女ではない」

 瑛璃が複雑な表情で自嘲し、彼から目を逸らした。


 ゼインは伸ばしかけた手を引っ込め、彼女の憂いを帯びた横顔を見つめる。

 そして、しばらくの沈黙の後、ゆっくり立ち上がり、上官に非難めいた口調で問う。

「この方が、なぜこのような姿を」


「おっと、睨まないでくれ。色々あったんだ」

 イリアスはおどけたように肩を竦める。


「…もしかして、懲罰房で大暴れしている女がいるという噂は──」

「まあ、そういうことだ」


 男二人のやり取りを聞き、瑛璃はいたたまれず視線を泳がせている。


「──部下たちを待たせているので、私はそろそろ行きます」

「ああ。忙しいところ申し訳なかった」


 ゼインが立ち上がり、ドアの方を向きかけて立ち止まる。そして、

「ひとつだけお願いがあります」

と、切り出した。


「拘束だけでも解いていただけませんか。もし逃亡したり、暴れたりした時は、責任は私が負います」


「いいだろう」

「感謝します」


 少しだけ表情を緩めて敬礼すると、ゼインは執務室を退出した。

 プレートアーマーの金属の擦れる音が遠のいていく。


「君専属の騎士だな」

 瑛璃の背後に回って屈み込んだイリアスが、彼女の手首に巻かれた縄の結び目を手に取る。


「あっ…ちょっと! 変な触り方しないでよ」

 縄を解ききらないうちに、イリアスに掌や指をなぞるように撫で回され、瑛璃が思わずけ反る。


「これはいい。この指のたこや皮膚の硬さ…」

「何興奮してんの、変態」

 暴れた弾みで縄が解け、自由の身になった瑛璃はすかさず退避する。

 壁に背を貼り付けるようにして立ち、両手を後ろに隠す。


「手を触られたくらいで、意外とうぶな反応をするんだな」

「だって触り方が」

「手の触り方に種類があるのか?」

 心外だと言わんばかりに眉を顰める。


「それよりも、君は弓矢の心得があるんだろう?」「それなりには。武器の中では一番得意だけど」

「そうだろう。この手は長年弓矢を扱った者の手だ」


 その手の表面は一見して荒れていないが、触れると皮膚に厚みと硬さを感じ、右手の親指の付け根から指の腹にかけての厚いたこなどが、彼女の腕前を示していた。


「弓矢の扱いにけている。アガルタ語ができる。身体能力も戦闘力もある。度胸も精神力も人一倍。そして、生まれながらの王者の風格」


 ゆっくりと近づいてくる男に本能的な危険を察知し、瑛璃は壁に沿って少しずつ部屋の出口に向けて歩を進める。


「身長ももう少し高ければなお良かったが、大丈夫だろう」

「何なの?」

 わけわからない独り言を口にするイリアスに戸惑い、瑛璃はさらに後ずさる。


「私と手を組まないか?」


 部屋の隅に追いやられたところで、彼が唐突に提案する。


「考えがある。私の作戦に君は必要不可欠だ。もし手を貸してくれるなら、私も君の復讐に手を貸す」


 差し出された手の指は、剣や弓よりペンをよく握る者のものだ。


「もし断ったら?」

「断られたらどうするかは、全く考えていない」

 その声には脅迫めいた響きが含まれていた。


 瑛璃がごくりと唾を呑み込むと同時に、一週間固形物を入れていない胃が切なげな声を上げた。 


 イリアスは急に表情を緩めてくすりと笑うと、

「とりあえず、服と温かい食事が必要だな。うちに来るといい」

と、瑛璃の肩に手を置く。


 しばらくの沈黙の後、空腹に耐えかねたのか、彼女は不承不承といった面持ちで、首を縦に振った。


(つづく)

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